第349号 2006/06/03 聖霊降臨の大祝日の前日
騎士殿よ、空しいかな、負い革、剣、また拍車のきらめきよ。今後汝は、負い革を縄帯に、剣をキリストの十字架に、拍車を塵芥に代えねばならぬ。我に従え、然らば我は汝をキリストの軍隊の一兵士になそう。 (アシジの聖フランシスコ)
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アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
ついに明日は聖霊降臨の大祝日ですね。聖霊来たり給え!
ダ・ヴィンチ・コードでは、中世の騎士会のうちで最も古い聖堂騎士会(俗に「テンプル騎士団」と呼ばれています)について全くの讒言とウソを述べていました。では本当の騎士の姿とはどのようなものだったのでしょうか?
私たちは、今回「マニラの eそよ風」で、キリストの騎士(Miles Christi)たるアシジの聖フランシスコを見てみましょう。修道的騎士とは、キリストの選士(Le Champion de Christ)であり、イエズスの戦友(Compagnon de Jesus)なのです。キリストに対する愛から、キリストの戦士となって、その聖主のために戦う人々なのです。騎士道の本質的特徴は愛です。すなわち愛の奉仕です。
正にアシジの聖フランシスコは、キリストへの愛故に、キリストの騎士となり、強く極めて清純な愛の歌をキリストに歌い、真の騎士の冒険的功業への熱情に燃えたのでした。聖フランシスコは、心をつくして聖主イエズスを愛し、彼の回心の時から死に至るまで、その言葉をつくしてキリストを讃え、そのあらゆる業に於いてキリストを崇めつつ、キリストの思い出に生きたのです。
アシジの聖フランシスコは、天主なるイエズス・キリストの聖名をきけば、その魂は愛のために溶け去り「天地は天主の聖名に跪(ひざまず)くべし!!!」と叫んだものです。
聖フランシスコは、十字架に釘付けられた救世主の御苦難に与りたいとの願いに燃えて、霊肉の苦業に身を委ねたのでした。これは、キリストの騎士として、その主君なるキリストに従って、世を贖(あがな)うための御苦難の大業に与ることをこいねがう騎士的憧れの発露でした。キリストのために、キリストを愛するために、自らも苦しみ、自らの血を流すこと、キリストの聖杯の中の聖なる御血の中に、自分の血潮を混ぜること。つまり聖フランシスコは、本当の意味での「聖杯の騎士」の生涯を追求したのです。
聖フランシスコが「キリストの騎士」として「聖杯の騎士」として生涯の最後に願ったことは、ただ二つのことだけでした。
(1)私たちの主イエズス・キリストがその苦難の際に耐え忍び給うた御苦悩を出来る限り自分の霊肉に於いて味うこと。
(2)私たちの主イエズス・キリストが、私たち罪人のために、みずから進んで十字架の辱(はずか)しめを選び給うたその聖愛を出来るかぎりその心に感ずること。
そしてその祈りは聞き入れられ、聖フランシスコは聖痕を受けたのでした。その時から正に、聖フランシスコは「十字架に釘付けられ給える天主の生き写しとなり」イエズス・キリストと共に十字架に釘付けられて「十字架に釘付けられし人」となったのです。
さらに全身健康な部分が一つもないほどの病苦に苦しみ、その激痛の苦しみの中で、喜びながら、天主への従順と愛と甘美を歌ったのでした! その苦しみの中で、おのずからその口からは讃美の歌がほとばしり出たのです。それが、かの有名な「太陽の歌」でした。
おお、今、アシジの聖フランシスコが、冒涜で満ちたダ・ヴィンチ・コードの話を聞いたら、悲しみのあまりその胸は張り裂けいたことでしょう!
では、八巻頴男著『アッシジの聖フランシスコ』(大翠書院 1949年)の第二章をご紹介したいと思います。これを愛する兄弟姉妹の皆様にこうやって「マニラの eそよ風」という形でお知らせすることが出来るのは、実は私の父がこの本をパソコンに一々タイプ打ちしてくれたお陰でもあります。改めて、父に感謝します。
天主様の祝福が豊かにありますように!
