第363号 2006/10/16 聖女ヘドヴィジェの祝日
アヴェ・マリア! 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか? お伝えしたいことは山のようにあります。今月は特に、ウィリアムソン司教様が、10月1日で東京でミサ聖祭を捧げるために日本に来られたました。 ウィリアムソン司教様が学頭をされているアルゼンチンの神学校では、7名の準備神学生、23名の神学生が在籍しており、今年の12月に4名がカトリック司祭に叙階される予定だそうです。 今回は、耳が不自由なために、ウィリアムソン司教様のお説教や霊的講話がよく聞き取れずわからなくてとても残念に思っていらっしゃる方、大阪の聖伝のミサには与れたけれども東京でのウィリアムソン司教様のミサには来ることが出来なかった兄弟姉妹の皆様たちから、司教様のお話の内容を教えてほしいというご要望もあり、司教様のお話しをお伝えしたいと思います。 ウィリアムソン司教様の日本ご到着の最初のコメントは「常夏の国フィリピンの女子学生たちは、かかとまである制服を着ていてとても優雅だった」ということでした。日本の女子学生のミニスカート制服の慎みのなさに驚かれたご様子でした。 「日本の聖職者が左翼化しているけれども、何故だと思いますか?」と質問すると、
「カトリック信者は、全てを天主に捧げて生きる。天国のために生きる。いわば天主を目ざす十字軍だ。しかし、もしも天国のためでなく地上の国の建設のために生き始めたら、人間のための十字軍となる。だから人権のため、社会正義のため、地上の平和のための十字軍となる。カトリック聖職者が天主を忘れれば忘れるほど、彼らは天主以外のもののために闘う。これからは、動物愛護のため、森林保全のため、環境問題(例えばオゾンとか)のために戦い出すだろう。」 「共産主義とは、間違ったメシア主義、腐敗したカトリシズムだ。そして天主を排除して天主なしに人間の問題を解決しようとする。人間を天主の地位につける。西洋文明の宝であり核心は、三位一体の天主、イエズス・キリスト、カトリック教会である。共産主義は、それ無しに社会を築き上げようとしている。その失敗は目に見えている。」 などと答えられました。 ウィリアムソン司教様と電車の中でお話ししたエスペランサさん(仮名)とカリタスさん(仮名)という二人の女性に対しては「本当の教育とは、イエズス・キリストのある教育である。現代の大学は学生から良識を取り上げてしまっている。女性の最高の目的と喜びは多くの子供の母親となることである。しかし現代の大学は、女性から母親になるという良き望みを取り上げてしまっている。女性は心で考える。男性は頭で考える。女性の最高の学舎は母親の台所である。」などとお話しになっておられました。 10月1日午前10時半からは、東京で、3名の方が堅振式(そのうち2名の方が条件付きでの堅振式)をうけました。堅振式の時には、秘跡の有効である3つの条件(意向、質料、形相)について語り、堅振の秘跡を有効にうけるためにはこの3つの条件が完全に揃っていなければならないこと、「条件付き」とは「もしも以前にうけた堅振が無効であれば」ということで、そうならこの堅振式が有効になり、もしも以前にうけた堅振が有効であれば、この堅振は無効であるという「条件」のことであると説明されました。 御ミサの際のお説教では、現代世界が罪に溺れていること、第2次世界大戦は、第1次世界大戦以後の世界の罪の罰として起きることが許されたこと、現代人類はそれをはるかに上回る罪を犯し続けていること、従って、第2次世界大戦をはるかに上回る罰が待ちかまえていること、ファチマでは聖母マリア様がそのことを警告しに来られたこと、しかし教会の高位聖職者たちは聖母マリア様に沈黙を強いて1960年に発表すべき聖母マリア様のメッセージの御言葉を発表しなかったこと、そのために日本の秋田でそのメッセージを繰り返されたこと、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿(当時)も秋田のメッセージは、ファチマのメッセージと同じであると確認したこと、聖母マリア様は、日本に敬意を払って天から秋田を訪れて下さったこと、秋田で全人類に関わるメッセージを話されたこと、私たちは特に日本の私たちは、天主の童貞母の御言葉を良く聞かなければならないこと、をお話しして下さいました。
ウィリアムソン司教様はクレーマー神父様のインタビューの話も引用されました。 クレーマー神父様は、この日付については全く確かではないということだけは確かだと言いながら2008年という年を出していると指摘し、多く祈らなければならないと言われました。
