第346号 2006/05/30
アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
お元気でいらっしゃることと存じます。ソウルでの5月のミッションはいつもの通り忙しく、あっという間に終わってしまいました。今月のハイライトは、毎年恒例の5月の聖母行列でした。
ソウルの「無原罪の御宿り」の聖堂で、5月28日(土)には、お昼の12時から夕方6時まで聖体降福式がありました。この聖体降福式と翌日の聖母行列は、いつもの意向に加えて、今回は特に、
(1)ダ・ヴィンチ・コードによって犯される冒涜の罪を償うため、
(2)今年の5月5日にソウルの明洞聖堂(カテドラル)で公式に行われ報道された仏教儀式という天主の十戒の第一戒に背く罪を償うため、
(3)5月31日の選挙で良い指導者が韓国のために選ばれるため、
という意向で捧げられました。
また土曜日は雨の降っている中を、聖母行列の準備のために聖母のおみこしに花を飾り、主日に臨みました。天主のお恵みにより、主日は良い天気に恵まれ、ミサ聖祭の後、上の3つの意向で、聖母行列をいつも通りすることが出来ました。聖母マリア様から、韓国には多くの恵みが注がれたことでしょう。
さて前回の「マニラの eそよ風」では報告し落としてしまいましたが、5月21日の東京でのミサ聖祭の時に、聖ピオ十世会のイロイロにある修練院のための特別献金で、 25,830円が集まりました。寛大なご援助を感謝します。私からもそれに数千円を添えて、合計3万円を修練院長様にお渡し致します。ありがとうございました。
また、大阪の玉造教会のファチマのジオラマですが、規模は小さくなったものの、教会正門脇に再建されいる、とのことです。丘の大きさは1/2ぐらいになったものの、羊飼いとかも健在、とのことです。天主に感謝! 天主の御母聖マリアに感謝!
最後に、5月27日(土)未明発生の「インドネシア・ジャワ島地震」の被災者の方々のためには、心からお見舞いを申し上げます。兄弟姉妹の皆様の被災者のためのお祈りをお願いいたします。
さて、今回の「マニラの eそよ風」では、マリアン・ホーヴァット(Marian T. Horvat, Ph.D.)の書いた『ダ・ヴィンチ・コード:冒涜の仮説とデタラメな歴史』The Da Vinci Code: Blasphemous Thesis and Bad History をご紹介します。これは、以前ブログ、Credidimus Caritatiに掲載したもので、完全な訳ではありませんが、クチュール神父様からアジア管区の兄弟姉妹の皆様に直接英語のものが送られたので、それを補う意味でご参考までに日本語でお送りします。
良き聖母聖月をお過ごし下さい。
天主様の祝福が豊かにありますように!
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
聖ヨゼフ、我らのために祈り給え!
聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
ダ・ヴィンチ・コード
冒涜の仮説とデタラメな歴史
The Da Vinci Code: Blasphemous Thesis and Bad History
Marian T. Horvat, Ph.D.
この冒涜は全世界であまりにも宣伝され注目を浴びた。ここで私たちの主イエズス・キリストが冒涜されて、黙っているのは正義が許さないだろう。私たちカトリックは、この本を拒否しなければならない。
何故なら、ダ・ヴィンチ・コードにおいては、私たちの主イエズス・キリストが天主ではないからだ。イエズス・キリストは単なる人間にすぎないからだ。
このフィクションによれば、イエズス・キリストは、ダヴィドの王家の極めて優れた男であるが、天主ではない、マグダラのマリアと結婚しこの地上の王座とソロモン王のように、王家の血統を残したいと考えた、キリストが十字架につけられた後、妊娠していたマグダラのマリアはフランスに逃げ、キリストの子孫はメロヴィング朝王家の元となった、この血統は今日でも続いているが、敵から隠されていなければならない、その敵とは男性支配社会のカトリック教会である、カトリック教会は権力を握り続けるために嘘の歴史を作り上げた、云々。全く荒唐無稽な話だ。
ダ・ヴィンチ・コードは、冒涜とデタラメの極みだ
ダン・ブラウンによると、マグダラのマリアが中世に何故人々があれほど「聖なる杯」を求めていたかを理解する鍵となる、何故なら「聖なる杯」とは2000年前にキリストが最後の晩餐で最初のミサ聖祭を捧げたその物質的なカリスではなく、キリストの王家の血統のことだ、ということになっているからだ。マグダラのマリアがキリストの血統を運ぶカリス(杯)である、というのだ。
ダン・ブラウンの想像によると、カリス(杯)というのは、古代において女性のシンボルだったと主張する。ブラウンによると聖杯は、神聖な女性のシンボル、フェミニズムのシンボル、となる。ブラウンはそこで中世の教会がマグダラのマリアを売春婦と「見なした」とする。それはキリストが元来望んだ地位に女性がつくことを防ぐためであった、とする。
ブラウンによると、マグダラのマリアを頭とする平等な教会をキリストは望んでいた、ことになっている。何故ならマグダラのマリアが「神聖な女性的原理であり女神(divine feminine principle and goddness)」であるからだ。ブラウンがこれによって何を言わんとしていたのか私たちには分からない。彼はそれを説明しようともしないからだ。ただコンスタンティン皇帝によって公認されたカトリック教会は「女性を従属させ、女神を追放し、不信者を焚刑にし、異教を禁止した」ということで間接的に「女性の原理」を描写するだけだ。
まったく歴史的な証拠もなく、読者はそのような「歴史の秘密」を聞かされ、それを信じるように期待されている。歴史はカトリック教会の「陰謀」だった。マグダラのマリアの血統を隠しつづけようという陰謀だった、という「秘密」だ。ブラウンはマグダラのマリアの血統がシオンの修道院(1099年創立)の秘密兄弟会によって数世紀にわたって守られてきたとフィクションする。
ファンタジーは続く。このシオン修道院は、テンプル騎士団(the Order of the Knights Templar)を成立させた秘密結社であり、創立の最初の九名の騎士はキリストとマグダラのマリアとの血統に関する秘密文書を密かに入手することが出来た(!)、そしてこの秘密文書はエルサレムのソロモンの神殿に隠されていた(もうめちゃくちゃ!)、そこでテンプル騎士団がそこを本部とした。中世の十字軍の理想も、じつはテンプル騎士団の目的を遂行させるためのカバーアップだった(!)、とされる。
テンプル騎士団については、多くの学術論文や研究書がある。中には極めて批判的で否定的な著者も存在している。しかしこの騎士会がマグダラのマリアの骨と「王家の血筋」を守るために創立された、などというのは全くの空想でありおとぎ話、荒唐無稽なデマに過ぎない。ブラウンは、しかし、今まで隠されていたマグダラのマリアの「遺物」がパリのルーブル博物館の大ピラミッドの下に隠されている(!)と言う。(あまりにもくだらない)
もしも本物の聖女マグダラのマリアの聖遺物を崇敬したいのなら、フランスのヴェズレー(Vezelay)というところにある修道院とバジリカに存在している。マグダラのマリアは、私たちの主イエズス・キリストの御復活の後、ユダヤ人達の迫害があまりにも厳しく、ガリア(フランス)のマッシリア(マルセイユ)に逃れてきた。聖女はマルセイユの近くのサント・ボームという洞窟で苦行の生活をして一生を終えた。彼女の聖遺物は、ヴェズレーにある聖女に捧げられた大聖堂に運ばれ、そこで彼女の取り次ぎにより、多くの奇蹟がおこった。中世の間、有名な巡礼地となった。
ダ・ヴィンチ・コードは、ここがおかしい! ダン・ブラウンの説は、冒涜であるばかりか内容が自己矛盾している。
ブラウンはマグダラのマリアが「神聖な女性的原理であり女神(divine feminine principle and goddness)」であると主張するが、何故、神聖な(divine)存在になり、女神(goddness)となったか、というとその理由は自分の胎内にイエズス・キリストの種を運んだからだ、と言うことになっている。しかしブラウン自身はイエズス・キリストが天主であることを否定している。もしイエズス・キリストが神でないなら、何故マグダラのマリアが女神(goddness)となることができるのか?
もしもキリストのおかげでマグダラのマリアが神となったなら、イエズス・キリストも神なのではないか??