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
アシジの聖フランシスコ、我らのために祈り給え!
聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
アッシジの聖フランシスコ
八巻頴男著 大翠書院 1949年
Jusepe de Ribera. St. Francis. 1643. Oil on canvas.
Palazzo Pitti, Galleria Palatina, Florence, Italy
第 二 章
キ リ ス ト の 騎 士 聖 フ ラ ン シ ス コ
抑(そもそ)もイエズス・キリストは聖福音の中心にましまし、聖福音は言わば、聖主の御人格に於いては、生ける現実である。従って、聖福音を遵守するとは、言うまでもなく、イエズス・キリストをその生活の中心となし奉るとの謂うである。
偖(さ)て、聖福音の行者聖フランシスコが、キリストをその生活の基調となし奉ったことは言を俟たない。而して聖フランシスコと聖主との関係の特異なる点は、彼が言わば、キリストの騎士であって、真に騎士的な思いと方法を以って、キリストに仕え奉り、且つ彼をまなび、彼を愛し奉ったことに存している。
一体、キリスト教徒の生活は常にキリストの軍隊に於ける軍務と考えられていた。異邦人の使徒聖パウロはキリスト教徒の生活を語るに当って、しばしば軍事に類比を求めて、総ての使徒に「キリストの善き軍人」たるべきことを要求している。更に降って、聖イエロニモ、聖アウグステイヌス、またその他の教父達は好んで修道者をキリストの兵士という名称を以って呼んだ。また西欧の修道生活の太祖ともいうべき聖ベネデイクトはその修道者に呼び掛けて、なんじは我意をすて、兵士としてわれらの主、真の主にましますキリストに仕え奉るため、いと強く且つ誉れ高い従順の武具を取った。と言っている。
偖て、聖ベネデイクト及び彼以前の人々は修道者をばローマの軍隊に於ける意味の兵士とみなしたが、十字軍の時代の人々の間では修道者のうちに、聖主の貴き臣下(Vassal)にして「天主の英雄」(heros de Dieu)たる騎士を認めた。而してかっては単に歩卒を呼ぶに過ぎなかったMilesなる語そのものが、今や騎士の意味に用いられるようになっていた。而して、聖地に於いて、聖主に対する熱情は十字軍士の間に高度に赤熱せられたので、かっての世俗の騎士は、今や、キリストの酌取(L'echanson)また騎士たらんがため、総て栄光をすて、われらのために死に給えるキリストの臣下(La vassal de Christ)たらんことを心から願ったのである。
かくて、キリスト教徒の騎士達は、漸次その理達を達せんがため、一個の修道的騎士会を組織するに至った。茲に於いて、騎士としてキリストに仕えるという観念が一般に力を得て来たことは言を俟たない。これらの騎士会のうちで最も古い聖堂騎士会の掟は、修道的騎士をキリストの選士(Le Champion de Christ)またイエズスの戦友(Compagnon de Jesus)と呼んでいるのが、かって世俗的動機から騎士となりし者は、今や、キリストに対する愛から、キリストの戦士となって、その聖主のために戦うのである。
偖(さ)て、かゝる考えは、そのまゝ、聖フランシスコの生活に当てはまるものである。吾々は、前章に於いて、彼の騎士的性格について述べる所があったが、その回心以後、彼は、その天与の騎士的なる素質の総てを ――――名誉への憧れ、横溢せる精力、金ばなれのよさ、大胆不敵さ、きびしい思いと行動を―――― キリストの騎士として、その聖主の御用に全く供し奉ったのである。かくて、かつては、世の人々を悦ばし高位と権力を獲らんとのみ心砕いたフランシスコは、今やキリストの騎士としての義務を識って、之を実践することの外、何等の関心も有しなくなっていた。
