第350号 2006/06/06 聖霊降臨の八日間の火曜日
また、汝等の為す総ての説教に於いての改悛のこと、また聖主の、いと聖き御体と御血を享けずば、誰も救われぬことを、人々に教えよ。而してそれが司祭に由って運ばれ、祭壇に献げらるるとき、総ての人々は跪(ひざまず)き、聖主、生ける真の天主に、讃美と頌栄 (しょうえい)と畏敬(いけい)を致せよ。 (アシジの聖フランシスコ)
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アヴェ・マリア!
聖霊来たり給え!
愛する兄弟姉妹の皆様、
お元気ですか。今日はここフィリピンでは天高く聳える青い空と燦然と輝く太陽のとても良い一日でした!
いろいろな励ましのお便りとメッセージをありがとうございました。サーバーの不具合のために何名かの方には文字化けしたメッセージが届いてしまったようです。ご不便をおかけ致します。
万が一文字化けしたメッセージで、「マニラの eそよ風」を読めないと言う時には、恐れ入りますが、 聖ピオ十世会だより「マニラの eそよ風」WEB版 をご参考に下さい。よろしくお願いします。
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5月に、神言会のアントニオ・ジンマーマン神父様がお亡くなりになったそうです。また、ヨセフ松永久次郎福岡司教様が6月2日、脳出血のため、突然天主に召されたそうです。葬儀・告別式は、5日に執り行われました。天主の御憐れみによりこの霊魂らの安らかに憩わんことを!
聖ピオ十世会関連では、カール・プルヴァーマハー神父様(Fr. Carl Pulvermacher)が、5月29日にテキサス(アメリカ)でその霊魂を天主に委ねました。司祭歴56年、聖ピオ十世会と共に26年働いた司祭でした。神父様は1944年にカプチン会に入会し、尊者ソラヌス・カゼイ神父(the Venerable Father Solanus Casey)と共の共同体で修道生活を送りました。1952年に司祭叙階。新しいミサが導入されると、それへの適応で大変苦しみました。共同体以外のミサでは聖伝のミサを捧げていましたが、1972年に適応の仕方が遅いと言うことで叱責を受け、もう一度神学校へ送られました。その後、オーストラリアに送られ、そこで聖伝を守っているカトリック信徒らと出会い、1974年にはシドニーでルフェーブル大司教様と出会いました。
しかし長上から、聖伝のミサを止めるかカプチン会を辞めるかの二者択一を迫られ、三〇年以上もいた愛する修道会を去るのは大変苦痛でしたが、神父様は、信仰のために聖伝のミサを選びました。
マラカイ・マーチンは、その小説 "Windswept House" の中のガットマハー神父(Father Guttmacher)のモデルに神父様を使いました。
1977年には、アンジェルス・マガジンを創刊、1990年まで編集長を務めました。
神父様はいつもこうアドバイスをしていました。
「信仰を深く学んでそれを守りなさい。司祭と修道者は、聖務日課を忠実に唱えなさい。聖伝のミサに与れない時には、主日を聖とすることにベストを尽くしなさい。いつもロザリオを握り、聖母マリアへの信心に忠実でありなさい。」
兄弟姉妹の皆様の神父様の霊魂の安息のためにお祈りをお願いいたします。天主の御憐れみによりこの霊魂の安らかに憩わんことを!