ダ・ヴィンチ・コードは、ここがデタラメ! ダン・ブラウンの説は、冒涜であるばかりか基本的歴史的事実に反している。
ダン・ブラウンは今までの過去の歴史はすべてが「勝利者」によって書かれているので、覇権的・特権的・男性的利益の観点から書かれている、従って、全歴史を見直す必要があると主張する。「歴史家」が自分の望むようなことを除いて、すべての現実を否定し、すべての歴史を書き換える、これが彼の立場だ。ブラウンは事実や真理は存在しない、と言う。だから事実や真理に基づく歴史は存在しないと言う。
ブラウンの愚かさは、例えば西暦三二五年に開催されたニケア公会議が、イエズス・キリストを「単なる人間」から「天主の聖子」と変えたと主張することだ。これなどは、それ以前は、イエズス・キリストを天主であると考えていた人はいないかのような主張だ。ブラウンは、それ以前の三世紀の間、イエズス・キリストのみが天主であると宣言し恐るべき迫害で殉教していった数百万のキリスト者たちの流した血を全く無視している。
ニケア公会議以前、初代教会の教父たちは、イエズス・キリストが天主であることをくり返しくり返し説いていた。アレクサンドリアの聖クレメンテは一九〇年にこう書いている。
「キリストのみが、同時に天主であり人間である。そしてキリストは私たちのすべての良きものの源である。」
ニケア公会議はローマ皇帝によって招集されたかもしれないが、約二五〇名の司教らがそれを指導した。そしてキリストの天主性を否定したアリウスを排斥・断罪した。ブラウンはアリウスは賛否両論で票が割れたと主張するが、事実はアリウスを支持して投票した司教は二名だけだった。これが歴史的事実だ。ブラウンが捏造することとは全然違っている。
ブラウンは、イエズス・キリストとマグダラのマリアとの結婚と平等主義の教会について、グノーシスの福音に基づく、と主張している。ブラウンによれば、キリスト教とはグノーシス教会の腐敗変形したもの(!)で、元来のグノーシス教会では女性神を礼拝していた。彼は、本当に言いたい放題! まずあたかもグノーシスが統一教義を持っていたかのようにブラウンは考えている。これは歴史的事実に全く反している。
グノーシスは、極めて多種多様で数多い汎神論的なセクト・カルトで、キリスト教以前に栄えていたが、紀元後三世紀に復活しだして現代に至っている。グノーシスは基本的に、物質が霊を悪くさせるもの、物質=悪、霊=善、と考える。そして全宇宙は神が物質により悪化したもの、と考える。
グノーシスの「福音」には色々あるが「フィリッポの福音」によれば「この世は罪によって存在し始めた」とある。グノーシスは物質の悪を克服して、霊に戻ることがすべての存在の目的であると説く。中には女性神として「母」や「智恵(ソフィア)」と呼ばれる原理を説くものがある。しかしそれらは、グノーシスの一部だ。ブラウンの主張は、グノーシスがすべて女性神を礼拝すると主張する点で、グノーシスを歪曲している。
聖書学者はこの点で一致しているが、グノーシスの「福音」と呼ばれるものは、キリスト者の信仰を反映するものでは全くなかった。グノーシスの書物はキリスト者によって、廃棄され、無視されていた。最近になって発見された「福音」と言われるものは、皆、古代のゴミ捨て場から出てきたものだ。
フェミニズムの先頭を行く「神学者」と言われるような人々やシスターも、キリストとマグダラのマリアとの結婚やグノーシスの福音について歴史的信憑性は全くないと主張している。
私たちが今もっている四福音書は正真正銘の歴史であると、教会教父らによって既に二世紀には証明されている。(もしも、それに少しでも虚偽があったら、ユダヤ人達はそれみよがしに、それを指摘して突っ込んでいただろう。しかし彼らはそれが出来なかった。
(Carl Olson and Sandra Miesel, The Da Vinci Hoax (San Francisco: Ignatius Press, 2004)
従って、ブラウンの主張は全く根拠がない。
【ダ・ヴィンチ・コードのカトリック教会に対する讒言】
ダ・ヴィンチ・コードは、カトリック教会が反女性的であるとし、カトリックは中世に七百万人の魔女を焼いたと言う。しかし事実は最近の研究が明らかにしているように、一四〇〇年から一七〇〇年の間に四万人(四百万ではなく単に四万)が魔女・魔法使いといて処刑されたと考えられているが、その多くはプロテスタントによって処刑された。中世には魔女として処刑された人々は殆どいない。
Jenny Gibbons, "Recent Developments in the Study of the Great European Witch Hunt", #5, Pomegranate (Lammas, 1998)
ブラウンはテンプル騎士団が奇妙な秘密の始まりをもっていたと主張するが、真面目な歴史家でテンプル騎士団のそのような始まりに関する文書や証拠を見つけた人は一人も存在していない。ダ・ヴィンチ・コードによると、テンプル騎士団がゴチック建築を発明し、オカルトのシンボルをそこに密かに埋め込み、異教の神々を礼拝した、と主張する。ダ・ヴィンチ・コードによると、テンプル騎士団は教皇クレメンテ五世によって解散させられ、テンプル騎士団員数百名を焼き殺しその灰をティベル河に投げ捨てた、そのために騎士団はフリーメーソンと姿を変えて今日に至る、と主張する。これは全くの作り話だ。
