マニラのeそよ風

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第159号 2003/07/05 証聖者、聖アントニオ・マリア・ザカリアの祝日

聖アントニオ・マリア・ザカリア
聖アントニオ・マリア・ザカリア


「私は、キリストが私に委ね給うた遺産を守るために
全てに苦しむ覚悟ができている」
(聖ピオ10世教皇 1908年5月23日)

アヴェ・マリア!

 兄弟の皆様、今回は、国際ニュースをどうぞ


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アメリカのガリー・ディリー神父様が聖伝に立ち戻る

 聖トマス・アクイナス神学校の Verbum 紙(88号 – Winter 2003)によると、ガリー・ディリー神父様(Fr. Gary Dilley)が、聖伝のミサに戻ってきたそうです。

 ガリー・ディリー神父様は、1940年生まれ。1972年にワシントンの聖母無原罪の御宿り大聖堂で叙階の秘跡を受けました。

 最初は、聖伝について何も知らなかったのですが、1988年 NBC のナイト・ニュースでルフェーブル大司教様のことを知るようになりました。このニュースで影響を受け、最初、神父様は聖ペトロ会と行動を6年間共にしたそうです。

 しかし、聖ペトロ会が「新しいミサとあまりにも関係がありすぎる」と感じました。聖ペトロ会は、第2バチカン公会議後の新しい秘跡と第2バチカン公会議を受け入れなければならないからです。そして聖ペトロ会のチャペル以外のところでは、新しいミサを捧げなければならないし、新しい秘跡を執行しなければならないので、不満でした。また、聖ペトロ会は、リベラル派の乱用やスキャンダルや汚聖などを見ても、口を閉じたままで、抗議の声を挙げようともしません。

 そこで、神父様は、聖ペトロ会が実は聖伝を守っているのではないのだ、「聖伝主義者を捕まえるためのゲーム」のエサであり、人質でしかないのだ、と分かり、この会を離れることにしました。神父様の決定は5年間の考察と祈りと勉強の後に為されたものです。これは、感傷的なものではなく、良心の問題だったと言っています。

 神父様は、聖ピオ十世会と行動を共にするようになったため、多くの友人を失いました。しかし、聖伝に完全に立ち戻って嬉しそうです。

 神父様は言います。「平信徒の腐敗は広がっている。新しいミサの教会での多くの信者たちは避妊を実行している。カトリックの教えと、新しい教会の教えとの違いは、『犠牲』という言葉にある。真のカトリック信者であるためには、犠牲が必要だ。」

(From: http://groups.yahoo.com/group/tradlist/
[TradList] USA - FSSP priest joins the SSPX)


アメリカ:
スティーヴン・ソマーヴィル神父様 (Fr Stephen Somerville)

 やはり聖トマス・アクイナス神学校のVerbum紙(89号 – Spring 2003)によると、聖伝に立ち戻ったスティーヴン・ソマーヴィル神父様(Fr Stephen Somerville)の紹介がありました。スティーヴン・ソマーヴィル神父様が、今年2月のアメリカ管区の司祭の研修会にお越しになったそうです。そして45名の神父様たちと、その他在学中の神学生と共に、有益な時を過ごしたそうです。

 スティーヴン・ソマーヴィル神父様については、実は Angelus Magazine (October, 2002号)に詳しい紹介がありました(詳しくは、次のアドレス http://www.sspx.ca/Angelus/2002_October/Renouncing_Service_ICEL.htm をご覧下さい)が、ロンドン生まれの英国人で、2歳の時に両親と共にカナダに移民し、カナダの国籍を得ました。1956年にカトリック司祭として叙階され、第2バチカン公会議の時には、当時33才でありながら、カナダの代表として、元英語典礼国際委員会(International Commission of English Liturgy)の委員(member of the Advisory Board)でした。神父様は「英語典礼国際委員会の為した仕事には、数千の誤訳がある」と言っています。最初は「従順」のために新しいミサをしていましが、2001年、休暇の司祭の代わりに、テキサス州のヒューストンの教会に聖伝のミサをするために行きました。これは聖ピオ十世会の教会ではなかったのですが、聖伝のミサをする司祭の教会でした。

 「これらの信者たちからものすごいインパクトを得ました! ミサ中の彼らの敬虔な態度、行儀の良い子供たち、彼らの典礼に対する愛、彼らの祈りに対する熱心さ、私は自分にこう言いました。私は聖伝のカトリック信者のために働きたい! このような人々のためにこそ働かなければならない! 彼らは司祭に飢えている!」と神父様は言っています。