兄弟姉妹の皆様からは、病気で苦しむ方のため、手術を受けた方のため、手術をこれから受けようとする方のため、多くの祈りの意向を受け取りました。心からお祈り申し上げます。
他人の目が怖い、他人が自分をどう思うかいつも気になり不安と不満と自責の念で苦しむ方、私たちはいつかは死ぬ身です。私たちは、他人によってではなく、天主によって裁かれる身です。私たちがそれを知ろうと知らまいと、信じようと信じまいと、天主は、今、ここにいる私を、このままの私を愛して下さって、慈しみ深く恵みを与え、生かして下さっています。このままの私を。
私たちは、他人のまねをして生きる必要はありません。流行を追って生きる必要はありません。私たちは自分が主人公であって、私たちの知性と意志を持って、天主を愛するという一大事業の主人公です。
世界中にいる人間は、本当にいろいろです。天主がいろいろに創られたのですから。私たちはお金持ちだから偉いのでもなければ、物知りだからすごいのではありません。私たちが計られる物差しは、天主への愛、それだけです。
背が高いか低いか、色が白いか黒いか、男か女か、若いか年寄りか、健康か病気か、算数が得意か苦手か、サッカーがうまいか下手か、仕事の要領がいいか悪いか、転職に失敗したか否か、それによって天主が私たちを計るのではありません。そんなのは、どうだっていいのです。天主をすべてに超えて愛するか否か、それだけが問題なのです。他人が私をどう見るかと他人の目で自分を見て、それで悲観したり嘆いたりする必要など、これっぽちもありません。
誤解されたら誤解されたでいいじゃないか。天主は私たちを正しく理解しているから。悪口を言われたら言われたでいいじゃないか。天主は私たちのことを正しく評価されるから。私たちにとって、聖母の汚れ無き御心の御取り次ぎによって、今日のこの日を天主を愛して過ごせば、すべて良し。天主に感謝!
さて今回は、八巻頴男著『アッシジの聖フランシスコ』(大翠書院 1949年)の続き、第三章「聖体の侍者聖フランシスコ」をご紹介したいと思います。愛する兄弟姉妹の皆様にこうやって「マニラの eそよ風」という形でお知らせすることが出来るようにしてくるように、パソコンにタイプ打ちしてくれた父に、重ねて感謝します。
第三章「聖体の侍者 聖フランシスコ」を見ると、私たちの御聖体に対する愛が、どれほど聖人のそれとほど遠いかを思い知らされます。御聖体は愛して愛しすぎることはなく、敬意を払って払いすぎることがありません。
私たちの先祖、キリシタンはいつもこう口癖のように言っていました。
「至聖なる御聖体の秘蹟にましまし給うイエズスは賛美せられさせ給え!」
Lovado seia o Santissimo Sacramento!
私たちも、この栄誉ある祖先を真似し賞賛しなければなりません!
特に、ダ・ヴィンチ・コードなどで私たちの主イエズス・キリストが冒涜され、汚されている現代、私たちはどれ程強く、御聖体にましましたもうイエズス・キリストへの愛に燃え立たなければならないでしょうか! ファチマの天使が牧童たちに教えた祈りを私たちも唱えましょう。
いとも聖なる三位一体、聖父と聖子と聖霊よ、私は御身を深く礼拝し奉る。私は御身に、全世界のすべての聖櫃にましまし給うイエズス・キリストのいとも尊き御体、御血、御霊魂、天主性を御身に捧げ奉る。そは、侮辱、冒涜、無関心によって三位一体が傷つき給う罪を償うためなり。主の至聖なる聖心と聖母の汚れ無き御心の無限の功徳によりて、私は御身に、哀れな罪人たちの回心を乞い求め奉る。
(ファチマで天使が三人の牧童に教えた祈り)
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
アシジの聖フランシスコ、我らのために祈り給え!
聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
アッシジの聖フランシスコ
八巻頴男著 大翠書院 1949年
Jusepe de Ribera. St. Francis. 1643. Oil on canvas.
