マニラのeそよ風

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第278号 2005/05/17 聖霊降臨後の火曜日


アヴェ・マリア!
 兄弟姉妹の皆様、お元気ですか。
 日本のすがすがしい天気と、心地よいそよ風! とてもよいものですね!
 天主に感謝します。

 先々日は聖霊降臨の祝日でした。大阪では歌ミサで聖伝のミサができて、とても嬉しく思いました!
 聖霊来たり給え! 願わくは、天主、我らを憐れみ、弱さを強め給え!
 願わくは、天主の御母聖マリア、我らのために祈り給え!
 日本の尊き殉教者らよ、我らのために祈り給え!


 さて、今回は、【リトル・ペブルなどの "司祭" に関して】と題して兄弟姉妹の皆様に記事をお送り致します。

 今回、以下に書くことは「マニラの eそよ風」の読者の兄弟姉妹の皆様にはほとんど関係のないことで、あまり興味を抱かれないと思っています。そのようなことは、聖ピオ十世会とおよそかけ離れた方々にとってこそ、必要な情報であるのかもしれません。しかし今回は、特にそのような方々のために書くことにしました。少しでもカトリックの信仰を正しく知り守りたいと考えているような方々に少しでも役に立つことができるように、正確な情報を伝えたいと思ったからです。

 これをお読みになっている兄弟姉妹の皆様も、そのような方々に正確な情報を伝えることができるため、多くの私たちの知らない兄弟姉妹の皆様の利益のために、祈ると共に、正確な知識を知っておいて下さい。その意味で、今回、私は誤解を恐れずに筆を執ることにしました。

 そして、今回この件を通して、私たちはカトリック教会によって、スイスのジュネーブの司教様を通して、聖ピオ十世会が1970年11月1日付けで公式に創立されたことを天主に感謝します。私たちは、聖ピオ十世会という修道会を通じて、私たちがカトリック教会という神秘体につながっていることを心から天主に感謝します。

 すべてが変わり果ててしまっている現代の教会において、今なお、聖伝のままの信仰と聖伝のままの秘蹟をそのまま伝えている修道会があることを天主に感謝します。全世界がアリウス派に染まってしまっていたとき、それに一人反対してカトリック信仰を守った聖アタナシオを立てた天主が、20世紀にルフェーブル大司教を立てて、純粋な秘蹟を私たちにまで伝えて下さったことを感謝します。

 昔ローマの神学校で教えられてきたこと、実践されていたことを、聖ピオ十世会の神学校では、そのままそっくり今でも変えられずに教え実践していることを、天主に感謝します。

 ピオ12世教皇が、はっきりと定め確認した、司教聖別の儀式、司祭叙階の儀式を、聖ピオ十世会ではそのまま変えずに守っていることを天主に感謝します。

 どこそこの主観的な「メッセージ」ではなく、客観的な聖伝の不可謬の教導権にあくまでも忠実を尽くすことによって、聖ピオ十世会がカトリック信仰を完璧に守り抜こうとしていることを、天主に感謝します。

 そして、私たちがこの聖ピオ十世会を知ることができたのは、本当に天主の聖寵のおかげに他ならないと思い、深く天主と聖母マリア様に感謝します。


 さて、「リトル・ペブル運動」とも呼ばれるものは、オーストラリアに在住の「リトル・ペブル」ことウイリアム・カム氏によって主張される「天からのメッセージ」を信じる運動です。

 これは、第2バチカン公会議の「エキュメニズム運動」と「聖霊降臨運動」と「第2バチカン公会議後の教会の危機」が産んでしまった副産物ではないでしょうか。教会がとったエキュメニカルな態度が生み出してしまったものの一つがリトル・ペブル運動を始めとする「御出現」だと思われてなりません。 何故なら、第2バチカン公会議以後、カトリック教会は、エキュメニズム運動の促進のために、カリスマ運動、聖霊降臨運動を受け入れ、異端説や離教者達には、極めて寛大な態度をとり続けてきたからです。その他方で、エキュメニズム運動の障害となると考えられるようなものに対してすべて敵対するような態度を取ってきたからです。

