マニラのeそよ風

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第327号 2006/02/04 司教証聖者聖アンドレア・コルシーニ

ベネディクト16世
教皇ベネディクト16世

「教会の真の改革は、議論の余地のないほど否定的な結果に導いた
誤った道を捨てることを前提とする、と明確に認識されるべきである。」
(ヨゼフ・ラッツィンガー 1975年)

アヴェ・マリア!

 愛する兄弟姉妹の皆様、
 お元気ですか。

 前回は、2005年12月22日の教皇ベネディクト十六世の訓話について、この訓話についての聖ピオ十世会のフランス管区の分析をご紹介しました。

 ベネディクト十六世の教皇職はどのようなものになるのか、を考える上で大変興味深いものですので、今回もそれを取り上げるのをお許し下さい。現在、私たちにとって必要なことは、現実を見つめることです。真っ暗闇、あるいはバラ色の色眼鏡で色づけされた思い込みではなく、ありのままの現実の姿をそのまま認識することです。出来る限り客観的な現実主義を失うことは、信仰を保つ上で、私たちにとって致命的なことであると言えます。ありのままの姿を認識できないことは、その後の私たちの行動の過ちへと繋がるからです。

 今回はベネディクト十六世の訓話の日本語訳をご紹介します。そしてベネディクト十六世と聖伝のミサというテーマを取り上げたいと思います。今回の内容については、「日本語サイト リンク マニラの eそよ風 (第275号)」もご参照下さい。

 聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!  天主様の祝福が豊かにありますように!

 トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)



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教皇ベネディクト十六世の
ローマ・クリアへのクリスマスの挨拶

2005年12月22日(抜粋の日本語訳)

 今年の最後の出来事として、今回、私の注目を留めたいと思うのは、四十年前にあった第二バチカン公会議閉会の記念です。これを思い出すことは、次の疑問を提示します。第二バチカン公会議の結果はどうであったのか? 公会議は正しいやり方で受け入れられたのか? 公会議の受け入れにおいて、何が肯定的であったのか? 何が不足していたのか? 何が間違っていたのか? 何かまだやり遂げなければならないことが残っているのか? 教会の広大な諸部分において、公会議の受け入れはむしろ難しいやり方でなされたということは、だれにも否定できません。たとえ教会の大博士である聖バジリオがニケア公会議後の教会についてなした描写を、第二バチカン公会議後のこの時代に起こったことに適応するつもりはないにしてもです。実に聖バジリオはニケア公会議後の状況を嵐の暗闇における海戦にたとえています。彼は特にこうも言います。「互いの不一致のために相互に反対し合う人々のしゃがれた叫び声、理解不可能なおしゃべり、絶え間なく続く大声での叫び合いの混乱した騒音は、その後、ほとんど全教会を満たし、やりすぎ、あるいは欠如によって、信仰の正しい教義を誤らせている・・・。」(De Spiritu Sancto, XXX, 77; PG 32, 213 A; SCh 17bis, p. 524). 私たちはこの劇的な描写を第二バチカン公会議以後の教会の状況に当てはめようとは思いません。しかしながら、公会議後に生じた何らかのことは、この描写にやはり映し出されています。そこで疑問が生じます。それは、何故第二バチカン公会議の受け入れは、教会の大部分において、現在に至るまでそれほど難しいやり方でなされたのか? という疑問です。

 全ては、第二バチカン公会議の正しい理解(juste interpretation)の現実によります。言い換えると、私たちが今日言うような表現で言えば、その正しい解釈(juste hermeneutique)、読みと適応の正しい鍵によります。受け入れの諸問題は、二つの相反する解釈が対立し、衝突し合ったことから生まれました。一方の解釈は混乱を産み、他方は静かにしかしますます目に見えるしかたで、実りを産みだしたし産みだしています。一方で私が「不連続と断絶の解釈(hermeneutique de la discontinuite et de la rupture)」と呼びたいと思う解釈が存在します。これはマスメディアと、また一部の現代神学者たちの共感にしばしば寄り頼むことができました。他方で「改革の解釈(hermeneutique de la reforme)、私たちの主が私たちに与え給うた教会の、唯一の主体たる教会の連続性の内における刷新の解釈、が存在します。これによれば教会は、時において成長し、発展する主体でありますが、歩み続ける天主の民という常に同一の唯一の主体です。