「天主の御母聖マリアは秋田でこう言われた。 罪は天主の正義の怒りを呼んでいる、私たちは聖母と合わせて償いのわざをしなければならない。天主おん父の怒りをやわらげるために、罪びとや忘恩者に代わって苦しみ償う霊魂が必要である。 教皇、司教、司祭のためにたくさん祈らなければならない。何故なら、カトリック教会の空前の危機が存在しているからだ。危機は教会の中に奥深くまで入り込んでいる。枢機卿は枢機卿に対立し、司教は司教に対立しているからだ。現在、カトリック教会の祭壇や教会が荒らされている。エキュメニズム、近代主義の誤謬で教会は妥協する者でいっぱいになっている。多くの司祭、修道者が聖職を放棄しつつある。天主の御母聖マリアは、今のカトリック教会の危機について警告に来られた。 秋田に馳せ参じて、天主の御母に祈りなさい。私たちの愛する者たちのために祈りなさい。日本とカトリック教会のために、教皇、司教、司祭のためにたくさん祈りなさい。世界の罪人の回心のために祈りなさい。」 というお説教をして下さいました。 秋田では、天主の御母はメッセージを与えた後に、1975年1月4日から1981年9月15日まで聖母マリアの像から101回の涙が流れるのですが、ウィリアムソン司教様が東京で聖伝のミサを捧げたのも10月1日で、101、私たちは御摂理のようなものを感じました。
(秋田の聖母のメッセージについて詳しくは、 午後は2時半から「家庭」という題で霊的講話をして下さいました。 「超自然は自然を破壊せずに、自然を前提とする。超自然の良いブドウ酒を保存するには、良い瓶が必要だ。良いブドウ酒を作ることと、良い瓶を作ることとは全く別の次元だ。しかしよいブドウ酒には、よい清潔できれいな瓶がなければせっかくのブドウ酒もダメになってしまうし味が移ってまずくなってしまう。カトリック信者の聖徳も、家庭という瓶をしっかり作ってこそ良く育つし良く保たれる。」 フィリピンの新聞の記事の切り抜きを読みながら、現代の子供が昔の子供とどう変わったのか、それは何故か、を説明して下さいました。 「現在の大都会は、私たちをして天主の十戒に従って良心的に生活することをますます難しくしている。」 さて「ブドウ酒の瓶」の話が出ましたが、前回の「マニラの eそよ風」361号では、カナの婚宴の6つの石がめは6つの時代を象徴していると聖アウグスティヌスが言っているということを書きました。 聖アウグスティヌスは更に次のように詳しく霊的な意味を説明しています。 預言は大昔からあったが、キリストを知ることを与えない預言は水である。キリストを認めるとき初めて預言はブドウ酒となる。キリストについて預言の意味は隠されたままだったので、預言は今に至るまで水であった。預言が満たされ石がめが一杯になったのは、水がブドウ酒に変わる時に、キリストが全ての預言の中で知られるためである。預言は全世界のあらゆる国民の救いに関わるものとして与えられた。 第一の時代は、アダムからノエまで。太祖、アダムとエワは全人類の祖であった。
「『これがために男は父と母とを離れ、妻と合って、二人は一体となる』。この奥義は偉大なものである。私がそういうのは、キリストと教会とについてである。」(エフェゾ五章) 第二の時代は、ノエからアブラハムまで。 キリストはノエの中にも予表される。方舟のなかにあらゆる動物が土井込めれられたのは、全世界のあらゆる民族を意味するためであった。木の方舟によって全地の命は木によって結ばれなければならなかった。 第三の時代は、アブラハムからダヴィドまで。 アブラハムの一人子イサアクは木を背負って自分を犠牲として差しだそうとした。主は十字架の木を背負われた。 第四の時代は、ダヴィドからバビロンに移されるまで。 ダヴィドは、その詩篇のほとんど全てでキリストについて預言している。 第五の時代は、バビロンに移されてから洗者聖ヨハネまで。 ダニエルは幻に、人手によらないで山から切り出された石が全ての王国を砕いたのを見た。そしてその石が成長して大きな山となり全地の表面を覆うのを見た。人手によらないで生まれた石とは、童貞から生まれたキリストではないか。キリストの王国は全世界に及ぶ。 第六の時代は、洗者ヨハネから世の終わりまで。 洗者ヨハネは、天主は石ころからもアブラハムの子孫を創ることができると言われた。ここで全ての国民、民族は石ころといわれている。つまり信仰を模倣することによって、天主は全ての民をアブラハムのことすることが出来る。従って、この石がめの預言も全ての民族と国民に属していた。 7月の聖ピオ十世会の総会での決議の一つに聖ピオ十世会司祭のコンピューターの使用の制限というものがありました。アジア管区長クチュール神父様のもとで、パソコンの所有や使用場所や使用時間の制限が新たに定められ、私も大幅に制限されるようになりました。インターネットではなくとも、私たちはいつも兄弟姉妹の皆様と祈りと信仰で繋がっています!! ただ、メールやコンピューターに関する御返事などが今までよりも遅くなることが予測されます。どうぞ御忍耐とご理解をよろしくお願いいたします。天主に感謝!
天主様の祝福が兄弟姉妹の皆様に豊かにありますように! トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭) |