マニラのeそよ風

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第275号 2005/05/02 証聖者司教聖アタナシオの祝日

Pope Benedict XVI


アヴェ・マリア!

 兄弟姉妹の皆様、5月1日は、勤労者聖ヨゼフの祝日でしたね。おめでとうございます!

 新ベネディクト16世教皇様の「就任式」は、2005年4月24日に執り行われました。新教皇様の紋章の言葉は「PAX(平和)」だそうです。教皇様のために心からお祈りいたしましょう。

 ところで4月25日にJR福知山線で起きた脱線事故で、その多くの犠牲者の方々やそのご家族の方々のご心痛をお察し申し上げ、心から悼みお祈り申し上げます。兄弟姉妹の皆様のお祈りに心を合わせます。

 更に中国にいる日本の方々の身の安全をお祈り申し上げます。外国に住むことでいろいろと不自由なことがあると思いますが、多くの日本人の方々が中国でさぞかし安全に不安を感じておられるのではないかとお察し申し上げます。外国生活を知るものとして、心よりお祈り申し上げます。


 さて話題を教皇様に戻します。今年、天主は私たちに新しい教皇様を下さいました! HABEMUS PAPAM ! 何というお恵みでしょうか! 心から天主に感謝!

 ベネディクト16世新教皇様は、過去どのような考えを持っていた人だったのでしょうか?
 ベネディクト16世教皇様は、今後どのように教会の舵を取っていかれることでしょうか?

 多くの日本のカトリック信徒の方々は、教皇様が枢機卿であったときにかかれた著作を通して、ベネディクト16世教皇様のお考えを知ろうとしているようです。(サンパウロ出版社には、新教皇の著書のコーナーもできているそうです。)何故なら、ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿がベネディクト16世になったからです。ラッツィンガー枢機卿様は教皇様となることによって特別の超自然の恵みを受けます。しかし「超自然は自然を破壊しない」ので、通常の場合、ヨゼフ・ラッツィンガーその人の考えがベネディクト16世に反映されるからです。

 私たちは、これをヨハネ・パウロ2世教皇様の時にも経験しました。ヨハネ・パウロ2世教皇様は、ポーランドでの司祭時代、司教時代、枢機卿時代の極めて革新的な考え・行動様式・「哲学」を、教皇様になられてもそのまま実践されました。ヨハネ・パウロ2世教皇様を知れば知るほど、私たちは「この人にしてこの教皇あり」と思わざるを得ませんでした。もちろん私たちは、故ヨハネ・パウロ2世教皇様が、まだ枢機卿であったとき何をなさったとしても、そして教皇様としてたとえばコーランに接吻したとしても、私たちは教皇様として敬い続け、教皇様のために祈っていました。

 ですから、ベネディクト16世が、まだ枢機卿であったとき何を書き、何を言ったとしても、そしてこれから教皇様として私たちに何を言いまた何を書こうとしても、私たちは教皇様として敬い続けるでしょう。

 しかし私たちがマスコミや人の噂に流されないで、ベネディクト16世教皇様をよく理解したい、と望み、教皇様を深く理解するうえで、ラッツィンガー枢機卿が以前何を発言し、何を考えていたかを、もう一度確認することは、私たちにとって大きな助けになると思われます。私たちはこのような作業を、たとえ誰が教皇職に選ばれようとしていたでしょう。新しい教皇様をよく理解するために、教皇様のその人となりとその思想を振り返ってみるのは有益ではないでしょうか。そしてヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿が教皇様になったが故に遡及効果を帯びて、ヨゼフ・ラッツィンガーとして生まれてから死ぬまでの間、彼が語り、考えたことが「教皇としての不可謬の教え」となる、ということはないのですから、私たちが枢機卿の著作についてコメントをするのは許されることであると信じます。

 その意味で今回「マニラの eそよ風」では、新教皇様のお考えをよく知るために「ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿とその思想」を取り上げてみたいと思います。

 聖霊来たり給え! 信者の心に満ち給え!


ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿とその思想


略 歴

 ラッツィンガー枢機卿は1996年に『地の塩』そして1997年には『里程標:1927年から1977年の思い出』を出版し、その中で自分の人生を語っておられる。

 ヨゼフ・ラッツィンガーはバヴァリアのマークトゥル・アム・インという村で1927年4月16日に極めてカトリック的な家庭に生を受けた。三人兄弟(男二人、女一人)の三番目の子供であった。彼の父親は警察官であり、揺るぎない反ナチスであった。

 彼が11歳の時、主任司祭から小神学校に入学することを強く勧められ、1939年の復活祭に入学する。しかし同1939年には第2次世界大戦が勃発し、小神学校は軍事病院として使われた。そのためヨゼフ・ラッツィンガーは一時帰省したが、小神学校は別の仮の場を使うことになり、そこに移動した。しかしその仮の場所も1941年6月22日に開始されたソ連への攻撃により、またもや軍事病院として没収された。ヨゼフ・ラッツィンガーは再び家に戻り、トラウンシュタイン町の学校(ギムナジウム)へ通った。1943年他の神学生達と共に徴兵されたが、1944年に兵役の年齢に達すると労働奉仕をさせられた。しかし司祭志願者として公式に宣言して、ナチス親衛隊(SS)には入隊することをうまく避けた。1945年にヒトラーは死んだが、ドイツはすぐには解放されなかった。ヨゼフ・ラッツィンガーは最後まで戦闘には加わらなかった。1945年5月のドイツ軍の生き残りは、混乱していた。一時アメリカ軍の捕虜になったが6月19日には解放された。

 1945年末からフライジンクの大神学校に入学。2年後アイクシュタットの「厳格なトリエント神学校」を避けて、ミュンヘン大学の神学部に登録。そこでアンリ・ド・リュバックの著作を読まされ、大きな影響を受けた、とラッツィンガー枢機卿は語っている。

 1951年6月29日、24歳のヨゼフ・ラッツィンガーは、ファウルファーバー枢機卿より司祭叙階をうける。1953年神学博士号を授与され、1957年にはミヒャエル・シュマウス教授から「啓示」の概念を批判されながらも大学教授免許の資格を得る。

 1962年から始まった第2バチカン公会議では、ケルンのフリンクス枢機卿(改革派として知られる)の神学顧問として参加。カール・ラーナー、ド・リュバック、コンガールらと「ライン河同盟」を組む。

 1977年、パウロ6世によってミュンヘンの大司教となり枢機卿に挙げられる。

 1981年、ヨハネ・パウロ2世によって、ローマの国際神学委員会の委員長、信仰教義聖省の長官、教皇庁立聖書委員会の委員長の三つの重要な役職を同時に任命される。


ラッツィンガー枢機卿にとって「啓示」とは?

 『里程標:1927年から1977年の思い出』で、ラッツィンガー枢機卿は1957年の自分の論文のなかで、聖ボナベントゥーラの著作に見える啓示の概念がシュマウス教授によって「啓示の概念を主観化へと導く危険な近代主義」と手厳しく批判した、と語っている。この教授の非難に対して、1997年の著作の中で40年前の論文を弁護している。つまり、これがラッツィンガー枢機卿の信仰教義聖省の長官としての長年の持論である。

 ラッツィンガー枢機卿によれば、教授は、自分の言わんと言うことを正しく理解していなかった。自分の言わんとしていたことは、聖ボナベントゥーラを含めて中世では「啓示」とは、天主がご自身を啓示するその行為をその意味に含める。「啓示(revelatio)」とは天主が「隠していたベールを取り除くこと(re-vel-atio)」であり、従ってそのためには、誰かそれを理解する主体が必要である。つまり「啓示」の本質要素には「啓示を理解し意識する主体」が含まれる。従って、啓示とは「客観的な結果」ではなく「啓示を受け入れる主体の意識」である。

「このとき、救済史の観念はカトリック神学によって求められた探求の焦点へと動いた。そしてこれは、いままで新スコラ主義が知的領域に閉じこめすぎていた啓示の概念に新しい光を当てた。今後、啓示はもはや単なる "真理を知性に伝えること" ではなく、そこにおいて信仰が徐々にベールを取り除かれてあらわにされる、天主の歴史的行為として現れる。」(『里程標:1927年から1977年の思い出』英語版104ページ ただし英語版の引用の孫訳)

 従って、ラッツィンガー枢機卿によれば、教会教導職が二千年を通じて変わることなく守ってきた「信仰の遺産」、初代キリスト教の時代から書かれ、信じられ、宣教されてきたという事実に基づく客観的な内容ではない。啓示とは人間によって把握されたものである限り価値があり、それをそうと認識する主体の自己意識に基づく。啓示の認識主体は、時代により個人であり、グループであり、全教会でもありうる。これは救済史の観点に基づいて発展する。

 こうして枢機卿は、啓示という行為をする天主とその啓示した客観的な内容を断絶し、啓示とは認識主体の変化する自己意識であるとすることによって、客観的な真理である天主を無視する。

 しかし、イエズス・キリストが真の天主かつ真の人間であることを、誰も信じなかったとしても、認識主体がこの啓示を拒否したとしても、天主の啓示は啓示である。超自然の起源を持つ真理が、人間に伝えられ啓示され、天主ご自身がその正確な意味をその啓示に与えた。天主の聖寵の助けによって、人間の解釈ではなく天主の与えた意味に従ってその真理に同意して受け入れ、それを実践し、霊魂を救うためである。この正真正銘性を保証するために、聖霊に導かれた教会の教導職がある。そしてこの世は、この真理よりも闇を好んだ。このように啓示とは、超自然的起源をもつ天主からの一定の教えと出来事であり、天主からのものであるが故に人間が思いのままに変えることができない客観的真理である。


ラッツィンガー枢機卿にとって「聖伝」とは?