 不連続の解釈は、遂に第二バチカン公会議以前の教会と第二バチカン公会議以後の教会との間の断絶によって終わる危険があります。この解釈は、第二バチカン公会議の文書はそれ自体では、まだ公会議の精神の本当の表現ではない、と断言します。それによれば公会議の諸文書は、全会一致の採決を得るために、その中にもう不要となった古くさいことをまだたくさん取り入れ繰り返し述べなければならなかった、妥協の産物にすぎないとされます。しかしそれによれば公会議の真の精神が現れるのはこれらの妥協においてではなく、その反対に、テキストの文字の後ろに現れる革新への跳躍の中である、とされます。この革新への跳躍こそが、公会議の真の精神を代表するのであって、これらのテキストから、そしてこれらのテキストに適合するように、前進しなければならない、とされます。まさに公会議文書は、公会議の真の精神とその革新を不完全なやり方でしか反映していないとされるので、勇気を持って文書を越えていく必要がある、まだ明確に区別されていないけれども、公会議の最も深い意向が表現されているような革新に場所を譲るべきだとされます。要するに、公会議文書の文字面に従うのではなく、その精神に従うべきである、と言います。こうして明らかに、この精神とはどう定義されるのか、と自問する余地を残すことになります。従って、ありとあらゆる幻想に場所を譲ることになります。

 しかしこのやり方では、その根底において、公会議それ自体の本性をよく解釈していません。このやり方によれば、あたかも一種の憲章であるかのように、古い憲法を廃止して新しい憲法を創ったかのように考えています。しかし、憲章(憲法)には発案者が必要であり、発案者側の確認、つまりこの憲章(憲法)がそのためにある国民の確認が必要です。公会議の教父達にはそのようなものを創る権利がありません。そのようなことを誰も彼らに与えたこともないし、そもそも誰もそのようなことを与えることができません。何故なら教会の本質的憲章は、私たちの主に由来するからであり、それは私たちが永遠の生命に到達することができるために与えられたのであり、この観点からして時における生命そして時間それ自体をも照らすことができるためだからです。司教たちは、彼らが受けた秘跡を通して、私たちの主の賜物の管理人であります。彼らは「天主の神秘の管理人」(一コリント4:1)であって、管理人として彼らは「忠実で賢い」(ルカ12:41-48)ものたらねばなりません。これは彼らは正しいやり方で主の賜物を管理しなければならない、という意味です。それはその賜物が隠された場所に留まることがなく、むしろ実りをもたらすために、また主が最後に管理人に「おまえは少しのことに忠実であった、おまえに多くのことを任せよう」(マテオ25:14-30、ルカ19:11-27)と言うことが出来るためです。聖福音のこれらのたとえにおいて、忠実性の激動性(ダイナミックさ)が表明されています。これは主への奉仕において重要であり、これにおいてこそ、公会議中にどのようにして激動性と忠実性が一つとなったが明らかに現れてもきています。

 不連続の解釈に対して、改革の解釈が対立しています。これはまず教皇ヨハネ二十三世が1962年10月11日の公会議開催の訓話において表され、続いてパウロ六世が1965年12月7日の公会議閉会の訓話において表明したとおりです。私はここでヨハネ二十三世の有名な言葉だけを引用することにします。その中で、曖昧さを許さずに、この解釈が表現されています。ヨハネ二十三世は言います。公会議は「純粋で完璧なやり方で、軽減することも変形させることも無しに、教義を伝えることを望む」のであり、「私たちの義務は単に、あたかも私たちが骨董品だけに気をとられているかのようにこの貴重な宝を保全するのみならず、強い意志を持ち恐れなく、現代が要求しているこの務めに専心することにあります。・・・この確かで不動の教義が忠実に尊重されるべきであり、それが深められ現代の要求に合うしかたで提示される必要があります。実に、信仰の遺産、つまり私たちの敬う教義において含まれている諸真理と、これらの真理が表現されるやり方とを、同じ意味と同じ内容を保ちつつも、この両者を区別しなければなりません (S. Oec. Conc. Vat. II Constitutiones Decreta Declarationes, 1974, pp. 863-865)。

 定められた真理を新しいやり方で表明するように取り組むことは、この真理に関する新しい考察と、真理に対する新しい生命的関係を要求することは明らかです。また新しい言葉は、表明された真理の意識的な理解から生まれるのでない限り、成熟することはできませんし、他方で信仰に関する考察はこの信仰を生きることを要求するということも明らかです。この意味で、ヨハネ二十三世によって提示されたプログラムは、忠実性と激動性との合一がそうであるように、極めて多くを要求するものでした。しかしこの解釈が、公会議の受け入れを指導した動向を示したところでは、新しい生命が発展し、新しい実りが熟しました。公会議後四十年、私たちは肯定的な点のほうが、1968年以降数年もの動乱において現れることができたものよりも、より大きくより生き生きしていると明らかにすることができます。