まづ、彼は、キリストの貧者中の貧者たる癪病人に仕えねばならぬと考えた。一体、信仰心の篤(あつ)い中世人は、癪病人のうちに、悩める救主の御姿を認めた。従って、フランシスコにとっては、キリストの騎士の最も美はし、職務の一つは、癪病人をたすけることであると考えられた。彼みずからが、その遺言にはっきり言っているように、聖主おんみずからが、彼をこの不幸な人々の間に導き給うたのである。
はじめ、彼等の醜い姿は、フランシスコにとっては、視るさえいとわしいものであったが、間もなく彼はおのが召命を省みて、獨語し、なんじはおのれに打ち勝つことができなければ、キリストの騎士ではないであろう。と言い、次いで彼等をいだきて、之に平和の接吻を与えたと伝えられている。その後間もなくして、聖主は聖ダミアノの聖堂の十字架像を通して、その意志を示して、フランシスコよ、なんじは、わが家の倒れんとするのをみない。いざ往きて、わが為に之を修理せよ。とのたまうや、フランシスコは快く之に応じて、主よ、悦んで之を致しましょう。と答えて、すぐに命ぜられた業に取りかゝるのである。蓋し彼は主の命に応じて戦いに出る騎士の如く、その進むべき道の難易も考えず、またその堪うべき犠牲も暈らずして、ただちに聖主の召し出しに応ずるを名誉と心得ていたので、その生涯の一歩一歩に於いて、唯だその主なるキリストの命令のまにまに進みゆくのみである。
更に、彼は絶えず聖主のため英雄の死を遂げんとの憧憬に燃え、キリストの為め殉教することができなかったことを深く悔やんだのである。
終に、重いいたつきは 次その肉を触み、更に聖痕の痛みはいよいよ増し加はって、旅に出るを不可能ならしめ、その使徒的活動をはばむに至るや、彼は人の肩に頼りながら、町々や村々をへめぐりて、人々にキリストの為、十字架を負うべきことを説くをやめなかったのである。彼はその生涯の終りに近づいても、その兄弟達にむかって、
兄弟達よ、いざ天主に仕えはじめよう。今まで吾々は殆どあるいは全く進歩する所がなかったから。
と言って,相も変らず霊魂の救いのために働かんとの熱願に燃え、且つその親しい癪病人のよき伴侶たらんと渇望してやまなかったのであるが、これらの布教的活動を促すものに、単なる布教心というよりも、キリストに対する騎士的奉仕の熱情であったのである。
また彼は、みずからが常に主なるイエズス・キリストに示したる、かの騎士的慇懃の情のうちに、絶えずその兄弟達を薫陶するのであった。而してその修道会に新しく迎え入れる者に対しては、彼等が将にその身を投ぜんとするかの新しい騎士道について諄々と説くのであった。
かってアッシジのフラテ・エジデイオが入会を希望したとき、フランシスコは彼に、
わが愛する兄弟よ、天主はいと大なる聖寵を汝に与え給うた。若しも、皇帝がアッシジに来って、その住民の一人をその騎士あるいは侍従に任ぜんとするならば、その人は大なる悦びを感じないでいられようか。
況(いわん)や汝が天主に由って、その騎士また至愛の臣下に選ばれしならば、更にいかほど大いに、汝は悦ぶべきであろうか。
といった。
また別の日に、フランシスコは、リエテイに於いてタンクレデイ家の若き一騎士が、凛然たる物の具にその身をかため、彼に流し眼をなげつつ、馬上ゆたかに過ぎゆくを視て、之に話しかけ、