Palazzo Pitti, Galleria Palatina, Florence, Italy
第 三 章
聖 体 の 侍 者 聖 フ ラ ン シ ス コ
偖(さ)て、吾々はさきの二章に於いて聖フランシスコが聖福音の熱心な行者であり、またキリストの忠誠な騎士であったことを述べたのであるが、それらの問題の考察は、おのづから吾々を、本章の主題たる聖体の問題にみちびきゆく。
抑も、聖フランシスコがキリストを語るとき、特に彼がこの聖体の中に常に現存し給うキリストを心に浮かべていたことはまづ注意させねばならぬ。彼は茲にベトレヘムに於ける御降誕を視、ナザレットに於けるその私生活を偲び、カルブリオに於ける十字架の御苦難を仰ぎ奉ったのである、茲にキリストは常に生き給い、フランシスコはその忠誠なる騎士として日々その玉座に伺候し奉ったのである。従って、このキリストの常にやどります祭壇は、言わば、彼の信望愛の、また彼の思いと行いの秘かなる避所であったのである。かくて、キリストは、聖体に於いて、また聖体に由って、常に、彼の信心の対象となりたまうたのである。それで、聖体は、言わば彼の全宗教生活の中心となったのである。
さきに吾々は、聖フランシスコが騎士的忠誠を以ってキリストに随い奉ったことを述べたが、この態度はそのまま聖体に対しての彼の心構えに移すことができる。従って、聖体に対する信心が、彼に由って従来ほとんど行はれなかった程度にまで強化されたのは少しも不思議ではない。
それは彼の種々なる信心の業の一つであったと言うよりも、むしろ彼の唯一の信心の業であったと言うことができる。言い換えれば、彼の総ての信心の業は之に発し、之に帰したのである。この点は、かのパウル・サバチエすらそのプロテスタント的な種々なる偏見にも拘わらず、認めざるを得なかった所であって、その編せる「完徳の鑑」の脚註に於いて、「聖体の崇敬(すうけい)は、フランシスコの宗教思想の発生に有力なる役割を演じ、それは言わば、彼の信心の中枢であった」と言っている。
叙上(じょじょう)の如く、聖体に対する崇敬は彼の信仰生活の中心であるから、彼みずからが之についてしばしば語ったことは言うまでもない。まづ彼ガ遣わせる数少ない書簡中五通は、正にユーカリステイク文書と名づくべきものであった。またその修道会の掟、遺言、及びその他の勧めに於いても、彼は殆んど枚挙に暇ないほどしばしばこの問題に還り来っているのである。実に、ユーカリステイクな文学の全般に亘って、聖フランシスコの文章ほど美はしく且つ感動的なものはなく、また聖フランシスコほど、聖体について、崇高にかいたものはないとは、棋界の権威の吾々に語る所である。
然しながら、彼は唯だに之をしばしば説くのみではなく、更に聖体に対する彼の熱愛は、おのづから、教会に関する総てのもの、則ち、聖櫃、祭壇、祭服及び祭壇布、ホステイア、また司祭、一言にして言えば、聖体の秘蹟に多少でもかゝはりある総てのものに対する彼の異常なる関心また敬虔(けいけん)となって表れている。
そこで、吾々は、更に、叙上の問題について、少しく細かに論じたいと思う。
まづ、吾々は、この問題に関して、聖フランシスコみづからに聴こう。
吾々は、聖フランシスコの「勧めの言葉」という一遍の冒頭に、「キリストの聖体について」の一章を有するが、それは素朴な筆致で物されていながら、この問題に関して極めて卓れた教理的にして実際的な解説となっている。即ち、聖フランシスコはいう、聖主イエズスはその弟子達にのたもうた「我は道であり、真理であり、生命である。我に由らないで、父に至る者はない。汝等、若し我を識ったならば、必ず我が父をも識ったのであろう。」と。