 ラッツィンガー枢機卿にとって、啓示とは自己自覚における認識主体の発展に従う意識であるので、聖伝の要素として「認識主体としての教会」が求められる。その時、聖伝とは「教会の生きる過程」であり、新しい理解と自己意識に対して開かれることにより「発展」し「歴史となる」ものである。そして「認識主体」の「生きている過程」として、教会は初代の「原始共同体」がしたように啓示を作り上げていく。

 従って、ルターの「聖書のみ(sola scriptura)」は、間違っている。何故なら、「聖書の本質要素は、理解する主体としての教会であり、これと共に聖伝の基礎的意味が既に与えられている」(109ページ)からである。つまり「聖書」は、聖書が啓示として存在するためにその本質要素として認識主体である教会に従属しているからである。

 例えば、『里程標:1927年から1977年の思い出』の中には聖母被昇天のドグマについて言及がある。
 アルタナー教授は聖母マリアの被昇天の教義をこう言った。「聖母の肉体の被昇天の教義は五世紀以前には知られていなかった。従って、この教義は『使徒継承の聖伝』には属しえない。」(58ページ)この批判に枢機卿は答えてこう言う。

 「聖伝」とは、私たちが以前にはまだ把握できなかったことをどのようにして理解するべきかを聖霊が私たち教え、「思い出させてくれる」(ヨハネ16:4)。聖霊が「認識主体」を教え、人間の思索の発展によって、徐々に啓示を啓(ひら)き示してくれる。こう理解すると、聖母の被昇天が「聖伝」であると理解できる。

 しかしこれに反対して、ピオ12世は大勅書『ムニフィチェンティッシムス・デウス』で私たちに別のことを教えている。聖母の被昇天の事実はこうだ。童貞聖マリアの肉体が天に上げられたということはキリスト教の初代からあり、聖母マリアの空の墓の崇敬もそれに含まている。(いまでも正教会によって守られている。)この玄義は、確かに教義の定義宣言がなかったが、常に世界中で信じられていた。どこにも教義の「課程」や「発展」がなかった。これは新しい信仰を作り出す「生きている過程」の表現ではない。私たちが「思い出した」わけでもない。


ラッツィンガー枢機卿にとって「イエズス・キリスト」とは?

 ラッツィンガー枢機卿は『キリスト教入門』(Einfuehrung in das Christentum)を書いた。これは1967年前期に、チュービンゲンで全学部聴講生にした講義から成り立っている。(エンデルレ書店から日本語訳も出版されている。しかし以下の引用はフランス語訳の引用からの孫訳である。)メッソーリ著『信仰について ラッツィンガー枢機卿との対話』(1985年 日本語訳1993年)によると、『キリスト教入門』は「さながら古典になってしまった感じの書物であり、すべてが"カトリック的"で」(25ページ)あると言われている。このような表現に対して、信仰教義聖省の長官として何も述べていないことからも分かるように、ラッツィンガー枢機卿は自分の著作を否定したことは一度もない。

 ラッツィンガー枢機卿によると、イエズス・キリストとは「そこにおいて人間存在の決定的現実が明らかになる人間であり、このこと自体において、同時に天主である」(『キリスト教入門』フランス語版126ページ)とある。これはどういう意味なのか? 少し難しいが、ラッツィンガー枢機卿の論を見ていこう。


キリスト論

 ラッツィンガー枢機卿によれば「啓示」の本質要素には「啓示を理解し意識する主体」が含まれるので、人間によって把握されたものである限り価値があり、それをそうと認識する主体の自己意識に基づく。とどのつまり、啓示とは認識主体の変化する自己意識であるので、イエズスが何であるかは、それを理解する主体の意識に基づいて発展する。つまり、砂糖はなめてみて甘いと感じられたら初めて甘いのであって、私によって甘いと認識された砂糖、「甘くなった(=変化した)」砂糖なのである。砂糖がなめなくても「甘いもの」であるかは、分からない。これに従うと、「砂糖をなめて甘いと感じる私の自己意識」を私が認識することによって、初めて砂糖は甘いものとなる。イエズス・キリストについても、ラッツィンガー枢機卿に従えば、私たちが、イエズスにおいて人間存在の決定的現実を明らかに認めるが故に、人間であり、人間存在の決定的現実を明らかに認めるが故に同時に天主である。