 「彼らは、私に本を(ルフェーブル大司教の本も含めて)持ってきてくれました。これらの本は、第2バチカン公会議の間、教会に何が起こったのかを私に本当によく説明してくれました。公会議の後に起こったことは、たまたま起こった偶発的なことではなく、公会議の望んだ結実だったのです。」

 また、ウィノナの神学校について「生き生きとして素晴らしい神学校を見るのは良いものだ。神学生の数は少ないが、増加するだろう。遠からず、もしかしたら、爆発的に聖伝の教会で信者の数が増えるかもしれない。でも、その前に、天主様の怒りの爆発が最初に来るかもしれない。私たちが皆、守られるように祈っている」と言っています。

 神父様は、ローマが聖伝に完全に立ち戻り、カトリック教会を21世紀の近代主義の異端から解放するその日が早く来るように祈っているそうです。


もう一度アメリカ:
フランシコ会司祭クレメント・プロコピオ神父様

 Angelus Magazine (May, 2003号)によると、フランシコ会司祭のクレメント・プロコピオ神父様(Fr Clement Procopio, O.F.M.)は、聖伝に立ち戻ったそうです。

 クレメント・プロコピオ神父様は、1919年生まれ、1944年にフランシスコ会士としてカトリック司祭に叙階され、中央アメリカで長い間働いておられました。しかし健康を害した神父様は1965年にミッションから引退しアメリカに戻っておられました。しかし1999年には、アリゾナ州のフェニックスで隠退生活をしていた神父様は、長い研究と祈りと読書の末、聖伝のミサだけを捧げるように決意されました。そして一度たりとも新しいミサを捧げまいと決心しました。いまでは、神父様はアリゾナ州で聖ピオ十世会と活動を共にして、私たちの主イエズス・キリストのために働いておられるそうです。詳しくは、Angelus Magazine (May, 2003号)をご覧下さい!


再びアメリカ:
スティーヴン・ジングラング神父様は聖伝に立ち戻る

 2003年6月29日の主日に、アメリカのテキサス州にあるチャンネルビュー (Channelview)の聖アンドレア・カトリック教会の主任司祭であるスティーヴン・ジングラング神父様(Father Stephen Zingrang)は、説教台から、今までやっていた新しいミサをこの主日から金輪際一切止める、と信者の皆さんに発表しました! 小教区の60パーセントの信者さんは、直ぐに教区の司教様に報告しましたが、残る40パーセントの小教区民はジングラング神父様を一致して支持しているとのことです。

 ジングラング神父様は、過去18ヶ月の間、聖ピオ十世会と連絡を取っていました。これは神父様にとって苦悩と祈りと考察の末の最終的な一大決心だったのです。簡単なことではありませんでした。聖伝のミサを、大きな犠牲を覚悟の上選んだジングラング神父様のために祈りをささげましょう。またヒューストンのフィオレンツァ司教様のためにも光が与えられるように祈りましょう! 日本からも多くの神父様たちが聖伝のミサに立ち戻るように祈りましょう!

(RomanCatholics@yahoogroups.com に参加しているアメリカのカトリック信者である"Jack Davignon" Jack95rr@sbcglobal.net さんからの投稿(Mon, 30 Jun 2003 23:40:16 -0500)によります)

 次は、スティーヴン・ジングラング神父様の聖アンドレア教会での聖伝のミサに与ったアメリカの信者Johnさんのメールからです(要約)

 「これは、歴史的な日だと思います。この日こそ、教会を再建する戦いの勝利の日として記念されるでしょう。神父様のお説教で、私は、そしてその他の多くは、涙を流しました。神父様が叙階の日から真理に辿り着くまでの道筋を説明して下さり、私たちはそれを注意深く聞きました。神父様は、自分の天主への義務は、霊魂を救うことであり、まず自分の霊魂を救わなければならないこと、私たちの救いは信仰に基づくものであり、私たちの信仰は真のミサ、聖伝のミサに、諸聖人と殉教者たちの聖伝のミサに保存されていることを説明してくれました。この聖伝のミサこそ、天主に対する、そして自分自身に対する、私たち信者にたいする、司祭の義務であり、私たちの救いのための援助であるのです。そしてこの聖伝のミサをこそ、神父様は今後私たちのために捧げて下さるのです。この聖伝のミサこそ、私たちの救いのために必要なミサなのです。・・・」