フイリッポは彼に向って、〔主よ、父を我等に示して下さい。然うしたら我等は事足ります〕と言えば、イエズスは、「我はかくも久しく汝等と共にいたのに、なお汝等は我を識らないのか。フイリッポよ、我を視る人は我が父をも見るのである」とのたまうた。父は近づくべからざる光に住みたまう。天主は霊でましますので、誰もかって天主を見奉りしたことはない。天主は霊でましますので、唯だ霊のみが天主を見奉ることができる。そは、活かすもの霊であって、肉は益する所がない。
然し、聖子は聖父に等しくましますから、聖父に知らないでは、聖霊に由らないでは、誰も之を見奉ることはできない。それで、人性に由って、聖主イエズスを見奉って、霊と神性とに由って、彼が天主の真の聖子でましますことを視且つ信じない者は詛はれる。同様に、パンとブドウ酒の形式の下に、司祭の手に由って、祭壇の上に於いて、聖主の聖言を以って祝別されたキリストの聖体の秘蹟をみて、霊と神性とに由って、誠に、それが我等の主イエズス・キリストのいと聖き体と血でましますことを視、且つ信じない者は総て詛はれる。そは、至高者みずから「之は新約の我が体であり、我が血である。而して我が肉を食い,我が血を飲む人は永遠の生命を有する」とのたまうて、之を証したまうのである。
それで、その信者の裡に住み給う聖主の聖霊、それこそ、聖主のいと聖き体と血とを享(うけ)くる者である。かの霊を有しないで、しかも敢えて之を享(うけ)くる者は、おのが宣告を飲食する者である。然れば、人の子よ、何時まで心頑(かた)くなであるのか。何故、真理を暁り天主の聖子を信じないのか。
視よ、彼は、さきに王座から童貞の胎に入り給うた時さながらに、日々、みずから謙(へりくだ)りたまうのである。日々、彼は卑しい姿を以って、おんみずから我等に来たり給うのである。日々、聖父の懐より、司祭の手に由って、祭壇に降り給うのである。
而して、彼は、真の肉を以って、聖き使徒等に現れたまうように、聖きパンのうちに、おのれを我等に現し給うのである。而して、彼等が、彼の肉の瞥見に由って、彼の肉のみを視奉って、しかも霊眼を以って観じて、彼が天主でましますことを信じたように、我等も亦、肉眼を以ってパンとブドウ酒とをみて、之がいと聖き御体、また生ける、真の御血にましますことを堅く認め信じよう。
而して、聖主は、かくの如くにして、みづから「視よ、我は、世の終りまで、汝等と偕に居る」とのたもうたように、その信者と共にましますのである。と。
偖て、この文を読む者は何人も聖フランシスコが、聖体の秘蹟をキリスト教の中心となせることを認めざるを得ないであろう。かって使徒達がイエズスの人性の面怕の背後に彼の神性を観じ奉ったように、今日、我等もまた、聖体の形色の下に、尊き天主の聖子を認めて、彼を信じ奉るべきである。かってイエズス・キリストが使徒達の間に生きて、実在の人間でましましたように、現在、聖体の中に実在して、我等の間に生き給うのである。
かの時、救はれんがためには、キリストを告白し、彼を愛しなければならなかったように、今日もまた、我等が聖体の天主と結べる信と愛との関係が、我等の永遠の浄福のために、不可欠な要件である。聖体に由って、生き、また聖体と共に、聖体のために生きる人は、キリストに由って、キリストと共に、キリストの為に生きる人である。
「イエズス・キリストは、昨日も今日も、同一にましまして、代々にも亦然り」である。
昨日はガリレアとユデアの野に於いて使徒と共にましまし、今日は全世界の聖(せい)櫃(ひつ)の中に於いて我等と共にましまし、更に世々に天国の諸聖人と共に栄光の中にましますのである。之こそ、聖フランシスコがキリスト教徒の人民に伝えたメッセージである。
更に、聖フランシスコはこのメッセージを人民の支配者に対しても力強く伝えたのである。彼の考えに由れば、キリストは、王の王として、君の君として、聖体の中にましますのである。而して総ての貴き人々はこの王、この君に仕えまつるために召されているのであって、聖主の家の子郎党となるは、王にとって、皇帝にとっても、大なる名誉である。従ってこの世の君はいと聖き聖体に対して特別の崇敬を致し、之を人民の間に奨励すべき使命を有している。之が世の支配者に対して次の書簡を送らざるを得ない理由である。彼は言う、
総ての主権者、執政者、裁判官、すべての国の支配者、またこの書簡の届く他の総ての者に主なる天主に在る、汝の小さく且つ卑しき僕、兄弟フランシスコは、あらゆる安泰と平安のあらんことを祈る。死の日の近づいていることを考え且つさとれ。然れば、我は、能うかぎりの敬意を以って汝等に冀(こいねが)う。汝の有するこの世の配慮と心遣いの故に、聖主を忘れてその誡(いまし)めを破るなと。そは、彼を忘れて、その誡めを破る者はすべて詛はれる。
而して死の日来るとき、汝は有てると想う物を奪われるであろう。而して、この世にて、智慧あり、力あればあるほど、地獄に於いては、いよいよ大なる責苦を忍ぶであろう。然れば、わが君達よ、我が強く汝等に勤むるは、汝等が総ての配慮と心遣いを去りて、彼の聖き憧ひ出でつつ、われの聖主のいと聖き体といと聖き血を、愛を以って享(うけ)くべきことである。而して、毎晩触れ、役あるいは他の微に由って、総ての人民に、全能の主なる天主に、讃美と感謝とを致すべきを報ずるほどに、汝等に委せられ人民を通じて、聖主に敬意をつくせ(下略)と。
かく、キリスト教徒の生活の中心としての聖体こそは、聖フランシスコが絶えず繰り返し説いた所である。彼にとって、我等の聖主イエズス・キリストを信じ、之に仕えまつるとは、聖体を信じ、之を敬い奉ることである。聖体の中にまします、天主にして人にましますキリストこそは、我等の公私の生活に君臨し給うべきである。
君主と人民とのへだてなく、総ての者は、聖体の中に玉座をおき給う王の王のまわりに詰め寄り、その支配を蒙り、その掟に従うべきである、この御支配を認めて、その国の拡張のために働くことこそ、この世の君また民の最高の使命である。
然し、之は誰にもまして、特に聖職者の使命でなければならぬ。従って、聖フランシスコは、更に進んで、聖職者に対してこのことを強調する。
彼は、総ての聖職者に寄せた一種の教会書簡とも言うべき「聖主の聖体の崇敬と祭壇の清潔について」に於いて、次の如く書き送っている。
総ての聖職者よ、われらの聖主イエズス・キリストのいと聖き体と血、またいと聖き御名と聖体を聖別する書かれし聖言についてある人々の有する大なる罪と無智を心に留めて考えよう、聖言に由ってまづ聖別されるに非ずば、聖体の有り得ないことを我等は識っている。また聖体と聖血、また我等が依って以って創られ且つ死より生に贖(あがな)はれし聖名と書かれし聖言の外に、至高者おんみづからについて何も、我等はこの世に於いて有しもせずまた視もしない。然し、かくも聖き秘蹟を執行する総ての者、わけても之を軽率に執行する者は、われらの聖主イエズス・キリストの聖体と聖血とが献けられる祭爵、聖体布、また祭壇布がいかにみすぼらしきかを互いに考えねばならぬ。而して多くの人々は、之を相応(あいふさ)はしからぬ所に置き去りにし、歎かはしき風に持ちはこび、不敬に之を享(う)け、且つ軽率に之を他に執行している。
なお、聖名と書かれし聖言はしばしば足にふみにじられる。そは、「肉的人物は天主の事を暁らない」からである。恵み深き聖主御自身が我等の手におんみづからを引渡し給い、而して我等は彼に触れ、且つ日々我等の口に由って之を享くるとき、我等は、これ等総てに由って、愛にまで振るい起こされぬであろうか。我等もまたいつかは彼の手に陥るを識らないであろうか。然れば、我等は総てこれらの、また他の過失を直ちにまた断然改めよう。而していづこにあれ、われらのいと聖き御体が不当な様におかれ且つすてられてあらば、之をその場所より取り除き、之を貴き場所におき且つ隠くまわねばならぬ。同じ様に、聖名と書かれし聖言が汚れし所に見出されなば、之を集めて適当な場所におかねばならぬ。而して我等は総てこれらのことを、特に聖主の命令と聖き母なる教会の掟に従って守らねばならぬ。之を為さざる人は、審判の日に、われらの聖主イエズス・キリストの尊前に於いて申し開きを為さねばならぬと識れ。而して、之をよく守らせるために、この書き物を公にする者は、聖主に祝福されると識れ。と。
勿論、かくの如く、彼が、平信徒や教区附司祭に対して熱心に説いた真理は、その修道会の兄弟達が他に勝って遵奉すべき所であって、折に触れ、彼は絶えず之に言及しているが、特に彼が、その晩年、みづから出席できなかった総会に対して書き送った書簡に於いては、その全心を傾倒して、兄弟達に訴えている所である。そこで我等はその大要を引用してその教に聴こう。
然れば、兄弟達よ、我は、足の接吻を能(あた)うかぎりの愛を以って、汝等総てに切願する。天に在るもの、地に在るものを、全能の天主に和睦せしめ且つ和合せしめ給う我等の聖主イエズス・キリストのいと聖き御体と御血とに対して、汝等の能うかぎりの畏敬(いけい)と尊敬を示せと。また、我は、至高者の司祭であり、あらんとする、またあらんと欲する、わが総ての兄弟達に、主に在りて冀(こいねが)う。彼等が禰撒(ミサ)を挙げんと欲するとき我等の聖主イエズス・キリストのいと聖き御体と御血の真の犠牲を、聖き汚れなき意向を以って、正しく、清く、恭々しく為せ。しかも地上の事物のためでなく。また人の意に適はんとするが如くに、ある人をおそれ、あるいは愛するためでもなく、之を為せと。然れど全能者の聖寵の支え給うかぎり、至高の聖主御自身のみの意に適うことを冀って、その全意志を彼に向くべきである。そは、彼みずから「わが記念として之を行え」と、のたまいし如く、彼のみ、そこにて、その心のままに働き給うのである。若し、誰かが別様に之を行うならば、裏切者ユダと成りて、聖主の御体と御血を犯すのである。わが兄弟なる司祭達よ、モイゼの律法に、肉体的に之を犯す者は、容赦なく、聖主の宣告に由りて死すべしと誌されしことを憶い起せ。まして、天主の聖子をふみにじり、おのれが由って以って聖とせられし契約の血をなみし、聖寵を与え給う聖霊をあなどる者の蒙るべき刑厳のきびしさはいかばかりであろう。
実に、人は、使徒の言える如く、キリストの聖きパンを他の食物あるいは業より区別せず、あるいは相応はしからぬ様に之を食し、あるいは相応はしくとも、空しく相応はしからぬ様に之を食するとき、天主の恙を汚し且つふみにじるのである。則ち、聖主は、預言者に由りて「聖主の業を偽りて為す者は、詛(のろ)わるべし」とのたもうた。而して彼は、之を心に留むるを欲しない司祭等を「我は汝の祝福を詛(のろ)わん」と言って罰し給う。
わが兄弟達よ聞け、若しも聖き童貞マリアが、そのいと聖き胎に彼をやどし奉りしが故に、かくも相応はしく敬われ給うとすれば、また洗者聖ヨハネが震いおののきて、敢えて天主の聖者の御頭に触れなかったとすれば、またしばし彼が息い給いし御墓が敬われるとすれば、まして「天使も之を鑑みることを欲する」死にまさずして、永遠に征服者また讃えらるる者にまします御者に、手を以って触れ、心と口とを以って之を取り、且つ他に取らせんとして之を与うる者は、いかに正しく、聖く、且つ相応はしくあらねばならぬことであろう。