 ここでは「私がそう認識するが故に」という要素が重要であることをまず指摘しておこう。この上にラッツィンガー枢機卿の論は成り立っているからだ。

「その時私たちはキリスト論を神学の中に再吸収する権利があるのだろうか? それよりもむしろ私たちはイエズスを人間として要求し、キリスト論を人間主義、人類学にするべきではないだろうか? あるいはその時、イエズスが全く正真正銘の(真正の)人間であるという事実から、正真正銘の人間は、天主であったのか?、そして天主はまさしく正真正銘の人間だったのか? 最も急進的な人間主義と、啓示の天主に対する信仰とはここにおいて混合するほど結びつくことが可能なのだろうか? ・・・[教会の最初の五世紀の戦いは]当時の公会議において、この三つの問いに対して肯定的に答えた。」(『キリスト教入門』フランス語版140ページ)

 つまりラッツィンガー枢機卿は、イエズスが全く正真正銘の(真正の)人間であるという事実から、正真正銘の人間は、天主である、そして天主はまさしく正真正銘の人間である、と言っている。では、私が認識する「正真正銘の人間」とはどういうことなのか? 「正真正銘の人間がつまり天主である」と私が認識するとはどういうことなのか?

 このことを枢機卿は更に説明する。「聖子に関するこのヨハネのキリスト論の中心」は「僕(しもべ)であるという事実は、一つの行為として提示されていない。そうしていたら、その行為の後ろでイエズスのペルソナがそれ自体で閉じこめられてしまっていただろう。僕であるということはイエズスの全実存に染み込み、その実存それ自体が奉仕である(=etre)程だ。まさにこの全実存が奉仕以外の何ものでもないが故に、その存在は子供としての存在である。この意味において、ここにおいてのみキリスト教によって価値の変化がなされ、その終点に行き着いた。他者の奉仕にすべてを捧げるもの、完全な自己利益の否定と自己所有の否定に参与するもの、完全に自己利益の否定と自己所有の否定となる(=devenir)ものは、それこそが真の人間であり、人間と天主とが結合する将来の人間である、ということがここにおいてのみ完全に明らかとなる。」(『キリスト教入門』フランス語版152ページ)

「イエズスの実存は、"~から" と "~のために" という関係の純粋現実態である。そしてこの実存がその現実態と分離できないという事実自体から、このイエズスの実在は天主と同じ存在である(coinsider avec Dieu)。つまりイエズスの実存は同時に模範的人間かつ将来の人間となり(=devenir)、この模範的人間かつ将来の人間を通して、自分自身の存在を開始した人間が極めて少ないことを認識することができるのである。」(同153ページ)

 ラッツィンガー枢機卿によれば、詩篇第2にある「おまえは私の子である。私は今日、おまえを生んだ。私に求めよ、そうすれば私は異邦の民を遺産として与えよう。」(詩篇2:7-8)を初めてイエズスに当てはめたのは、「原始キリスト教共同体」であった。この詩篇の言葉がイエズスに適応されたのは「人間実存の意味を、自己肯定する力においてではなく根元的に他者のための実存においておいた者に、そして十字架が証明するように、この他者のための実存それ自体であった者だけにこそ、天主は "おまえは私の子である。私は今日、おまえを生んだ。" と言った」(同146ページ)という確信を説明することだけを意図していた。

 枢機卿によれば詩篇の「今日」とは、「"おまえは私の子である。私は今日---つまりこの [十字架の上という] 状況において---、おまえを生んだ。" 」という意味であり、「天主の子という概念は、・・・詩篇第2による、復活と十字架の説明を通して、このやり方でこの形の下で、ナザレトのイエズスへの信仰告白の中に入った。」(同147ページ)

 これは私たちが普通に理解していることではない。私たちは、永遠の天主の御言葉、つまり世の創造以前から、永遠の「今日」において「聖父から生まれ、創られたのではなく、聖父と同一の天主性を共有する聖子」が、時において人間となった、と理解している。しかし枢機卿は、十字架の上において「他者のための存在」として受肉した時、一人の人間が天主と同じ存在である」(coinsider avec Dieu)という。

 私たちは、イエズス・キリストと私たち普通の人間との違いは、創造主である天主と被造物である人間との違い(しかも無限の隔たりのある違い)である、と理解している。しかし『キリスト教入門』によれば、「他者のための存在」という人間の到達した発展の程度が違うだけである。私たちのしているような普通の理解は、「十字架につけられた人間でありしもべを、その代わりに新たに発明するために、存在論的な神話にすることしかできないような凱旋主義のキリスト論」として捨て去らなければならない。「存在論的な神話」と作り出してしまった「凱旋主義的キリスト論」の代わりに、ラッツィンガーは「奉仕のキリスト論」を提案する。「奉仕のキリスト論」によれば、ヨハネ福音書にこれが見いだされ、「子」とはつまり「完全なしもべ」という意味である。

