マニラのeそよ風

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第353号 2006/06/29 使徒聖ペトロとパウロの祝日

ペテロとパウロ


アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。

 天主の御憐れみと御恵みによって、兄弟姉妹の皆様のしもべは今日司祭叙階13周年を迎えました。今日エコンの神学校で新しく叙品の秘蹟を受ける青年達と兄弟姉妹の皆様とともに天主に感謝します。エコンでデ・ガラレッタ司教様から叙階された時以来、天主の御恵みにより聖伝のミサを毎日(聖金曜日など典礼上ミサができない日は除く)捧げることができた御恵みを感謝します。天主の御憐れみにより、マニラの勝利の聖母教会で今晩捧げる歌ミサは、叙階以来4972回目のミサ聖祭となります。この聖伝のミサを今までの全ての御恵みを天主に感謝しつつお捧げします。聖母マリアさまに、天国の諸天使、諸聖人に、また兄弟姉妹の皆様に感謝します。

 さて今回は兄弟姉妹の皆様のご質問にお答えします。お答えは現在オーストラリア聖十字架神学校校長のピーター・スコット神父様です。


■ 質問です

 何故聖ピオ十世会は、新しいミサで洗礼や堅振の秘蹟を受けた人々に条件付きでそれらの秘蹟を施すのですか?


■ お答えします

 既に受けた秘蹟の有効性に疑いが無い限り、司祭が秘蹟を(もしも無効だったならばという)条件付きで施すことは禁止されています。単なる疑いというだけでは充分ではありません。しかし現実的な疑いがある時(つまり秘蹟が無効的に授けられていたという実証的な理由がある時)、それは許されています。何故なら秘蹟が私たちの救霊と聖化のために極めて必要だからです。

 一般的に言って、第二バチカン公会議以後の教会で執行された洗礼の秘蹟の有効性については疑いがありません。何故なら、秘蹟を有効にさせる形相も質料も単純でそのまま残っているからです。(洗礼の秘蹟の「形相」とは、洗礼の時に洗礼を施す者が唱える言葉です。「質料」とは洗礼の時に使う水のことです。)これは新しい神学が、洗礼において霊魂の原罪(成人の場合には自罪をも)を洗い清めるということをキリスト教共同体へ所属する儀式という社会的な概念と取り替えてしまっているけれども、洗礼は有効といえます。司祭が洗礼が何であるかについて間違った概念を持っていたとしても、私たちには司祭が教会がしていることをするという意向を持っていることについて疑いを抱く理由はないからです。

 しかしながら、時にして、質料あるいは形相または教会のしていることをするという意向についてでさえも疑わざるを得ないほどの涜聖的なやり方で秘蹟が施されることがあります。新しい儀式の規則でさえも守られていないような、このような極めて希な場合において、洗礼の秘蹟の有効性を確実なものとするために条件付きで洗礼を施す必要がありうることになります。

 聖ピオ十世会の司教たちは、信徒が堅振の秘蹟を条件付きで施すことを申請する時、そうします。それは秘蹟の有効性について合理的な疑いがあり、その疑いを解決することができない場合に限られます。もしも堅振の秘蹟の時に、聖香油以外の油とかオリーブ油以外の油などが使われていたかもしれないというのがその場合です。何故なら、新しい儀式書ではそれを使うことが許されているからです。あるいは、もしも聖香油による塗油と按手とが同時に行われていなかった場合、または堅振の秘蹟の授与の時に唱えられた言葉に疑問がある場合です。新しい堅振の秘蹟のときに使われる言葉にはいろいろなものがあり、聖伝による形相(「われは十字架のしるしをもって汝にしるしをし、父と子と聖霊との御名によりて、救いの聖香油をもって汝を強める」)が使われなくなってしまっているので、この秘蹟の有効性に関して頻繁に疑問が起こるようになってしまったからです。

【注:聖伝によれば、聖香油とはオリーブ油とバルサムを混ぜたもので、司教によって聖別されたもので、堅振式の時に司教はこれを受堅者の額に塗りながら、「われは十字架のしるしをもって汝にしるしをし、父と子と聖霊との御名によりて、救いの聖香油をもって汝を強める」という祈りを唱える。新しい儀式書によると「たまものである聖霊のしるしを受けなさい」ということばを唱える。】

 そのために聖ピオ十世会の司教たちは願いを受けると堅振の秘蹟を条件付きで施すのをためらわないのです。

外国語サイト リンク http://www.sspx.ca/Angelus/2002_October/Questions.htm
Validity of Protestant and Novus Ordo baptisms より


 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
 聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
 聖ピオ十世、我等のために祈り給え!
 聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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【付記: 堅振の秘蹟についてルフェーブル大司教様はこう言っています】

 堅振の秘蹟もやはり良く執行されていません。今日使われている形相は「我、汝に十字架の印をす、聖霊を受けよ」です。しかし、堅振を授ける人は、それによって聖霊を受ける秘蹟の特別な聖寵が何かを言及しないので、秘蹟は無効です。ですから、子供が受けた堅振の有効性に疑いを持つ、あるいは、自分の周囲で為されていることを見聞きし、無効なやり方で子供に堅振を受けさせたくないと言う両親の望みをいつも叶えています。

 1975年に、私は幾人かの枢機卿たちの前で自分のやっていることを説明しなければなりませんでしたが、枢機卿は堅振のことで私を叱りました。そのとき以来、私が堅振を授けに回ると、マスコミを使って私を非難し続けています。私は、私に有効な堅振を願う信者たちの願いに答えているのです。それは、たとえそれが合法的 (licite)ではないとしてもです。なぜなら、実定法的な教会法が、聖寵の運河となる代わりに天主の自然・超自然の法に対立しているときには、実定法である教会法よりも、天主の自然法と超自然の法が優先されるますが、私たちの生きている時代は、正にその時代なのです。私が時々、通常の態度からはみ出していることをするかもしれませんが、驚いてはいけません。

日本語サイト リンク 『教会がどうなってしまったのか分からなくなってしまった カトリック信者の皆様へのお手紙』 6. 新しい洗礼と婚姻、悔悛と終油の秘蹟 より