司祭なる兄弟等よ、汝の尊厳を考えよ、而して彼は聖くましますが故に。聖くあれ。而して聖主にまします天主が、この秘蹟の故に、総てに起えて、汝を敬い給う如く、汝もまた、総てに越えて、彼を愛し、敬い、且つ尊みまつれ、汝がかくも近くに、彼を有しながら、この世の他の物に心を寄するは、大なる不幸であり、且つ歎かしき弱みである。生ける天主の聖子が祭壇に於いて、司祭の手中にまします時、総ての人はおのゝき、全世界は打ちふるい、天は歓び喜ぶ。
嗚呼讃うべき高揚よ、おどろくべき卑下よ、至高の謙遜よ、謙遜なる至高よ、宇宙の主、天主また天主の聖子は、我等の救いのため、かよわきパンの形色の下に隠れ給うほど、みずからを卑下し給う。
兄弟達よ、天主の謙遜を視て、彼の御前に汝の心を注ぎ出せ。汝等も亦、彼に高められんがため、謙れ。汝等に全くおのれを与え給う彼が、汝等を全く受け入れ給わんがため、汝みづからのため、何もみづから保つな(下略)と。
実にこの愛の言義についてかく語り得るのは、聖ヨハネの如く、聖体の天主の御胸に倚りかかって、ためらうことなく、無限の愛の源泉に心ゆくばかり汲みとった人のみである。
然しながら聖フランシスコは、唯に、その兄弟達に聖体に対する崇敬を勧めるのみを以って満足しなかった。勿論、彼等はみづから聖体の崇敬を愛し且つ高揚しなければならぬ。然し、更に彼等は、その全力を傾倒して、聖俗いづれを問はず総ての人々の前に於いて、聖体の崇敬の使徒とならねばならぬ。
フランシスコは、その修道会の総ての修道院長に対して書き送った書簡に於いて、この義務を説き、而して彼等を通じて、その修道会の全員に訴えている。彼は言う
我は、我みづからにかかはること以上に、汝等に冀う。汝等が適当且つ有益と考えるとき、われらの聖主イエズス・キリストのいと聖き御体と御血、聖名、また聖体を聖別する書かれたる聖言を、万事に超えて尊みまつれと、謙遜に、聖職者に懇願せよと。祭爵、聖体布、祭壇の装飾、また禰撒にかかわりある総ての物を、彼等に貴き物として取扱え。また、若しも、いづこにか、聖主のいと聖き御体がみすぼらしき様におかれてあらば、彼等は、聖会の命令に従って之を貴き所におき、封印しておけ。また、いと恭々しく之を持ちはこび、慎重に之を他に授けよ。聖名また書かれた聖言が汚れし所に見出されたば、彼等は之を集め、相応はしき所におけ。
また、汝等の為す総ての説教に於いての改悛のこと、また聖主の、いと聖き御体と御血を享けずば、誰も救われぬことを、人々に教えよ。而してそれが司祭に由って運ばれ、祭壇に献げらるるとき、総ての人々は跪(ひざまず)き、聖主、生ける真の天主に、讃美と頌栄(しょうえい)と畏敬(いけい)を致せよ
また、総ての人々が、常に、鐘の鳴るとき、遍く全地に於いて、全能の天主に讃美と感謝とを常にささぐるように、総ての人々に、この讃美を伝え且つ説け。
また、この書を受取り、之を写して身近に保ち、また説教の務めと兄弟等の世話の務めを有する兄弟等のために之を写させ、この書に含まれし総てのことを終りまで説く、わが兄弟、総ての修道長は、聖主にまします天主と我との祝福を享(うけ)くると識れ。而して、真の聖き従順に由ってかくあれ。アーメン。と。