 人間イエズスは、完全なしもべであるが故に「天主と同じ存在」であり、そのことによって私たち人間に、人間とは「天主と同じ存在」となること、人間と天主とは実は同じことであることを啓示する。ラッツィンガー枢機卿は言う。「このことはダンテの神曲の最後を思わせる。そこでダンテは天主の玄義を観想しつつ、沈黙のうちの調和において太陽と天の星々を動かしている愛の全能のただ中において、驚くべき至福として、自分に似たイメージつまり人間の顔を見る。」(125-126ページ)

 更に、聖パウロのいうキリストが「第二の人」(1コリント15:47)であるということは、ラッツィンガーによれば「人間の将来うちに人間を導入した決定的な人間」(158ページ)である。そしてこの観点において「またその御独り子、我らの主イエズス・キリストを信じ奉る」という信仰宣言の意味を説明している。「私たちの以上の考察の後に、私たちはまずこのことを肯定できるに違いないだろう。つまりキリスト教信仰はナザレトのイエズスにおいて模範的人間を認める---そしてこれこそが「第2のアダム」というパウロ的概念の意味を明らかにする最善のやり方であるように思われる---。そして正に、模範的人間として、典型的人間としてイエズスは人間の限界(beschraenkt)を超越する。そこにおいてのみイエズスは真に模範的な人間である。」(158ページ) 何故なら、人間が人間であるのは「すべてに対して、無限に対して開かれている」からこそであり、「無限に自分自身を超えようとするからこそ、人間は人間である」(159ページ)からである。「最も制限されていない(ent-schraenkt)者、無限と接触のあるのみならず、無限の存在と一つである者こそが最も人間であり真の人間である:それがイエズス・キリストだ。彼において人間化の課程が真にその究極点に到達した。」(159ページ)

 これはテヤール・ド・シャルダンの「オメガ点としてのキリスト」、進化の究極に到達した人間としてのキリストと似ているのではないだろうか。そうだ。ラッツィンガー枢機卿はこう言う。「世界の現在の姿からこれらの関係を考え直した、・・・そしてそれらをもう一度手の届くものにしたことは、テヤール・ド・シャルダンの偉大な功績である。」(160ページ) 「宇宙的な漂流は "各々のエゴ(=自我)が何らかの神秘的なスーパーエゴ(=超自我)において自分の激烈な発作に到達するように運命付けられているところのほとんど単一細胞の信じられない状態の方向へと" 動いている。人間は、エゴとしては、確かに一つの終わりを意味するが、しかしその固有の実存の、存在の運動方向は、エゴを融解するのではなく飲み込むスーパーエゴへと方向付けられている組織としてそれを啓(ひら)き示す。この完全化だけが将来の人間の形を荒らさすことができるだろう。そしてその形において、人間はその存在の目的と頂点に完全に達することだろう。」(162ページ) この完全な人間化とは、つまり天主化であり、「超自然」である。これは「パウロ的なキリスト論に忠実な」解釈であり、「進化の過程に従った変化」において実現されたことを、信仰はイエズスにおいて見ると言う。「ここから、信仰はキリストにおいて、ますます天主化された人間性を、唯一のアダムの存在の中に、唯一の「体」の存在の中に、将来の人間の存在の中に入らせる運動の始めを見るだろう。信仰はキリストにおいて、人間のこの未来への運動、人間が完全に「社会化」し、「一者」と一体化する未来への運動を見るだろう。」(163ページ)

 これがラッツィンガー枢機卿の言う、イエズス・キリストとは「そこにおいて人間存在の決定的現実が明らかになる人間であり、このこと自体において、同時に天主である」という意味である。


イエズス・キリストの復活

 だからこそ、ラッツィンガー枢機卿がイエズスは「十字架おいて死んだ者、そして信仰の目には復活した者」(146ページ)である。「従って、復活は、十字架の磔刑と同じ意味において、一つの歴史的出来事ではありえない。復活はどのような叙述によってもそのようなものとして表現されておらず、その実現は『第三日』という終末論的典型の表現としてのみ決定される。」(ラッツィンガー枢機卿『カトリック神学の原理』Tequi 1985. p.208) ラッツィンガー枢機卿によれば、人間存在の決定的現実において、人間は天主であり、キリストにおいて「人間存在の決定的現実」に光があてられたという事実によってのみ、キリストは天主となった。

 もしそれがそうなら、新神学で著名なヘンリチ(イエズス会)師が、ラッチンガー枢機卿を他の近代主義派の中に入れて、こう言っているのは当を得ていると言わざるを得ない。 「神学のほとんどの教職は、コンチリウム(=急進的な近代主義のグループ)のメンバーたち、コムニオ(=穏健的な近代主義のグループ)によって占められており、バルタザール、ド・リュバック、ラッチンガーなどは枢機卿となった。コムニオは最近司教となったほとんどの神学者たちを輩出した。」(ヘンリチ師:トレンタ・ジョルニ誌1991年12月号にて)  枢機卿に関するメッソーリの言葉を借りれば「彼はバランスのとれた "進歩主義者" である。」(『信仰について』25ページ)