 その他方で、エキュメニズムにとって邪魔者である、カトリック教会とその聖伝の教えに忠実な司祭や司教、修道会を迫害し、皆が彼らをあたかもカトリック教会の子供ではないかのように考えるようにし向けているからです。そのために、カトリック教会の中に、大きな混乱が生じてしまったからです。

 私はリトル・ペブル運動にかかわってしまった人々を、第2バチカン公会議の犠牲者だと思っています。中には善意でだまされてしまった方々がたくさんおられると思います。例えば、リトル・ペブル運動にかかわり「メッセージ」に由来して、広島にはミミ萩原を創始者とする新しい「教会」が創立されました。これ以上騙されてしまう方がないように、あるいは騙されている方々の目が開かれるように、私は祈らずにはいられません。


 自称幻視者「リトル・ペブル」の信奉者の方が、最近オーストラリアで"司祭"(2名いるそうです)になって日本で活動中だと知らされました。私は兄弟姉妹の皆様にこれらの"司祭"に近づかないようにとお願いいたします。その理由はいろいろありますが、ここでは2つだけを取り上げます。


(1)【秘蹟の有効性に大きな疑いがある】

 何故なら、彼らがカトリック教会の言う意味においての叙階の秘蹟を有効に受けたか極めて疑わしいからです。つまり、本当の意味でカトリックの司祭の秘蹟を受けているのではない、という極めて強い疑いがあるからです。何故なら、リトル・ペブル運動を支持して"司教"となったマルコム・ブルサード(Malcolm L. Broussard)師の"司教"聖別の有効性が非常に疑わしいからです。少なくともカトリック教会の言う意味での秘跡的聖別を受けた「司教」ではない、と考えられるからです。ところで、カトリック教会の規定によれば、秘蹟の授与には最高の確実性を有さなければなりません。

(2)【新しい教会創立を準備している】

 何故なら、リトル・ペブル運動は、秘蹟の有効性が疑われるのみならず、「秘蹟」が離教教会からのものであり、将来は、リトル・ペブルを「教皇」とする新しい教会の設立を想定し予言しているからです。


 確かに、日本のカトリック教会では、主日に司祭のいない「集会祭儀」がどこででもあり、信徒の方々があたかも司祭であるかのように、儀式を行っています。男女の信徒の方々が、新しいミサでは聖書の朗読をし、共同祈願を唱え、聖体奉仕者として御聖体を配っています。中には未信者の方々に「祝福」を与える聖体奉仕者の方もいるそうです。ところで、カトリック信仰によれば、これらの信徒の方々はミサを捧げることはもちろん、祝福もすることができません。有効な叙階の秘蹟を受けていないからです。(これは差別ではなく、現実にそうだからそう申し上げます。)

 エキュメニズム運動のために、カトリック教会の中で公然と聖公会(アングリカン)の「神父」が「ミサ」を司式する日がもうすぐ来るかもしれません。しかし聖公会の「神父」の叙階は、叙階の秘蹟が変えられてしまっているために有効ではありません。これは歴代の教皇様たちがはっきり断言してきたことです。(これも現実にそうだから、そう申し上げます。)

 中国の愛国協会についても似たようなことを言うことができると思います。何故なら、中国の地下教会の或る司教様(名前はここでは伏せます)は、愛国協会における「司教聖別」の有効性を研究し、その結果、それらの司教聖別は少なくとも疑わしい、さもなければ無効であるとの内容をローマに報告しているからです。(聖ピオ十世会はこの司教様のローマに提出した論文を入手しました。)もしそれが正しいとすると、これらの無効な"司教"らによって叙階された"司祭"は司祭ではないと言うことになります。しかし、愛国協会とカトリック教会との交流は近年ますます盛んになるばかりです。

 これは、新しいミサをしているカトリック教会だけの話ではありません。私たちは、今、カトリック教会の危機の時代を生き抜いています。しかし、私たちは「聖伝のミサを捧げているから、よい司祭だ」とは決して言うことができません。誰が彼を司祭に叙階したのか? どんな司祭叙階の式文だったのか? 叙階した司教は、本当に有効なカトリック司教だったのか? 誰の権威の元で活動しているのか? よく確かめなければなりません。

 残念ながら第2バチカン公会議以後、世界中には、御出現主義の"司祭"、聖座空位主義の"司祭"、カトリック教会の精神に従わず、権威の元に服さずに自分で勝手に行動している"司祭"などなど、様々な"司祭"らが存在するようになってしまいました。私たちは、天主の御助けによって、本物にカトリック的なものを見分けなければなりません。聖伝のミサは、確かに私たちがそのために戦っている「戦線」の一つかもしれませんが、それだけではありません。私たちは、もっと全体的な視野に立って、カトリック教会のため、カトリック信仰のために戦っているのです。

 真理を言うことは時には、私たちにとって敵を作ることになってしまいますが、兄弟姉妹の本当の善を考えると、どうしても言っておかなければならないと思います。そして、メッセージと称するものに騙されてしまっている兄弟姉妹のために、祈ります。


 聖霊来たり給え! 信者の心に満ち給え!
 主よ、我らを憐れみ給え!
 上智の座、我らのために祈り給え!
 日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


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 興味のある方のために上記の2つの点について説明します。


(1)【秘蹟の有効性に大きな疑いがある】

 まず(1)の【秘蹟の有効性に大きな疑いがある】という点について、少し説明をします。話が少し込み入っていますがご容赦下さい。以下、次の5つの点に話を絞ります。

 A 「パルマール教会」と「グレゴリオ17世」
 B ザイヴェルトフライゲ
 C ジャン・ジェラール・ルー
 D シュナイダー
 E マルコム・ブルサード


A パルマール教会

 リトル・ペブル運動は、初めてのことではありませんでした。これとよく似た運動は、実はスペインでもありました。その始めも、そのたどり着こうとしている結果の内容もとてもよく似ています。スペインでのそれは、スペインの寒村で始まったとされる「御出現」を始めとし、ついには、新しい別の「パルマール教会」となって終わったものです。

 「パルマール教会」とは、セビリア州のエル・パルマール・デ・トロヤ(El Palmar de Troya)の村で1968年3月30日から聖母の「ご出現」から始まったとされる運動から生じ、その「幻視者」クレメンテ・ドミンゲスClemente Dominguez y Gomez (1946年4 月23日スペインのセビリア生まれ - 2005年3月22日没)によって、創られた「教会」です。

 エル・パルマール・デ・トロヤ村には「聖母」がカルメル山の聖母の称号で現れ、様々な年齢と聖別の幻視者がいたと主張されています。22才のクレメンテは好奇心から何度もここを訪れ、彼自身も1969年9月30日の夜に聖母のビジョンを体験したと主張しています。彼はビジョンの中で、聖母が教会内部の異端と進歩主義(第2バチカン公会議の結果としてなされるカトリック教会の改革)を排斥したと主張しました。そして彼は聖痕を受けていると主張しています。当地の司教はこれを排斥しました。クレメンテはメッセージに基づき、「聖パウロ6世」教皇は、教会を統治するフリーメーソンと共産主義の犠牲者であり、麻薬を打たれ、バチカンの壁の中に囚人として閉じこめられ、教会の敵に対して教会を守ることが出来ない、と主張しました。

 1975年12月にはクレメンテ・ドミンゲスは、「聖母」からの指示に基づいてと主張する「聖なる御顔のカルメル会」という自分の修道会を「創立」しました。1975年12月31日の真夜中(1976年1月1日)に、クレメンテ・ドミンゲスを含めて数名は、ンゴ・ディン・トゥック大司教によって司祭に叙階され、複数の司祭叙階をし、1976年1月11日には教皇の許可無く5名の司教聖別を執行しました。(ンゴ・ディン・トゥック大司教の矛盾した行動と発言を見ると、精神異常者となってしまっていたと思われ、彼が正気で司教聖別をしていたのか疑われます。)

 ドミンゲス「司教」は、自分の司教聖別の数日後の1976年1月28日に、4名を司教に聖別し、同1976年2月1日に2名の司教を、同年2月6日に4名の司教を、2月13日に5名の司教を、2月27日に更に1名の司教を、3月4日に1名、3月18日に2名、4月20日に4名、5月3日に4名、7月17日に1名、7月28日に1名、8月13日に1名、8月20日に1名、9月15日に5名、10月5日に1名、10月8日に2名、11月27日に8名、11月30日に1名を司教にしました。つまり1976年の1年だけでも計47名の司教を作っています。クレメンテの叙階の有効性については、あまりにも常軌を逸脱したものであり、スペインの教会位階の判断によると疑問視されています。クレメンテ・ドミンゲスのした司教聖別は無効だと考えられています。


 ドミンゲスは1976年の47名の「司教」聖別後も、次々と勝手に司教を聖別し続け、少なくとも1977年には15名の司教を、1978年に5名の司教を聖別しました。さてドミンゲスのグループは、自分のやりたいことをやり続けました。聖別されたばかりの司教たちは、さらに別の多くの司祭や司教たちを聖別し始めました。

 1976年5月に、クレメンテ・ドミンゲスは自動車事故で失明しますが、その後「ヴィジョン」を見たと主張し、それによると、キリストは「おまえは将来のペトロとなり、オリーブの栄光である偉大な教皇グレゴリオとなるだろう」と予言があった、それによるとキリスト教は自分にパウロ6世の直後の教皇位継承権を受けた、と主張していました。1976年8月6日にパウロ6世が亡くなると、クレメンテ・ドミンゲスは自分をグレゴリオ17世教皇であると主張し始めました。そして「聖なるパルマール教会」("Iglesia Una, Santa, Catolica, Apostolica y Palmariana")という新しい教会を創り、ドミンゲスはその教会の教皇と名乗りました。

 自称「聖なるパルマール教会」の「教皇グレゴリオ17世」となったクレメンテ・ドミンゲスは、コンクラーベで選ばれたヨハネ・パウロ1世、ヨハネ・パウロ2世を「破門」し(同時にローマから破門され)ました。更に、パルマール「公会議」を開催し、「枢機卿」を任命し、ローマ・カトリック教会とは全くパラレルな(平行線的な)、別の「教会」を作り上げました。ドミンゲスは1978年に、例えば1日に60回ミサを捧げるために、ミサを始めとするその他の典礼を改革し、全く独自な教会を作り上げました。

 1976年と1983年にバチカンは公式に2回「カトリック教会は彼らの叙階を認めないし将来も認めない」と宣言しています。

 余談ですが、クチュール神父様はアイルランド管区長時代にパルマール教会系の「司教」ら複数から助けてほしいと相談を受けたそうです。調査によると、彼らの「司教聖別」は、全く無効であることが明らかに分かったとのことです。

 パルマール教会の信奉者らによると、グレゴリオ17世は最後の教皇で、エルサレムで十字架につけられて死ぬことになっていました。1990年代にグレゴリオ17世は、自分の「修道女」らとの性的不品行を訴えられ、1997年それを認めて赦しを願いました。 グレゴリオ17世は、マルマール・デ・トロヤで2005年3月22日に死亡し、マヌエル・コラルがペトロ2世としてその後継者となりました。パルマール教会は、「司祭」が60名おり、それが全員「司教」となっているそうです。「修道女」らも70名ほど存在し、信奉者は2000名ほどだそうです。


B ザイヴェルトフライゲ

 アルフレッド・ザイヴェルトフライゲ(Alfred Seiwert-Fleige)は、1939年生れのドイツ人で、1976年1月1日スペインのパルマール・デ・トロヤで司祭に叙階され、1978年11月1日やはりパルマール・デ・トロヤでクレメンテ・ドミンゲス(自称「教皇グレゴリオ17世」)によって「パルマール教会」の司教として聖別されています。共同の聖別司教は、「パルマール教会」の司教マヌエル・コラル「枢機卿」と、同教会の司教であるレアンデアル「枢機卿」でした。ここで、ザイヴェルトフライゲは、カトリック教会ではなく、全く離教的な「パルマール教会」の司教となりました。

 ザイヴェルトフライゲは、しかし、後になると自分の司教聖別が無効であると気づき、1984年4月8日、フランスのシャヤックChaillacで、ジャン・ジェラール・ルー「司教」によって条件付きで、司教聖別式をもう一度受け直しました。その後ザイヴェルトフライゲは、ドイツのローゼンハイムに移り住んでいるそうです。


C ジャン・ジェラール・ルー

 ではザイヴェルトフライゲを条件付きで「司教聖別」した、ジャン・ジェラール・ルー(Jean Gerard Roux 1951年生)について見てみましょう。

 彼の司祭叙階と司教聖別については、不明なところが多く、ハッキリしていません。ルー自身は自分の司教聖別について、ンゴ・ディン・トゥック司教に1982年4月18日、イタリアのロアノにて司教聖別を受けた、と主張しています。

 彼の司祭叙階に関しては、「1977年5月20日、フランスのニースでカトリック司祭としてニースのムイセ(Mouisset)司教によって叙階された」という人もあれば「1982年4月18日、シリア・アンティオキア離教教会の「司教」ジョエル・デ・ラ・ベルナルディエール(Joel de la Bernardiere, a bishop of the Eglise Syro-Antiochienne)によって司祭に叙階されたが無効の疑いがあったためにトゥルーズ・ラテン教会のジャン・ラボリ「司教」(Jean Laborie, a bishop of the Eglise Latine de Toulouse)によって1985年11月30日フランスのポルテ・シュール・ガロンヌにおいて条件付きで司祭叙階を受け直した」と言う人もいます。

 司教聖別についても同様に、1979年4月1日、シリア・アンティオキア離教教会の「司教」ジョエル・デ・ラ・ベルナルディエールによって司教に聖別されたが無効の疑いがあったために、リチャード・ベディングフェルド「司教」(Richard F. Bedingfeld)によって1994年南アフリカにて条件付きで司教聖別を受け直したと言う人もいます。ルー自身はこれらを否定しています。


D シュナイダー

 そして、この「パルマール教会」系の司教によって、1999年8月15日ドイツのボンにて、バルトロメオ・シュナイダーBartholomaeus Schneider(本名ヴェルナー・シュナイダーWerner Schneider)というドイツ人が「司教聖別」されたと主張されています。もしこの主張が正しいなら、当然、シュナイダーはカトリック司教ではなく、「パルマール教会」系の司教であり、その司教聖別の有効性ははなはだ疑わしいものです。

 更に、オーストラリアのウォロンゴング教区司教であるフィリップ・ウィルソン司教の調査によると、バルトロメオ・シュナイダーは司教ではないことが明らかにされたと報告があります。その報告書によると、シュナイダーの活動に関する警告は、既に1995年9月19日のオッセルバトーレ・ロマノに掲載されていた、とのことです。


E マルコム・ブルサード

 リトル・ペブルのための"司教"となったのは、マルコム・ブルサード神父で、彼は、1978年5月20日アメリカのテキサス州、ガルヴストン・ヒューストン司教区のカトリック司祭として叙階されましたが、リトル・ペブルの活動に深くはまり、1989年9月20日聖職停止の制裁を受けました。
【URL: http://users.bigpond.net.au/wanglese/Broussard.htm 】

 2003年3月30日、マルコム・ブルサード神父は、シュナイダー「司教」によって、ドイツにあるシュナイダー「司教」の自宅聖堂で「司教聖別」を受けました。

 しかし、この司教聖別を執行したシュナイダーはカトリック司教ではなく、「パルマール教会」系の司教です。(あるいは、シリア・アンティオキア離教教会、あるいは、トゥルーズ・ラテン離教教会、すくなくとも教皇聖座空位の教会の「司教」で、カトリック教会の司教として聖別を受けたことはありません。)その司教聖別の有効性は極めて疑わしいものです。多分に無効の聖別でした。

 ちなみに2003年3月30日のマルコム・ブルサード神父の「司教聖別」を受けて、オーストラリアのウォロンゴング司教区のピーター・インガム(Peter Ingham)司教は、直後にマルコム・ブルサードを破門しています。


 以上の述べたことをまとめてみると、リトル・ペブルの"司教"が受けた「秘蹟」は、パルマール教会という離教教会からのものであり、次のような系図が書けます。

 「パルマール教会」の「教皇」グレゴリオ17世

          ↓ 1978年 司教聖別 [無効?]

 「パルマール教会」の"司教"ザイヴェルトフライゲ
(ただし、後に自分の司教聖別が無効だと知り、離教教会の「司教」ジャン・ジェラール・ルーから再度、1984年に司教聖別 [無効?] を受ける)

          ↓ 1999年 司教聖別 [無効?]

 パルマール教会系の"司教" シュナイダー

          ↓ 2003年 司教聖別 [無効?]

 パルマール教会系の"司教"となった マルコム・ブルサード師

          ↓ 司祭叙階 [無効?]

 日本にいるリトル・ペブルの"司祭"たち


(2)【新しい教会創立を準備している】

次に(2)の【新しい教会創立を準備している】という点について、付け加えます。
これにつては、次の2つについてここでは言及します。
 (2-1) ニューエラの新しい教会
 (2-2) 新しい教会の最後の教皇


(2-1) ニューエラの新しい教会

 リトル・ペブルの新しい教会は、彼の持つ「ニューエラ」(=新しい時代、ニューエイジと言う意味)のための、新しい教会のヴィジョンに基づいています。

 リトル・ペブルは、1994年8月29日付けの「公式声明」によって、自分の新しい教会のヴィジョンを発表しています。それには、私たちの主イエズス・キリストの十字架の贖いによる罪の赦し、罪によって壊された天主のご計画の十字架による復興、世の終わりまで続くカトリック教会、などの欠片もない、新興宗教の教義そのものです。

 この「公式声明」によると、

[A] これから新しい世界が始まり、すべては新しくなる。

*超自然のことについての考え方を大きく変えなければならない。
*私たちがこれからすぐに入ろうとしている世界は全く新しい世界で、私たちの現在の生活とは全く異なる新しい生活がはじまる。
*私たちは今、変化の時にいる。

[B] 教会は全く新しくなり、掟はなくなる。

*ニューエラでは、原罪を除き、もはや罪も、痛みも、苦しみも、死もない。
*十戒のような掟も現在の教会の掟も必要ない。
*神はイエズスのために教会を準備している。
*神はまた一人ひとりの霊魂 --- 神秘家、幻視者、使徒、弟子、クイーン、プリンセスを準備している。
*神は今ニューエラに向けて教会と世界とを建て直している。
*キリストは新しい約束の地に備えて御自分の教会を建て直している。

[C] リトル・ペブルだけが持つ「聖なる棒」の中の聖なる種により、選ばれたクィーンやプリンセスたちが受胎することによって、リトル・ペブルは新しいアブラハムとして新しい清らかな世代を形成する。