騎士殿よ、空しいかな、負い革、剣、また拍車のきらめきよ。今後汝は、負い革を縄帯に、剣をキリストの十字架に、拍車を塵芥に代えねばならぬ。我に従え、然らば我は汝をキリストの軍隊の一兵士になそう
と言った。すると、その騎士は直ちに地面に降り、フランシスコの新しい騎士道に召し入れられた。之はフラテ・アンジエロ・タンクレデイの回心の物語である。
之こそ、総ての新しい誓願者がキリストの聖なる騎士として、フランシスコ会に入るに当って懐いた心持である。かくの如く、フランシスコは常に、その兄弟達の眼前にキリストの騎士の理想を提示して、之を以って彼等を魅しさったのである。
彼は、しばしばその新しい修練者に、キリストの信仰の為に雄々しく戦ったシャルル・マーニュ皇帝の勇士ローラン及びオリビイエ、またその他の戦士の功業を語って、之を奮起せしめ、またアーサア王の円卓の騎士に言及しては、悦ばしげにその兄弟達を顧みて、これぞ、わが円卓の武士たる兄弟なれと叫ぶのであった。
かくの如く、彼はみずからがキリストの騎士たらんことを念願したのみではなく、更に、彼に従う兄弟達も、その熱情,帰依、剛毅(ごうき)及び寛大に於いて、世俗の騎士に劣らざる者として、聖主えの奉仕に挺身すべきことを要求したのである。
抑も、騎士の主なる義務は、家臣として主君の召し出しに、誠心誠意を以って応ずることに存する。騎士たることの誉れは忠義なる臣下(homo legalis)たることに存する。忠義なる家臣は、常にその主君と共に戦いに出で、危うきにも死にも決して君側を離れず、之に仕うる覚悟を有する者である。かかる忠誠こそ、天主に対する忠誠とおなじく、決して失はれてはならぬものである。一騎士に対して発せられた言葉に、必ずも絶えず忠誠なれ。そは、天主は忠誠の宝玉を重んじ給い、裏切りをいとい給うからである。とある。
騎士にとって、不忠呼ばはりをされるほど大なる侮辱はない。謀反即ち忠誠の義務を破棄することは、騎士たるの資格を棄てることを意味し、言わば、彼をして死罪に相応はしきものたらしめ、且つ彼を地獄の劫火に焼かるゝ悪魔の群れに投ずるものである。それと同様に、主たるキリストの召命に誠心誠意を以って呼応し、聖主に従って進むことこそ、霊的騎士の第一の義務である。
キリストは彼に従うこの騎士をば、決して、彼に従って諸々の国人の血腥(ちなまぐさ)い争闘に出でよとは招き給うのではない。王の王にましまし、主の主にまします彼は、平和の君として、剣をこぼち、人々を悩ます暴力を封ぜんがため来り給うのである。而して彼はその騎士を、罪、悪魔、及び世俗に対する霊的戦闘に召し出し給うて、彼の信仰、心理、及び徳の剣を以って装い給うのである。
我地に、平和を持ち来れりと思うことなかれ。我が持ち来れるは、平和に非ずして刃なりとは彼のときの声であり、更に彼は之に付け加えて、この霊的戦に於いて、主君の「我に従わざる人は我に応はざるなり」とのたまうのである。
キリストはわれらの導き手、また全き模範と成り給うた。彼は、吾等に先立ち、「御跡を慕はしめ給はんため、吾等に例を貽し給う」たのである。常に彼は、我は世の光なり。我に従う人に暗黒を歩まず。却て生命の光を得ん。
我、汝等に例を示したるは、我が汝等に為しゝ如く、汝等に為さしめん為なり。とのたまえて、吾々にその義務を思い起させ給うのである。キリストの騎士に選ばれし者にとって、地上に於いて之に勝って高き完徳はない。
そは、天主は、予知し給える人々を、御子の状にあやからしめんと予知し給えり。是、御子が、多くの兄弟の中に長子たらん為なりである。従ってキリストの騎士たる者は一歩一歩聖主に随って進み、我は生くと雖(いえど)も、もはや我に非ず、キリストこそ、我に於いて活き給うなれと言い得るまでに、おのれの裡 (うち)にキリストの全生命を再現すべきである。