私たちの信仰

 しかし私たちはトリエント公会議でin eodem sensu et in eodem sententiaと言われるように、聖伝を同じ意味、同じ言葉で理解する。私たちの信仰とラッツィンガー枢機卿の説とはかけ離れている。枢機卿は、デカルトとカントから始まったドイツ観念論哲学に浸りきっているようだ。すべてが満ち足りた状態で書斎に座って「私が疑うが故に、私がある」とし、私が認識するのは、私の観念であってもの自体ではない、と主張してことから出発しているようだ。

 しかし、私たちの現実認識はそんなことから始まるではない。或日本の元体育の教師が事故で身体不随になった時、病院で自分が生きている、と実感したのは病院のトイレの便尿の臭いだった、ということを以前聞いたことがある。私たちにとって「部屋に蚊がいてブンブン唸って眠られない、蚊に食われてかゆい」、それだで私たちが自分ではどう思ってもどうしようのない現実をありのままに認識するのに十分だ。歯が痛い、歯が痛くて何も食べられない、歯が痛くて眠られない、何も食べられないからおなかが減ってしかたがない。火事だ!火を消せ! 地震だ! 机の下に隠れよ! 雷だ! 危ない! 身を伏せよ! 私たちは、自分の観念を認識するのではなく、自分の外の、自分が何を思おうともどうすることもできない現実世界を、あるがままの現実を認識して生活している。そうしなければ生き残ることはとうていできないからだ。そして私たちのカトリック信仰も、このあるがままの現実世界の認識から始まっている。

 私たちのカトリック信仰が、このあるがままの現実世界の認識から始まっているのは、「私たちにとって」イエズス・キリストとは誰なのか、私たちが何と考えるか、ということよりも、イエズス・キリストとは一体全体誰なのか? という認識から始まるからだ。

 確かに私たちは、"~から" と "~のために" という関係によって捉えることもできる。馬をさして、牧場の主人にとっては、これは「私の財産で宝」かも知らない。動物学者にとっては「研究対象」でしかないかもしれない。ローマ時代の御者にとっては、馬車の駆動力であり馬力の単位かもしれない。しかし「私にとって」という関係を超えて、私にとって何であろうとも、馬は、馬を生み、決して猫を生み出すことはない。それはそれ自体にとって究極には何であるのか? 私たちはこの或る馬をさして、<馬>と理解する。私たちが理解したからこれが馬になるのではない。私たちが何を思おうとも、好きであるが嫌いであろうが、あるがままの現実がそうだから私たちは<馬>だと認識する。同様に、ナザレトのイエズスも、ユダヤ人にとって躓きであり、ギリシア人にとって愚かさであったとしても、ナザレトのイエズスは、私たちが何と思ってもどうしようもないありのままの現実として、人となった本性による天主の御一人子である。


ラッツィンガー枢機卿によるとファチマは?

 ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿による「啓示」や「聖伝」、「イエズス・キリスト」について見た私たちは、ファチマの私的啓示について話を変えよう。1984年11月11日に、信仰教義聖省長官ラッツィンガー枢機卿は雑誌『イエズス』においてのインタビューの中で、第三の秘密を読んだこと、そして秘密が「信仰の危険、そしてキリスト教徒的生活をそしてそれゆえに世界の生活を脅かしている危険」に言及していることを明らかにしている。また秘密が「Novissimi[終末]の重要性」に言及していることを言い、この『第三の秘密』に含まれている事柄は聖書において告知されてきたこと、そして多くの他のマリア御出現において、とりわけファチマの御出現において、繰り返し言われてきたことに一致しているということを明らかにしている。

=== ここでファチマの秘密について注を加えたい。 ===

 アマラル司教(ファチマの三番目の司教)も1984年9月10日にオーストリア、ウィーンでの講演の中でこう言う。「その内容はただ信仰にのみ関係している。[第三の]秘密を破局の告知あるいは核のホロコーストと同一視することはメッセージの意味を歪めることだ。一大陸の信仰の喪失は一国家の絶滅よりも悪い。そして信仰がヨーロッパにおいて絶えず先細りしていることは本当だ。」

 1990年3月17日にオッディ枢機卿はこう宣言する。「それ[第三の秘密]はゴルバチョフとは何の関係もない。聖母マリアはわれわれに教会における背教に対して警告している。」

 マリオ・ルイジ・チアッピ枢機卿もこう証言する。「第三の秘密の中では、他のこともいろいろあるが、教会における大背教が頂点で始まるであろうということが予告されている。」