今日では、第二バチカン公会議の良い種が、確かにゆっくりとした成長ではあるが、それでもやっぱり、育っています。また公会議によって達成された事業への私たちの深い感謝も大きくなっています。

 しかしパウロ六世は、公会議閉会の訓話において、不連続の解釈が説得力を持つようにみえる別の特別な動機を指摘しました。現代を特徴付ける人間に関する大論争において、公会議は特に人間学のテーマに専念しなければならなかったし、一方で教会と信仰との関係について、他方で人間と現代世界との関係について自問しなければならなかった、と指摘したからです (ibid. pp. 1066, sq)。この問題は、「現代世界」という一般用語を使う代わりにもっと正確な言葉を選ぶならもっと明確になります。つまり公会議は、新しいやり方で、教会と現代との関係をはっきりさせるべきであったのです。 ・・・

--------引用終わり---------


 さて、私たちは、教皇様が次のことを認めているのが分かります。

(1) 第二バチカン公会議の受け入れには問題があった。

(2) 受け入れに問題があったのは、二つの対立する解釈があったため。つまり「断絶の解釈」と「改革の解釈」である。「断絶の解釈」は公会議文書の文字ではなく精神に従うべきだとする。従って、主観主義的であり、幻想的だ。

(3) 「断絶の解釈」の根本に、公会議を新しい憲法を作る会議であるかのように考える誤りがある。公会議の本性は新しい憲法を作るための国会ではない。教父たちは管理者であって、天主の神秘の所有者ではない。

(4) 「断絶の解釈」は取るべきではない。


 私たちはここで『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』(メッソーリ著 ドン・ボスコ社)の中で、1984年に教理聖省長官時代に述べていたこと、いや既に1975年に第二バチカン公会議閉会十周年に当たってのスピーチの内容そのままであることが分かります。

 『信仰について』から、幾つかのポイントを引用してみます。


(1)第二バチカン公会議の受け入れには問題があった。

【第二バチカン公会議以後、教会には問題が存在する】

「この二十年間(英語とフランス語ではそれぞれ last ten years, les dix dernieres annees 十年間となっている。日本語の訳は誤りだろう)が、カトリック教会にとって決定的に不利であったということには議論の余地がない。」(40ページ)

【公会議後の問題は、真の危機である】

「今、私が詳しく明らかにするように、私の診断では、それは治療を施し治癒しなければならない真の危機である。」(46ページ)

【公会議後の危機は、カトリック者に苦しみを与える】

「明晰にそして苦しみつつ第二バチカン公会議の歪曲によって自分の教会内に損害(the damages, les degats)が生まれたのを見るカトリック者」(54ページ)

【この危機は予想したものではなかった】

「公会議に続く結果は、ヨハネ二十三世やパウロ六世を初めとするみんなの期待を無惨にも裏切ったかに見える。キリスト教とは、再び、古来末期以来かつて無い少数派になってしまった。」(40ページ)

「第二バチカン公会議以後の時期は、"新しい聖霊降臨" を期待していたヨハネ二十三世の期待にあまり応えていないかに思われた。」(200ページ)

「少なくとも今まで――公会議が教会にとって新しい躍進、刷新された生命、一致を意味するようにと言うヨハネ23世教皇の悲願は、聞き入れられていないことを認める必要もある。」(p.56)

【公会議の教父たち全ては、その期待が裏切られた】

「公会議の教皇たちや教父たちは、カトリック的な新たな一致を期待していたのに --- パウロ六世の言葉をかりて言えば --- 自己批判から自己破壊になりかねない不一致に直面した。新たな熱意を期待したのに、あまりにもしばしば倦怠、落胆に陥ってしまった。躍進をこそ期待したのに、結果的には衰退を見せつけられ、それは公会議の新の精神の権威を失墜させる自称『公会議精神』の掛け声のもとで蔓延していった。」(40ページ)


(2)受け入れに問題があったのは、二つの対立する解釈があったため。つまり「断絶の解釈」と「改革の解釈」である。「断絶の解釈」は公会議文書の文字ではなく精神に従うべきだとする。従って、主観主義的であり、幻想的だ。

【危機の原因:危機は、カトリックの聖伝との断絶から生じた】

「第二バチカン公会議のあと、新しい神学状況が現れた。それまでに存在した伝統的神学はもはや受け入れられない、という見解がつくり出され、その結果、聖書や時のしるしの中に全く新しい神学的・霊的方向付けを求めねばならなくなった。」(235ページ)