スイス: 召命の危機

信徒によって運営される平信徒の教会が15年後に到来か

 主のブドウ畑で働く人が足りなくなっているというのは、現代の普通のことになってしまいました。マックス・ホファー神父(l’abbé Max Hofer)の分析によるスイスの状況をお知らせします。

 マックス・ホファー神父は、ルツェルン地域の司祭地域長ですが、2012年には3小教区のうち1小教区だけに主任司祭がいることになるとのことです。これはフランスに比べればまだましな状況なのですが、つい最近までは全ての小教区ごとには主任司祭が存在していたことを考えると、急激な現象です。ですから、司祭の不在現象は突如として加速的に増え、平信徒によって運営される平信徒の教会が15年後に到来することになります。これはちょうどプロテスタントの教会と同じようなものです。マックス・ホファー神父はこう強調しています。

 「20年ほど前は、司祭だけが小教区の責任を負っていた。なぜなら小教区共同体において御聖体が中心的な役割を果たしていたからだ。しかしこれは変わった。共同体の行政管理、社会的活動、コミュニケーションなどが重要性を帯び、典礼については疎かにされていった。それと同時にミサに参加する信者の数も減っていった。」(APIC)

 マックス・ホファー神父の提案する解決策は、既婚者を叙階することでした。教会は一時的な解決策を取るかもしれません。そして教会はプロテスタントのようになって行くことがますます明らかになっています。

 このような事実がますます広がるにつれて、私たちには、聖ピオ10世のような聖なる教皇様が必要ではないでしょうか。曖昧な回勅によるのではなく、はっきりした態度で教える教皇様が。

(From DICI Nº 78 du 24 juin 2003)


 日本:司祭の平均年齢60歳 止まらぬ高齢化

今後15年のうちに司祭数は半分から3分の1になると予測される

 カトリック司教協議会秘書室広報が、日本における司祭、修道士の年齢構成などを発表しました(6月1日現在)。それによると全司祭1732人(そのうち91人が海外で宣教または勉学中)の平均年齢は60歳、全修道士238人の平均年齢は61歳だそうです。司祭のうち、平均年齢の最も高い教区は札幌で63歳、最も低い教区は高松で44歳です。また最も人数の多い年代は70代でした。60歳以上の司祭数は998人で全体の約57・6%。ここ30年、高齢化は急速に進みました。

 司教協議会秘書室研究企画の有村浩一さんはこう言っています。

 「今後15年のうちに司祭数は半分から3分の1になると予測される。戦後、数多くの宣教師にお世話になったことに感謝するとともに、これからは新しい時代の教会の姿を、信徒、修道者と司祭が協力して築いていくことになると思う。」

 なお日本の神学生は156人(2002年12月末現在)、助祭は31人います。日本には37カ国からの外国籍司祭がいますが、国籍別の人数をみると、最も多いのがスペインで116人、次いで米国、イタリア、フランス、ドイツの順となっています。
(From http://www.cwjpn.com/kiji/3722/1p-shisai_nenrei.htm)


英国教会: 腐敗と離教の狭間で

 アメリカのニュー・ハンプシャーにあるエピスコパリアン教会(英国聖公会の一派)は、自称同性愛者を「司教」として選びました。アメリカのエピスコパリアン教会は230万人の信者を数えると言われています。

 英国ではリーディング(Reading)で、もう一人別の同性愛者の「司教」が選ばれています。この選択のニュースで、聖公会の8名の「司教」たちは、これに反対して聖公会を離れると行っており、その他の8名は新しい候補者を擁護しています。

 リーディングの聖公会の聖職者たちは、4分の1が、この決定が実行されたら教区を離れると言っており、その他の半数以上は、問題がないと言っています。世界中で聖公会信者が一番多く存在しているのはナイジェリア(1750万の信者)ですが、もし英国がこの決定を遂行するなら、離教すると脅しているそうです。

(From DICI Nº 78 du 24 juin 2003)


英国: 千以上の英国教会の建物が閉じられる

 イギリスでは、聖公会が英国の国教でありながら、多くの教会を保存するのは難しくなっています。Churches Conservation Trust(教会保存信託)は警告の鐘を鳴らしています。イギリスにおける聖公会の信者はフランスにおけるカトリック信者以下の宗教の実践しかしておらず、過去30年に357の教会は取り壊され、904の建物は宗教以外のために使われています。

(From DICI Nº 67 du 21 décembre 2002)


トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)