偖て、聖フランシスコは、みずからがさながら騎士の如く、キリストの御跡に従いゆくべきものなることを深く確信し、断然この真理を宣明し、且つその行為を之に一致させることに心を砕いた。彼は絶えずその兄弟達に聖福音の実践を勧めると共に、聖福音が生ける現実となれるイエズス・キリストの人格と模範を説いてやまなかった。聖フランシスコは、その物せる原始の掟に於いて、兄弟達の掟と生活は之である。即ち、従順,貞潔、無所有に生き、吾等の主イエズス・キリストの御教と御跡に従うことである。と述べ、また、西紀1221年の掟に於いては、この勧めを新たにして、然れば、吾等のために、聖父に祈りて、吾等に聖名を示し給える御者の御言葉、御生活、御教及び聖福音を守ろう。
然れば、吾等の創造主、吾等の贖(あがない)主(ぬし)、また吾等の救主のみを愛せんとの一つの願望、一つの意志のみを持とうと言っている。また彼はある総会に臨み、聴け、わが主、わが子、またわが兄弟よ、而してわが言葉を理解せよ。汝の心の耳を傾けよ。天主の聖子の御声に従え。汝の心をつくして彼の誡 (いましめ)を守れ。全力をつくして彼の勧めに従え、彼は善にましませば、彼におのれを委せよ。汝の業に由りて彼を讃えよ。彼が汝を全世界に遣はし給いしは、汝の言葉と汝の業に由って、彼を証しせんがためである。と訴えている。
また聖フランシスコは、他の場合に聖主のまなびについて語って、わが兄弟達よ、みなは、その羊の救いのために十字架の御苦難を苦しみ給うた善き牧者を考えよう。聖主の羊達は悩みにも、迫害にも、恥辱にも、飢えにも、渇きにも、病にも、誘惑にも、またその他の試練にも彼に従った。而して彼はこの忠誠に由って、永遠の生命を獲得したのであると言っている。
更に、彼はその瀕死の床より、聖クララとその姉妹達に次の書を送って、その最後の意志を伝え、
小さき兄弟フランシスコは、生涯の終りまで、われらの至高の主イエズス・キリストとそのいと聖き御母の清貧を学び奉らんと欲する。わが貴女達よ、我は汝等は常にこのいと聖なる生活と清貧に従って生きんことを願い且つ勧める。と説いている。
かくの如く、キリストの騎士聖フランシスコは、最後まで聖主に従い奉らんと努めたのである。
チエラノのトマスは、その第一伝記には於て、彼の至上の志、主なる願望、また究意の意図は万事に於いて、万事を通じて、聖福音を遵守し、あらゆる配慮をめぐらし、あらゆる努力を傾倒し、あらゆる憧憬をつくし、あらゆる熱心をこめてわれらの主イエズス・キリストの御教に随い、御足跡に倣うことにあった。彼は熱心なる黙想に由って彼の御言葉を想い起こし、いと聡明なる考察に由って彼の業を記憶に喚び起した。と言って、之を証している。
人生のあらゆる状態に於いて、思いと意志とに於いて、行為と功業に於いてイエズス・キリストをまなび奉ること、また力強く、絶えず死に至るまで忍耐強く彼に倣い奉ること、之ぞ、聖フランシスコの生活の秘密である。彼は、大なることに於いても、小なることに於いても、内的生活の指導に於いても、外的生活の指導に於いても、救世主に肖(あやか)り奉らんとつとめた。
ドイツのゲレスはその「トルウバドウル詩人アッシジの聖フランシスコ」に於いて。使徒時代以後、聖主が、一歩一歩彼に随いゆき、その総ての模範に於いて彼にならい、その魂の全力をつくして彼を慕いし者を見出し給いしとせば、それこそかの熱情の天性フランシスコであって、彼は常にみずからを神的光明に曝して、唯だにその光を反映するのみではなく、更にみずから光りかがやく火となったのである。と言っている。