テンプル騎士団はまず、イスラム教徒から迫害を受けていた聖地にいるキリスト教信者を助け聖地を保護するためにあった。彼らは建築家ではなかった。
アヴィニョンの教皇であったクレメンテ五世ではなく、フランスのフィリップ五世がテンプル騎士団に対立し、彼らに対して異端や魔術の告発をしていた。そしてフィリップ五世の下で、拷問などが実行され哀れテンプル騎士団の中には偽りの自白をしたものもあったが、後にそれを撤回している。学問的な研究の成果は、テンプル騎士団が異端集団だったという証拠はない、ということだ。しかしフィリップ五世は、優柔不断なクレメンテ五世に圧力をかけ、その解体を迫った。
教皇クレメンテ五世がテンプル騎士団の会員を焼いた灰をティベル河に投げ捨てたというが、ローマあるいはイタリアのその他の都市でテンプル騎士団の会員が焼かれたという記録は存在していない。ただしフィリップ五世の下で、パリとフランスのその他の都市で合計すると百名以下の会員が焼かれたことはある。
テンプル騎士団の住んでいたところは、ソロモンの神殿の下の古い馬小屋の中ではない。彼らはアルアクサというイスラム寺院の隣のテンプル山(Temple Mount)の上に立つ王宮の一部に住んでいた。
以上のようにブラウンの描く「歴史的事実」まったくデタラメであり、彼は単に反キリスト教、反カトリックのフィクションを書いているとしか言いようがない。
ダ・ヴィンチ・コードが描く秘密結社
ダン・ブラウンはバラ十字架団、フリーメーソン、その他の秘密結社のシンボルや儀式についてあまり知られていない情報をダ・ヴィンチ・コードに織り込んでいる。幾つかは本当のことが記載されているがその殆どはデタラメだ。そのためにどこからどこがウソでどこからどこまでが本当か混乱を引き起こさせている。
例えばブラウンはヒエロス・ガモスと言われる異教の性的乱交秘密酒神祭ともいうようなものが秘密結社には存在しているという。これについては信頼のおける研究家らによってもかつて秘密結社において存在したし、現在でも存在しているという。しかしダン・ブラウンはテンプル騎士団の「秘密儀式」の一部にそれがあったとウソをつく。
シオン修道院のグランド・マスターの「秘密文書」に載せられたリストであるが、そこにあげられている人々はかなりの数が様々なオカルト団体と関わっていたらしい。ただし彼らが、存在していなかったシオン修道院という一つの団体に関わっていたというのはナンセンスだ。
(Robert Richardson, "The Unknown Treasure: The Priory of Sion Fraud and the Spiritual Treasure of Rennes-le-Chateau", Houston, TX: NorthStar, 1998.)
例えばアイザック・ニュートンは、オックスフォードの「見えない学寮」(invisible College)の一部だった。
ヴィクトル・ユーゴーは、秘教主義と聖なる女性の伝説に巻き込まれていた。しかし彼らがすべてフィクションのシオン修道院という一つの団体に所属していた、というのは現実ではない。
ダ・ヴィンチ・コードによると、バラ十字架団、フリーメーソン、その他の秘密結社などが一つの現実であるかのように描かれている。しかし現実は全く違う。これらの悪の勢力はカトリック教会とキリスト教世界に反対して闘う時だけは一致するが、そうでなければ互いに相争っている。
ブラウンはこれらの秘密結社らを常に良いものとして描き、それに平行してカトリック教会を悪として描いている。革命的現代人は善を悪として受けいれ、悪を善として考えるのか? ダ・ヴィンチ・コードはそのような現代人に、キリストが天主であるということを否定するように暗示している。だから世界中のマスメディアは、これを促進し宣伝し、囃し立てているのだ。
ダ・ヴィンチ・コードは冒涜的な性格を持っているために私たちはこれに対して抗議する。
The Da Vinci Code:
Blasphemous Thesis and Bad History
Marian T. Horvat, Ph.D.
【訳者より】
天主の御母聖マリア、マグダラの聖なる痛悔女マリア、私たちの主イエズス・キリストの十字架の下に佇もう。イエズス・キリストの側に立ち、天主に祈ろう。またベロニカのように、償いの布をイエズス・キリストに捧げよう。
私たちは映画『ダ・ヴィンチ・コード』を制作した SONY に対して憎しみを抱くものではない。しかしこの小説と映画はあまりにも反キリスト教的なものであるので、私たちは決してこれを見ないようにしよう。その時間とお金があれば、私たちはダ・ヴィンチ・コードでなされる多くの冒涜に対して罪の償いを果たそう。特に私たちの愛する同胞である日本の兄弟姉妹の方々が、その巧妙に提示された虚偽に騙されることのないように祈ろう。