偖(さ)て、これら、聖フランシスコみづからの文章は、彼がいかに、その兄弟等に聖体の宣教者たらんことを要求したかを示しているが、また之は、初代の彼の直弟子等の物した伝記の保証している事実である。之は、彼以前の時代に於いて、全く識られなかったことであって、多くの聖堂が廃頽(はいたい)に帰し、祭壇の聖体がしばしば軽々しく、取扱われ、また聖俗を問わず多くの人々に顧みられなくなっていた時代に、聖フランシスコは、その円卓の騎士たる兄弟等を聖体の十字軍に招集したのである。かくて、彼は、言わば、我等の聖主の親衛兵を編成して、聖体に於いて常に我等の間に現存し給う救世主に仕えまつり、その栄光のために働こうとするのである之こそ、聖フランシスコが、その兄弟等に与え、而してその忠誠なる兄弟等が相次いで代々伝えていった理想である。
聖フランシスコの古い伝記は、彼がいかに廃頽した聖堂の修理に心を砕いたか。また彼がいかに司祭を敬ったかを伝えているが、之等はみな彼が万事に超えて聖体のキリストを尊み奉る心根に発しているのである。彼は、聖体のキリストが常に現存します聖堂、聖櫃、また聖体にかかわりある総ての物が、粗末に取扱われているのを視るに堪えなかったのである。フランシスコの心根を汲みとることが出来ない人々は、おのれを持するに当っては、かくもきびしい清貧に終始した彼が、聖堂、またその中に在る聖体に関する総ての物に関するかぎり、いかに之を壮厳にしてもなお物足らぬ思いをしていた事実を視て、むしろ怪訝の念を懐くかもしれぬが、反って、彼が、至高者が聖体として常住まします聖堂は、いかに人力をつくして之を壮厳化しても、なおその尊厳に相応わしくないと感じたほどである。また、彼が司祭を尊んだことも、同じ心持に発するのである。この事については、次の章に於いて詳論するが、聖体にその手を以って触れる司祭は、その職責の故に他のいかなる被造物に勝って尊むべきものであったのである。
フランシスコに発する、聖体に対するこの態度こそは、フランシスコの生活の根本をなせるものであって、彼等は聖体を中心とする生活に終始し、各々その資質に従ってその特徴を発揮し、教会の生活を豊かにしたのである。
例えば、聖フランシスコの霊的息女であるアッシジの聖クララについて、チエラノのトマスはかく伝えている、彼女は、聖体の秘蹟に対していと大なる愛を有していたので、大病に身動きができなくとも、起き上らせて、座布団に身を支えさせた。
彼女はかかる姿勢で働いて、五十枚以上の薄布の聖体布を仕上げて、之を絹布と緋布の袋に入れ、山や谷の彼方の、アッシジの周辺の聖堂に送った。彼女が聖体拝領の準備をするや、熱き涙は彼女の顔を濡らし、また彼女が聖卓に近づくや、天地に君臨し給う天主に思いをはせて、大いにふるいおののいた。と。
また、聖フランシスコの後を継いでその修道会の総長となったジオバンニ・パレンテイは、西紀1230年の総会に於いて、天にも地にも聖体に勝ってかくも恭々しく尊まれるべきもののないことを説いて、之を象牙あるいは銀のチボリウム(聖体器)に丁寧に保存して聖櫃に収むべきを命じている。このフランシスコ会の伝統を承けて、パドゥワの聖アントニオは聖体の奇蹟の行者として聞こえ、ラティスボンのベルトルドは聖体の説教者となり、またフランシスコ学会の光明たるハレのアレキサンドリア、聖ボナヴェントゥラ、ドン・スコトゥスは聖体の神学者として卓れ、聖パスカル・バイロンは聖体の業また信心会の守護聖人と認められたのである。
要するに、小さき兄弟の修道会は、我等の聖主の聖祭の擁護者となり、また普及者となったのであて、之こそ、正に、フランシスカン的なものである。若しも、聖フランシスコとその兄弟等がキリストの騎士たる召(おぼしめし)を蒙っているとすれば、彼等はまた聖体の僕また使徒たるの任務を佩(お)びているのである。
(第三章終わり)