之はまた、ビザのバルトロメオがその著「聖フランシスコと吾等の聖主イエズス・キリストとの一致について」に於いて描いた所であって、その記述は多少ナイーブで誇張的な所はあるが、大体に於いて事実に一致する姿であると言える。この指導観念はかの美はしき「小さき花」の冒頭にある。
第一に考うべきは、栄光ある君聖フランシスコは、その生涯のあらゆる行為に於いて至福なるイエズス・キリストに一致せしむることである。という一句に明らかに示されている。
チエラノのトマスは、その第二伝記に於いて、彼について、私は祝福されしフランシスコを、聖主の聖性のいと聖き鏡、また完徳の影響と考えると言い、更に聖ボナヴェントゥラは、神の人は、その活動的生活の業に於いてキリストに倣い奉りし如く、彼は、世を去る前に聖主の御苦難の悩み苦しみをいだき奉りて、おのれを聖主に似せ奉った。
その過去の生活のいときびしきにも拘わらず、十字架を負い奉らんとの彼の熱心とそれに伴うその肉体の衰弱とにも拘わらず、彼は少しもひるむことなく、なおも殉教せんとの勇気にいよいよ力ずけられたのである。そは、甘美なるイエズスのために焼きつくせる愛の火はいよいよ力ずけられたのである。
そは、甘美なるイエズスのために焼きつくせる愛の火はいよいよ燃えさかっていったのであると言っている。
キリストに対するフランシスコの燃ゆる愛こそは、言はば、聖主の御跡に従いゆきて、その騎士の務めを果たさんとの彼の熱心を燃やした炉であった。騎士の他の本質的特徴は愛、すなわち愛の奉仕であるが、之こそ吾々がアッシジの聖フランシスコに視る所である。彼は生来愛に溢れる人であるが、彼がキリストの騎士となった以後は、その地上的愛をキリストに転じたのである。而して茲よりかくも強き、しかもすばらしくも清純な愛の歌と、真の騎士の冒険的功業への若々しい熱情は生まれたのである。
三人の伴侶の聖フランシスコ伝はこれを証して、彼は、心をつくして聖主イエズスを愛し奉りて、その回心より死に至るまで、その言葉をつくして之を讃え、そのあらゆる業に於いて之を崇めつつ、その思い出に生きた。天主の聖名をきけば、彼の魂は溶け去り、「天地は天主の聖名に跪(ひざまず)くべし」と叫んだと言っている。また彼は、おそらくおのれが出席出来なかった総会に対して、
汝等は、イエズス・キリストの御名の発せらるるを聞かば、地に跪きて畏(おそ)れと敬いとを以って之を崇めよ。そは、彼の御名はいと高き天主の聖子の御名なればなりと書き送っている。
更に、吾々は、チエラノのトマスがいかにも感動的言辞を以って語る所を聴こう。彼と共に生活せし兄弟達は、イエズスの話がいかに毎日、また絶えず彼の口頭に在り、また彼のそぞろに語る所のいかに優しく且つ甘美であり、またその談話のいかに優しみと愛とに満ちているかを識っている。
その心に溢るゝようにその口は語り、照らされし愛の泉は彼の全心に充ち溢れ出た。
なお、彼はイエズスと共にあって、心にもイエズス、口にもイエズス、耳にもイエズス、手にもイエズス、またその他の肢体にも常にイエズスを担(にな)っている。嗚呼(ああ)、彼は食事の際イエズスのこと聞き、その聖名を呼び、また彼のことを思うては、その肉の食物を忘れて、視れども視ず、聞けども聞かざることがいく度であろう。またしばしば旅の道すがらイエズスのことを思いめぐらし且つ唄っては、その旅を忘れ、万物をイエズスの讃美に招くのであるまた彼はその祈りに於いて救世主に完き愛の恩寵(おんちょう)を与え給はんことを請い求めて、嗚呼、主よ、我は汝に祈り奉る。燃ゆる蜜の如く甘美なる汝の愛の力が、天が下なる万物より、わが心を逸らしめ給はんことを。これ、わが愛の愛に由って死に給いし、嗚呼、汝よ、汝の愛の愛に由って、わが死なんがためなりといっている。