【危機の原因:公会議精神という名の「公会議の反精神」=「断絶の解釈」】

「この "真の" 公会議に対して、・・・実際には真の "反精神" である偽称 "公会議精神" が張り合った。この致命的な公会議の反精神---ドイツ語で言うとKonzils-Ungeist---によれば、すべて "新しいもの"、あるいは新しいと推定されるものは、今まであったもの、あるいは今あるものよりも常に、何はともあれいいものなのだ。」(46-47ページ)

「公会議後の教会は大工事現場である、とユリウス・デフナー枢機卿は言っていた。しかし批判精神に富んだあるひとが、それは、設計図がどこかへ吹っ飛び、ひとりびとりはてんでばらばら自分の好みで建設し続けている工事現場だ、と付け加えた。」(40-41ページ)

【危機の原因:断絶の解釈は、カトリック教会の「プロテスタント化」の形を取っている】

「今日、カトリック教会の「プロテスタント化」をうんぬんする者は、一般にこの言い方で教会に関する根本概念の変化、教会と福音との関係についての別の見方を念頭においている。このような変形の危険は実際にあり、何も伝統主義者の周りだけを怯えさせているのではない。」(206ページ)

【危機のその他の原因:危機の内的原因は現代性への過信、外的原因は自由・急進的イデオロギー】

「この二十年間に私たちが被った損害は、"真の" 公会議のしからしめたものではなく、教会内部に、攻撃的で遠心力による、たぶん無責任な、あるいは単に軽率な潜在力、安易な楽天主義、今日の技術的進歩を真の、無欠の進歩とはき違えた現代性への過信が爆発したものだと私は信じている。そして教会の外部には、西欧における中・上流階級と新興 "第三次中産階級" がその個人主義的、合理主義的、快楽主義的タイプの自由・急進的イデオロギーと共に是認された、ある種の文化的革命のインパクトがあった。」(41ページ)

【危機のその他の原因:信徒の不用心】

「この幾年かに、多くのカトリック信徒たちはフィルターもブレーキもかけずに世に、つまり支配的な現代的メンタリティーに不用心にも自らを開けひろげ、・・・信仰の遺産の土台そのものを議論に付した。」(48ページ)

【危機の原因:神学者たちの責任】

「第二バチカン公会議の諸文書は、しばしば皮相な、あるいは率直に言って不正確な出版物の山にたちまち埋もれてしまった。」(54ページ)

【「断絶の解釈」によれば、第二バチカン公会議はその十年後にすでに時代遅れ】

 ラッツィンガーは、この私たちのインタビューを行う十年前に、すでに次のように言っていたのだ。「第二バチカン公会議は、今日、たそがれの光の中にある。"進歩的" といわれる人の隊列から見れば、第二バチカン公会議はもう完全に時代遅れで、現在これと言ったところのない過去の出来事である。」(38ページ)


(3)「断絶の解釈」の根本に、公会議を新しい憲法を作る会議であるかのように考える誤りがある。公会議の本性は新しい憲法を作るための国会ではない。教父たちは管理者であって、天主の神秘の所有者ではない。

「教会は主御自身が望まれた現実である、と言うことをおおくの人はもう信じていない。何人かの神学者たちからは、教会はあたかも人間の立てたもの、私達が作った手段、だからその時その時の必要に応じて私達が自由に組織しなおせる手段のごとく思われている。」(63ページ)


(4)「断絶の解釈」は取るべきではない。

【解決策:間違った道を捨てる】

 すでに今から10年前(1975年)ラッツィンガーは次のように結論していた。「教会の真の改革は、議論の余地のないほど否定的な結果に導いた誤った道を捨てることを前提とする、と明確に認識されるべきである。」(40ページ)

【解決策:第二バチカン公会議文書の文字に戻る】

「第2バチカン公会議の真の時はまだ来ていないのかもしれないし、その真正の受信はまだ始まっていないのかもしれない。・・・ 公会議諸文書の明文の再読は必ずや私たちにその真の精神を再発見させるだろう。」(54ページ)

【解決策:「断絶の解釈」を拒否する】

「教会史に以前と以後を設定する図式主義には断固として反対しなければならない。カトリシズムの継続の再確認以外の何ものでもない第二バチカン公会議の諸文書そのものがそれを正当化していない。公会議 "以前" あるいは "以後" の教会は存在しない。主ご自身が委ねられた信仰の遺産をますます深め、よりよく理解しつつ主に向かって歩いていく唯一の教会あるのみである。この歴史には跳躍はないし、亀裂もなく、継続の切れ目もない。公会議は教会の時代分割を導入する気など少しもなかった。」(47ページ)

--------引用終わり---------

日本語サイト リンク (この項 続く)