マニラのeそよ風

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第379号 2006/11/28

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか?

 元仙台司教の浦川和三郎司教様の『祝祭日の説教集』の中に掲載されていた「聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行」第五日をご紹介します。


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祝祭日の説教集

浦川和三郎(1876~1955)著

(仙台教区司教、長崎神学校長 歴任)

聖フランシスコ、ザベリオに対する九日修行

(第五日) 聖フランシスコ深く天主に信頼し給う

 すべての人が聖フランシスコ程に深く天主様に信頼したらば、何一つとして企て得ざることなく、希望し得ざることもありますまい。この大使徒の如く、海に陸に数々の危難に遭遇した者は少ないでしょう。暴風猛(たけ)り狂って、船終(つい)に破れ、三日三夜波のまにまに漂い給うたこともありました。

 再三蛮民の為に毒矢を以って狙撃せられ、或いは怒り狂える蛮族の手に陥り、或いは回教徒から石を投げられ給うたことも屡(しばしば)で、ブラマンの徒輩は聖人を殺害せんとて、聖人の隠れ家と思う家に火を放ったことすらありました。我国の佛僧等も幾度となく聖人を害しようと企て、嘗って愈々最後の手段を取ろうと思い、多数相集って謀議を凝らしたこともありましたとか。

 然し此等の危難は却って聖人の勇気を彌(いや)増すのみで、危難の数がいよいよ重なれば、天主様に依り頼むことも、いよいよ深くなって行くのでした。その書簡中の一節に曰わく「假令(たとえ)我等、野蛮、凶暴の民の中、否な悪魔の領土内に居るとも、天主様だに許し給わずば、如何に残忍なる蛮民の暴行も、如何に激しい地獄の狂怒も決して我等を害すること能わぬ、我が畏(おそ)るゝ所はただ天主様のみである」と。斯くまで深い其の僕(しもべ)の信頼に天主様も少なからず感動し給い、己が全能力を聖人の掌に授け給うたかの如く思われ、その常に行われる奇蹟は実に神妙絶倫で、異教徒ですら聖人を見て、奇蹟の人、天の友、自然界の主、地上の神となすに至りました。古の使徒時代に行はれし奇蹟は一として行い給はざるなく、悪魔を追い払い、幾多の病者を癒し、二三の死者をも復活せしめ、或いはただ一人(にん)赤手(せきしゅ)空拳を以って蛮民の大軍を防ぎ、或いは信者に仇する敵の艦隊を敗滅せしめ、船中に水が欠乏して人々が甚く渇きに苦しめる時、海水を変じて甘き清水となすとか、暴風を鎮め、難船を救い、未来を予言し、人の心の隠れた秘密を洞(み)見(ぬ)くとか、それはそれは一々数えるに遑(いとま)ない程である。要するに奇蹟を行はないのが聖人の為には却って奇蹟であったのであります。


反省 ―

一、 私の信頼の浅きは信仰の薄きに因るのである。天主様は私に幸福を与えんと欲し給い、又、与えるを得給うのです。私がもし之を堅く信ずるならば、何うして信頼心の起らざることがありましょう。

二 、私は平素天主様に対して不忠なればこそ、妄(みだ)りに天主様を疑い惧(おそ)れるのです。天主様が私に満足し給はぬと知ればこそ、敢えて天主様に信頼し得ないのであります。

三、 で是からは全善の天主様に喜ばれる様務めましょう、然らば聖フランシスコ、ザベリオの如く泰然自若として、主の感ずべき全能力に信頼することが出来るに違いありません。


祈願 ―

 主よ、私は全く主に一切の希望を置き奉る、主は私の乏しきを御覧し給い、私を救うことも叶い給う。主は実に我父君に在す、たとえ地獄が総勢をくり出して来たらば来たれ、斯る鞏固(きょうこ)な御保護の下に在る私であれば、聖フランシスコの如く露程も恐れる所はない。嗚呼天主様、私はこの御保護を聖フランシスコの御伝達を以って願い奉る、アメン。

(続く)