*最後の教皇は、現在の慣習のように選挙で選ばれないで、結婚しており子供がある。
*新十二使徒が立てられ、彼らは司祭で、何人かは結婚しており、枢機卿となり、世界の新しい12の王となる。
*リトル・ペブルには、12人のクイーンと72人のプリンセスたちが付き、彼女たちは世界に設立される新しい州を統治する。リトル・ペブルだけが12人のクイーンと直接の関係を持つ。現在クイーンの一人と結婚しているリトル・ペブルのみがクイーンらと結婚する。
*「聖なる子孫の棒」はアダム、ノア、ヤコブ、アブラハム、モーセ、ヨアキムに与えられ、最後にリトル・ペブルのうちに置かれた。この「聖なる棒」は聖なる子孫の種を持っており、その種は聖霊の力によって運ばれる。
*聖なる種は生命の新しい種であって、「聖なる棒」の中に置かれており、「聖なる棒」はリトル・ペブルの人間の種を清める。また神に選ばれたプリンセスたちは、この計画を受け入れるように強いられてはおらず、神の聖なる御旨に同意するかどうかは自由である。
*神の御計画は、72人のプリンセス全員が聖霊の力によって受胎すること。
*リトル・ペブルの中にあり「聖なる生命の棒」に埋め込まれた聖なる種による多くの誕生と受胎がある。
*この御計画の目的は72人のプリンセスたちに与えられた子供たちの奇跡の受胎がニューエラのために新しい、そして清らかな世代を形成すること。
*12人のクイーンも、イスラエルの新しい12部族を形成するために聖霊の力によって「聖なる棒」から種を受ける。
*クイーンたち、プリンセスたちは、この計画のために、新しいアブラハム(=リトル・ペブルのこと)に協力する。


(2-2) 新しい教会の最後の教皇

 リトル・ペブルは、新しい「アブラハム」になるのみならず、教皇にもなると主張しています。

 リトル・ペブルは既に、1987年6月27日付けで、「聖母」のメッセージだと称して、ヨハネ・パウロ2世教皇はバチカンで暗殺され、カザロリ枢機卿が教皇の座に着く、しかしヨハネ・パウロ2世はこの時は死なず聖ミカエルによって隠れ場所に連れて行かれる、しかし数ヶ月後隠れた後で、教皇座を横領したカザロリを告発するために姿を現す、ヨハネ・パウロ2世の死後にリトル・ペブルが教皇となる、と言っていました。

 リトル・ペブルによると、ヨハネ・パウロ2世は聖人であるが、教会を統治するフリーメーソンと共産主義の犠牲者であり、暗殺の危険がいつもあり、バチカンの壁の中に囚人として閉じこめられ、教会の敵に対して教会を守ることが出来ない、ヨハネ・パウロ2世の本当の考えは、正しく伝えられていない、ヨハネ・パウロ2世の周りのお付きの枢機卿や司教たちがヨハネ・パウロ2世を迫害している、ヨハネ・パウロ2世はフリーメーソンによって暗殺されるだろう。
(これは、クレメンテ・ドミンゲスがパウロ6世に関してしたメッセージの「パウロ6世」を「ヨハネ・パウロ2世」に変えただけの内容ではないでしょうか。)


 しかしこの「予言」に反して、カザロリ枢機卿がヨハネ・パウロ2世より前に亡くなりました。病気のために西暦2000年まで生きながらえるか心配されていたヨハネ・パウロ2世教皇様が、264名のローマ教皇のうち第3番目に長い26年の統治を行った後、82歳の高齢で、2005年4月に暗殺されずに亡くなりました。

 ヨハネ・パウロ2世が死去すると、リトル・ペブルは、ベネディクト16世選出までこう主張していました。
(以下に、リトル・ペブルの主張を一部、引用します。)

◆ 教皇は亡くなったのではありません。たとえ外面的にはそのように見ようとも。
◆ 教皇は深い眠りのうちにあります。
◆ 教皇の肉体が埋葬されると、天使たちはその肉体を取り、遠く離れた土地にそれを隠すでしょう。そこで彼は目覚めるでしょう。そして再び立てられるでしょう。新しい外自然的な(プリターナチュラル)身体を持って。・・・
◆ しかるべき時に、教皇はローマへと帰るでしょう。歴史に残る反教皇となるであろう、ペトロの座において支配している教皇を非難するために。皆さんは次の教皇のために祈り、神に信頼しなければなりません。
◆ 反教皇が公然と非難されるとき、教皇ヨハネ・パウロ二世は、聖にして母なる教会の最後の教皇となる、聖ペトロの真の継承者を公表するでしょう。・・・