 1944年から少なくとも1984年のラッツィンガー・インタビューの年まで、第三の秘密の内容に関連するあらゆる個々の証言は、それが教会における信仰と規律の破局的な喪失、「誤った教義によって騙されている」教会人たち、教会において「責任ある地位を占めている非常に多くの人々」を苦しめている「悪魔的な間違った方針」、「悪魔が善の覆いの下に悪を潜り込ませ、彼らが占めている地位を通じて重い責任を持っている霊魂たちを誤謬へ導き、欺くことに成功した。...彼らは盲目の人々を導く盲目の人々である」がゆえに、「そのように欺かれ、誤り導かれた司祭たちや修道者たちの霊魂」への言及に満ちている。

=== ファチマに関する注を終わり。 ===

 しかし、ラッツィンガー枢機卿は、2000年6月26日の「ファチマの第3の秘密」の発表においては「信仰の危険」や「終末」のことは語らない。聖母マリアの汚れなき聖心の凱旋(the triumph of the Immaculate Heart)とは、何を意味するのか? という自問に自答してラッツィンガー枢機卿は言う。

「天主に対して開かれた心、天主を観想することによって清められた心は、あらゆる銃や武器よりも強い。マリアの「我になれかし(fiat)」、マリアの心の言葉は、世界史を変えた。何故ならこれが世界に救い主をもたらしたからである。何故なら、マリアの「はい」のおかげで、天主は私たちの世界において人間となり常にそう留まるからだ。」

 ラッツィンガー枢機卿のファチマ「再解釈」によれば、ファチマとはもはや過去のことであり、2000年前のお告げでの「我になれかし」の言葉をもって、聖母の「汚れ無き御心」は勝利した。「汚れ無き御心」とは、マテオの福音5章にある「心の清いものは幸い、彼らは天主を見るだろうから」と同じことなのである。

 ラッツィンガー枢機卿によれば「聖母の汚れ無き御心に対する信心」とは「私たちの心を天主に開く」ということなので、ファチマの聖母マリアの「天主はこの世界において私の汚れ無き御心に対する信心を確立することを望んでおられます」という言葉は「天主は、皆がその御旨を果たすことを望んでいます」と理解されることになっている。

 何故、1984年11月11日と2000年6月26日との内容にこんなにも違いがあるのか? これはラッツィンガー枢機卿の「主観主義」のためではないだろうか? ファチマのメッセージについて「そのメッセージを理解する主体の自己意識」こそが、そのメッセージの本質要素をなしていると考えるならば、メッセージそれ自体の意味というものは存在せず、「メッセージを理解する主体である私」だけがあることになる。私が理解するに従って、メッセージの理解が深められ「発展し」ていくと考えられるから、それが「生きている過程」と考えられているからではないだろうか。ラッチンガー枢機卿にとっては、啓示は終わったのではなくまだ続き、恒常的であり、啓示は汲み尽くせず、共同体の自由な解釈、各々の信徒の解釈が、教会の最高教導職であるかのように立てられると考えられているからだ。その時、もはや聖母マリアが何を言おうとしていたのか、というよりも「私が何を理解しようとするのか」の方が重要だからだ。


ラッツィンガー枢機卿にとって「第2バチカン公会議」とは?

 メッソーリが言うように「1985年はその【=第2バチカン公会議の】終了後二十周年に当たる。それは二世紀の流れよりもカトリック教会を変えた二十年間であった。」(『信仰について』37ページ)その1985年、ラッツィンガー枢機卿は、その十年前の1975年にした「第2バチカン公会議は、今日、たそがれの光の中にある」「教会の真の改革は、議論の余地のない程否定的な結果に導いた誤った道を捨てることを前提とする、と明確に認識されるべきである」という自分のスピーチを再確認して言う。

 「この二十年間(1965~85年)がカトリック教会にとって決定的に不利であった、ということには議論の余地がない。公会議に続く結果は、ヨハネ23世やパウロ6世を始めとするみんなの期待を無惨にも裏切ったかに見える。キリスト教徒は、再び、古代末期以来かつてない少数派になってしまった。・・・ 公会議の教皇たちや教父達は、カトリック的な新たな一致を期待していたのに、---パウロ6世の言葉を借りて言えば---自己批判から自己破壊になりかねない不一致に直面した。・・・ 躍進をこそ期待したのに、結果的には衰退を見せつけられ、それは公会議の真の精神の権威を失墜させる自称 "公会議精神" の掛け声のもとで蔓延していった。」(『信仰について』40-41ページ)

 ラッツィンガー枢機卿によれば、第2バチカン公会議は正しく理解されていない、第2バチカン公会議の文章を再読し、新しく解釈し、再発見しなければならない。だから「真正の第2バチカン公会議の、真正な諸憲章に立ち戻ること」が必要である。「私たちが忠実でなければならないのは、今日の教会に対してであって、昨日の、あるいは明日の教会に対してではない。そして、教会のこの今日のとは、第2バチカン公会議の真正の諸憲章である。」(同42ページ)