聖フランシスコは、特に、聖主の御生涯の二大主義すなはちその御托身と御苦難とに深い関心を寄せていた。それは、チエラノのトマスが、殊に、御托身の謙遜と御苦難の愛とは全く彼の記憶を占めていて、殆ど何も考うることを欲せざりし程であったと言える通りである。
従って嬰児(みどりご)イエズスの御降誕は、彼みずからが、この日に、天主は嬰児と成り給うて、女の乳に由って養はれ給うのであるから、祭中の祭である。と言って、他の総ての典礼に勝(まさ)って、得も言われぬ悦びを以って祝うを常とせし所である。
殊に、彼がその逝去の三年前にグレッチオで行った御降誕の祝いは、印象深くその伝記の伝うる所であって、当時その祝いに列せし人々は茲にベトレヘムの夜の再現を視し思いがしたと言われている程である。
更に、キリストの御苦難は、フランシスコが一種の親しみと熱い帰依(きえ)とを以って尊みし所であって、チエラノのトマスはそのフランシスコ伝に於いて之に言及して、神の人は、その私的並びに公的生活に於いて、全く聖主の十字架に傾倒した。而して彼が十字架に釘づけられ給いし者の騎士になりし時以来、彼の裡(うち)には十字架の様々な神秘がかがやいていたと述べている。
偖て、彼が世を退いて、退修のしじまの中に天主との交わりをはじめた頃のことであるが、ある日のこと、十字架に釘付けられ給えるイエズスは彼に現れ給うた。之を視てフランシスコの魂は溶け去り、また救世主の御苦難は彼の心にいと深く刻印されて爾来(じらい)、その十字架の死を思う毎に、彼は殆んど涙に得堪えず、また嗚咽(おえつ)を禁ずる能(あた)はざりし程である。と、ボナビエンチユラはその聖フランシスコ伝に述べている。
更に二年を経て、すでに言及した聖ダミアノの聖堂に於ける十字架のキリストの御像より発せられた御言がある。その時以来、彼の生活は全き転回を遂げたのであるが、チエラノのトマスに之を語って、この時以来、十字架のキリストに対する同情は彼の聖き心に刻み込まれ、その時、聖痕はその肉に印せらるゝに先立ち、彼の心に深く彫りつけられたと考えられる。(中略)爾来、彼は涙に得堪えずして、彼が常にその眠前に視奉りしと思はるキリストの御苦難を大声に嘆き悲しんだ。彼は道すがらその哀歌をこだませ、キリストの御傷に思いをはせては、慰めらるるを欲しなかった。と言っている。
なお、その後ほどなく、彼がポルチンユクラに至る道すがら嘆き悲しんでいる姿を視て、一人の友が何を悲しむか問うたとき、聖フランシスコは、私は、わが聖主の御苦難を悲しむのです。そのためには、私は全世界を嘆き廻るをも恥ない。と答え、やがてその友も深い感動に打たれ、彼と悲しみを共にしたことが伝えられている。
かくして、聖フランシスコは、いよいよ、みずからも、十字架に釘付けられ給える救世主の御苦難に与らんとの願いに燃やされて、霊肉の苦業に小息みなく身を委かすやうになった。従ってその苦業は、単に苦業のための苦業でなく、また肉を制するための苦業でもなく、寧(むし)ろキリストの騎士として、その主君なるキリストに従って、世を贖(あがな)うための御苦難の大業に与らんことを冀う騎士的憧れの発露であったのである。
更に十字架に対する彼の熱愛は、彼をして外的にもキリストの騎士に相応はしからんと冀はしめた。彼が、十字架の微を示す衣を身に纏いまた十字架の微であるタウ(T)を言わばその紋章として之を手紙の捺印やその私室の装飾に用いたのもその訳である。
なお、聖フランシスコにとっては、聖主の御苦難を想起せしむる総ての物は親しみ深いものであった。彼は特に羊を愛していたが、それは、彼に、天主の羔(こひつじ)イエズス・キリストを思い起こさせるからである。