*2005年3月27日 リトル・ペブルへのイエズスのメッセージ
イエズス: 「そしてあなた、わが息子よ、間もなくあなたは地上におけるわが家の闇の時代において、わが群れを導くであろう。私が鍵を与えたのはあなたである。・・・・

*2005年4月2日午後8時45分 聖母からリトル・ペブルへ。
聖母: 「教皇は死なないでしょう。しかし眠りの内に入ります。世界にとっては彼は死んだように見えるでしょう。彼は天使たちによってある場所に連れていかれるでしょう。そしてしかるべき時に反教皇を公然と非難するために戻ってくるでしょう。それから彼、そしてあなたは、崩れ落ち燃えあがるローマを逃れるでしょう。・・・

(以上で引用を終わります。)

 これらを読むと、正にクレメンテ・ドミンゲスの受けたと言われる「メッセージ」のパターンと同じであると言わざるを得ないのではないでしょうか。

 この笑止千万な失言に対して、残念ながら、その信奉者の方々は自然な常識的な疑問を抱かなかったようです。それどころか、リトル・ペブルを「教皇」と既に宣言していたのです。

 しかし78歳という高齢のラッツィンガー枢機卿がコンクラーベで選ばれるや、突然、平手を返したように次のように発表しました。

「神の民へ
平和と祝福が皆さんの上にありますように。
教皇ベネディクト16世万歳。
オリーブの栄光。
 愛する霊魂たちよ、ラッツィンガー枢機卿が教皇として選ばれたことに関して、心をわずらわせたり、混乱しないでください。彼が教皇に、そして教会の忠実な王子にふさわしい方であると確信しなさい。彼は反教皇ではありません。彼は本当の教皇です。しかし、・・・再度の選挙が今からそう遠くない時期にあるでしょう・・・」

 これらを見ると、リトル・ペブルを「教皇」とした完全に新しい教会創りを完成させようとして時をねらっている、自分が「教皇」と名乗るための、教会の混乱、規律の弛緩などのすきをねらっている、と言えるのではないでしょうか。


 そしてブルサードは、このリトル・ペブルのニューエラの新しい教会をつくるために協力し、 2003年3月30日、マルコム・ブルサード神父は、シュナイダー「司教」から「司教聖別」を受けたのです。

 このようなビジョンをもった男について、2003年4月26日付でブルサードは、「私は、私の将来のキリストの代理者となるべきリトル・ペブルへの忠誠と従順の内にも固く留まる。I also remain firm in my loyalty and obedience to the Little Pebble who is to be my future Vicar of Christ.」と言っています。
外国語サイト リンク THE ORDER OF SAINT CHARBEL / My Statement of Purpose - April 26, 2003

 そして、マルコム・ブルサード「司教」は、リトル・ペブルの新しい教会作りのために、2004年1月にジェイムズ・ダフィー(74歳)を含めて複数の「司祭叙階」を執行し、同年12月8日に、この同じジェイムズ・ダフィーを「司教」に「聖別」し、着々と新しい教会作りを進めているのです。


 ですから、もう一度お願いいたします。私はこれらの"司祭"あるいは"司教"に近づかないようにとお願いいたします。兄弟姉妹の皆様の霊魂の救いのために、お願いいたします。これらの「メッセージ」と称するものを信じてしまっている方々のために、兄弟姉妹の皆様のお祈りをお願いいたします。

聖霊来たり給え! 信者の心に満ち給え!
主よ、我らを憐れみ給え!
聖母の汚れ無き御心よ、我らのために祈り給え!
聖母マリアよ、我らを憐れみ給え!
聖フランシスコ・ザベリオ、我らのために祈り給え!
日本の尊き殉教者、我らのために祈り給え!

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)