 「公会議の本来の顔を示すのは今後の大仕事である。」(同45ページ)

 「この "真の" 公会議に対して、・・・実際には真の "反精神" である偽称 "公会議精神" が張り合った。この致命的な反公会議精神---ドイツ語で言うとKonzils-Ungeist---によれば、すべて "新しいもの"、あるいは新しいと推定されるものは、今まであったもの、あるいは今あるものよりも常に、何はともあれいいものなのだ。(this "true" Council ... was opposed by a self-styled 'spirit of the Council'. which in reality is a true 'anti-spirit [Konzils-Ungeist in German])」(同46-47ページ)

 「第2バチカン公会議の真の時はまだ来ていないのかもしれないし、その真正の受信はまだ始まっていないのかもしれない。・・・ 公会議諸文書の明文の再読は必ずや私たちにその真の精神を再発見させるだろう。」(同54ページ)

 啓示とは自己自覚における認識主体の発展に従う意識であり、聖霊は「認識主体」を教え、人間の思索の発展によって、徐々に啓示を啓(ひら)き示してくれる。聖伝とは「教会の生きる過程」であり、新しい理解と自己意識に対して開かれることにより「発展」する。その意味での「聖伝」の光に照らされて、第2バチカン公会議もこの延長上に理解されなければならない。

 これが「私は過ぎ去ってもう取り返しの付かない昨日の教会をいたずらに懐古するのではなく、また、まだ私たちのものではない明日を思い煩い短気になるのもなく、第2バチカン公会議に、充実にとどまろうといつも努めてきた。」(26-27ページ)という枢機卿の言わんとすることの意味である。

 メッソーリは第2バチカン公会議後の危機を乗り越えるための restoration (ここでは「反宗教改革」ではなく「宗教復興」と訳す。何故ならむしろ Counter-Reformationが「反宗教改革」に対応する用語であるからだ。)について、ラッツィンガー枢機卿に質問する。枢機卿は「宗教復興」が「世界への行き過ぎた見境のない解放の後の、新しい均衡の探求」つまり「カトリック的全体性内部での方針と価値の新しく発見された均衡(a newly found balance of orientations and values within the Catholic totality)」のと考えるなら、それは進行中であるという。ヘーゲルの「正 + 反 -> 合」という弁証法のようだが、公会議の「行き過ぎ」と「反動」との間に発見された「新しい均衡点」とは、どのようなものだろうか? メッソーリはこれを質問する。「公会議以後の教会の現実に関する否定的なイメージには、一つでも言い何か肯定的な要素の入り込む余地はないのか? ・・・ 他のポジティヴな印を教会史のこの時期に見ていないのか?」

 枢機卿はこう答える。「普遍教会のレベルで希望を開くのは---そして西欧世界における教会の危機の心臓部で起きているのは---誰が計画したのでもなく、信仰そのものの内的生命力から自発的にあふれ出た新しい運動の発生である。それらの運動には教会の聖霊降臨の季節を思わせる何かが現れている。・・・ カリスマ運動、クルシリオや、フォコラーレ運動、新求道者共同体、一致と解放共同体などなどのことを言っているのだ。・・・ それは教会の新しい世代が頭角を現してきたことであり、私はこれに大きな希望かかけている。・・・ 私たちの課題は、これら運動に門戸を開き、彼らにその居場所をつくってやることである。」(58-60ページ)


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 以上、私たちはラッツィンガー枢機卿の以前の思索とその思想を確認した。それにより、ベネディクト16世教皇様が今後どのように教会の舵を取っていかれるか、の想像がつくかもしれない。

 教皇様の枢機卿時代の思想をしった私たちの反応は何であるべきか? ベネディクト16世教皇様のためにますますひざまづいて祈る、これではないであろうか。私たちは教皇様のために祈らざるを得ない。

 天主の御母聖マリアよ!
 私たちのベネディクト16世教皇様を照らし導き給え!

 上智の座よ! ベネディクト16世教皇を守り給え!

 カトリック教会の守護者なる聖ヨゼフよ! ヨゼフとしてこの世に生を受けた私たちの教皇、ベネディクト16世を守り給え!

 聖ベネディクトよ! 私たちの教皇ベネディクト16世を守り給え!

 教皇として最後に列聖された聖ピオ十世よ! 御身の後継者ベネディクト16世を守り導き給え!

 リベリウス教皇に破門されながらも、イエズス・キリストが真の天主であると宣言したニケア公会議を守った、聖アタナシオよ、ベネディクト16世を守り給え! 我らのために祈り給え。

文責:トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)