かくしてキリストの御苦難に対する聖フランシスコの熱愛は、いよいよ昂まりゆくのであるが、そのクライマックスはその生涯の最後を飾る聖痕である。「小さき花」の伝える所に由れば、聖十字架の頌(しょう)栄(えい)の祝日に、彼はその死ぬ前に、二つの恩寵を与え給んことを天主に祈った。
即ち、その第一は、聖主がその苦難の際に耐え忍び給うた御苦悩を能(あた)うかぎりその霊肉に於いて味うことである。
また第二は、聖主が、吾々罪人のために、みずから進んで十字架の辱(はずか)しめを選び給うたその聖愛を能うかぎりその心に感ずることである。
それで、聖フランシスコは、この二つの恩寵を得んがため、モンテ・アルビエルニアに退いて、永い祈祷に身を委せ、且つキリストの御苦難を深く観想したのである。而してかく祈りつづくるほどに、彼は、聖主が熾天使(セラフィム)の姿を以って彼に降り給うを視たのである。然るにこれと同時に、彼は、その手足に釘の痕、胸に槍の傷痕を印せられたのである。かくて「その時以来、彼はおどろくべき前代未聞の不可思議に由って、十字架に釘付けられ給える天主の生き写しとなり、」イエズス・キリストと共に十字架に釘付けられて「十字架に釘付けられし人」となったのである。
然し、フランシスコは、その手足及び胸の傷のはげしい痛みに悩まされるのみでは満足出来ず、更に新たな苦痛を冀ったのである。そは、彼は、聖主の御苦難の徴を身に佩(おび)ひながら、その御苦しみを心ゆくばかり味はゝぬは、キリストの騎士たるに相応はしからぬと考えたのである。やがて彼はこの祈りはきかれて、彼は健やかなる所は一つとして残っていないと考えられるほど烈しい苦痛を伴う各種の病苦に悩まされ、彼は、言わば、正真正銘の殉教の苦しみを経験したのである。
その苦痛のいかに大なりしかは、チエラノのトマスが伝うる次の物語が切実に吾々に示している。
とかくする程に、その病はいよいよ慕って、能力は全く衰え力つきはてゝ、少しも動くことが出来なくなった。而してある兄弟に、「あなたにはいずれが望ましいですか。かくも永引くこの疾病に耐ゆることですか、また刑吏の手に於けるきびしい責苦を忍ぶことですか」と問はれたら彼は答えて、
「子等よ、主なる天主が、私の中に、また私につきて為し給うことは、常に私にとって何よりも懐かしく、何よりも甘美にして快きものであったし、今もなお、然うである。
而して私は、万事に由って、常に、唯だ天主の御意志に一致し且つ之に従順ならんことを願うのである。然しながら、いかなる責苦の代わりにも、この病を三日間も耐えることは、私にとっては更に辛いことである。私が之を語るには、功績を数え上げるためではなく、私の苦しめる苦難の辛さのためである」
と言った。
嗚呼殉教者よ、真の殉教者よ、総ての者には眼に視るさえいと痛ましく且ついと難きことを、笑いながら、また悦びながら、いと快く耐えし者よと。
然しながら、かくきびしい肉の苦悩にも拘わらず、彼の魂はいよいよキリストとの一致に深まりゆき、おのずからその口からは讃美の歌がほとばしり出たのである。
かの妙に美はしき「太陽の歌」がこの時の作であることを思うとき、苦悩に於いても、歓喜に於いても全くキリストに一致し、さながらキリストに化せられた彼の姿に吾々は唯だ感嘆する外はない。要するに、聖フランシスコの一生は、さながら「キリストのまねび」(Imitatio Christi)の具現であって、彼は生きるにも死ぬるにも全くキリストに一致し、言はば、正真正銘の聖杯の騎士の生涯を送ったのである。
(第二章終わり。この項、続く。)