第380号 2006/11/29
アヴェ・マリア! 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか? 浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されていた「聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行」第六日をご紹介します。 祝祭日の説教集 浦川和三郎(1876~1955)著 (仙台教区司教、長崎神学校長 歴任) 聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行 聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行 (第六日) 聖フランシスコの柔和 聖フランシスコが一身をイエズス、キリスト様に献げ、之を模範と仰いで、第一に学び得たのは柔和でありました。この美徳が聖人の胸中より道ならぬ情慾を駆除(かりだ)したので、聖人は激烈火の如き性質なりしにも拘わらず、以ってよく其の血気を制し、其の猛然と迸(ほとばし)り出る奮発心までも容易に和らげ得給うたのである。聖人の容貌は温乎(おんこ)として笑みを含み、挙動は朗らかで、少しの包み隠しもなく、快活に、親切に、何人に対してもその幸福を謀り給うので、心から聖人に帰服せざる者とては一人もありません。 聖人が温厚にして善く人と交じり給うものですから、兵士も、商人も、野人も、紳士も、東より西より南より北より争い来たりて親しみを結ばんことを冀(こいねが)うのでした。某国王の如きは、聖人より真(まこと)の道へ導かれた者でしたが、一日(あるひ)聖人の談話に心を奪われ、欣然として聖人に向かい「フランシスコ神父さん私は天国に行った時、あなたのお傍に居たいものですね」と申しましたとか。抑(そもそ)も聖人が人に愛されんと努められたのは、其の人を導いて天主様を愛させたいと云う純潔な意向からで、聖人の柔和温厚には誰一人抵抗し得るものはないのでした。嘗(か)って不品行な兵士三人と同宿し給うた。時は四旬節でしたが、如何にかして彼等の品行を矯正したいものと思い、故(ことさ)らに彼等と談笑、遊興して、四十日の久しきにも及ばれたことがありました。 悪逆無道を以って聞こえたポルトガルの一紳士は、聖人の温和懇切に感じて到頭改心するに至りました。斯の如く野蛮蒙昧(もうまい)の民、頑然(がんぜん)改むるを知らない罪人も、一たび聖人の温顔に接すると、其の頑固も、其の粗野も立(たちどこ)ろに消(きえ)失(う)せたものであります。固(もと)より聖人と雖も然るべき時には厳乎(げんこ)として犯すべからざる所、其の熱心の焔を迸発(ほとばしら)すべき時に際すれば、猛然惧(おそ)るべき所がきにしもあらずでありました。彼のマラカの総督が利を貪(むさぼ)り、嫉妬心に駆られて、聖人の支那に渡り、福音を宣伝せんとし給う計画を妨げた時の如きは、聖人も彼に対して頗(すこぶ)る強硬な処置を取られました。それにしても、その使徒的威厳をば寛厚(かんこう)な態度を以って和らげ給い、彼の総督より而かもポルトガル人なる総督より受けた虐待、罵詈(ばり)、讒謗(ざんぼう)に対するに黙忍、謹慎を以ってし日々祭壇に於いて彼が為に天主様に祈り給うのでありました。 反省 ― 一、 私は人が柔和温(おん)恭(きょう)であるのを見ては之を喜ぶのですから、人も私の柔和温恭ならんことを冀(こいねが)はないはずがありましょうか。 二、 私の血気を制し,正理に逆らう時はよく之を匡(ただ)し、奮発心さえも之を和らげることにいたしたい。すべて激動は悪である。悪は決して善たり能(あた)わぬのです。 三、柔和なる人はイエズス・キリストに似て居る。その御約束に与り、神とも人とも己とも和らいで一生を送ることが出来ます。 祈願 ― 愛すべきイエズス様、主は我等に柔和の徳をくれぐれも勧め給うた。願わくは私を助けて、如何なる屈辱を加えられるとも、能く之を耐忍し、過激な性情を抑え、假令(たとえ)騒がしい中に在っても、聖フランシスコの如く心に平和を保たしめ給え。アメン。 (続く) |