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第154号 2003/06/15 至聖三位一体の祝日


御言葉は肉体となって私たちのうちに住まわれた。(ヨハネ1:14)
キリストにおいては、天主性の満ち満ちたものが
すべて体の形を取って宿っている。(コロサイ2:9)
Cor Iesu, Verbo Dei substantialiter unitum, miserere nobis !
天主の御言葉と合体せるイエズスの聖心、我らを憐れみ給え。

アヴェ・マリア!

 兄弟の皆様、今日は、至聖三位一体の祝日です。聖伝の聖務日課では、第一時課の時に必ず次の信経を唱えなければならない日です。兄弟の皆様もご一緒にどうぞ。


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聖アタナシウス信経

救われんと欲するものは、誰といえども、まづカトリック信仰を擁せねばならぬ。
この信仰を完璧に且つ欠くことなく守りし者でなくんば、誰といえど、疑うことなく永遠に滅びるべし。
カトリック信仰とは、そのペルソナを混同することなく、またその本体を分かつことなく、唯一の天主を三位において、また三位を一体において礼拝することこれなり。
何となれば、聖父のペルソナは、聖子のペルソナにあらず、聖霊のペルソナにあらず。
されど聖父と聖子と聖霊との天主性は一にして、その光栄は等しくその御稜威はともに無窮なればなり。
聖子は聖父の如く、聖霊もまた聖父の如く。
聖父も創られたる者にあらず、聖子も創られたる者にあらず、聖霊も創られたる者にあらずなり。
聖父も宏大にして、聖子も宏大にして、聖霊も宏大なり。
聖父も永遠にして、聖子も永遠にして、聖霊も永遠なり。
しかれども三つの永遠なるものあるにあらずして、永遠なる者は一つなり。
しかも三つの創られざる者および宏大なる者あるにあらずして、創られざる者は一なり、宏大なるもの一なるが如し。
同じく聖父も全能なり、聖子も全能なり、聖霊も全能なり。
されど全能なる三者あるにあらずして、一の全能者あるのみ。
かくの如く聖父は天主、聖子は天主、聖霊は天主なり。
されど三つの天主あるにあらずして、天主は一なり。
また、聖父は主、聖子は主、聖霊は主なり。
されど三つの主あるにあらずして、主は一なり。
何となれば、キリスト教の真理は、各々のペルソナを個々に天主および主なりと告白することを我らに強いるとともに、三つの天主および主ありと言うことも、カトリック教の禁ずるところなればなり。
聖父は何ものよりも成らず、創られず、且つ生まれず。
聖子は、成りしにもあらず、創られしにもあらず、唯聖父より生まるるなり。
聖霊は、成りしにもあらず、創られしにもあらず、生まれしにもあらず、聖父と聖子とより発するなり。
故に、聖父は一にして、三つの聖父あるにあらず。聖子も一にして三つの聖子なく、聖霊も一にして三あるにあらず。
またこの三位において前後なく、大小なく、三つのペルソナは皆互いに同じく永遠に且つ等しきなり。
されば前に言える如く、一切を通じて、三位において一体を、また一体において三位を拝すべきなり。
救われんと欲する者は、三位についてかく信ずべし。
されど永遠の救いのためには、我らの主イエズス・キリストの御托身を忠実に信ずること必要なり。
故に正しき信仰は、我らの主イエズス・キリストが、天主の聖子なり、天主且つ人なりと、我ら信じ宣言するにあり。
主は、天主として聖父の実体から代々の前に生まれ給い、人としてこの世において母の実体から生まれ給いし。
完全なる天主、理性を有する霊魂と人間の肉とを持し自存する完全なる人、
天主性によっては、聖父と等しく、人間性によっては聖父には劣る。
天主かつ人であり給うが、二ではなく一なるキリストなり。
天主性が肉に変わりしが故ではなく、人間性を天主のうちに取り給うたが故に一なり。
実体の混同なく、ペルソナの一性により、全く一なり。
理性的霊魂と肉体とが一なる人なる如く、天主且つ人は、一なるキリストなり。
主は、我らの救いのために苦しまれ、古聖所にくだりて、三日目に死者のうちよりよみがえり給えり。
天に昇りて全能の天主聖父の右に座し、生ける人と死せる人とを裁かんために来たり給う。 主の再臨に当たりては、すべての人はよみがえり、自分の肉体を持ち、各々が業にしたがいて報いを得ん。
善をなしたる者は、永遠の生命に生き、悪をなしたる者は永遠の火に行かん。
これ、カトリック信仰なり。誰といえどもこれを忠実に且つ堅く信ぜずば、救われることなるべし。

願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。始めに在りし如く、今も、いつも、代々に至るまで。アメン




Symbolum Athanasianum 聖アタナシウス信経
Quicumque vult salvus esse, ante omnia opus est, ut teneat catholicam fidem: 救われんと欲するものは、誰といえども、まづカトリック信仰を擁せねばならぬ。
Quam nisi quisque integram inviolatamque servaverit, absque dubio in aeternam peribit. この信仰を完璧に且つ欠くことなく守りし者でなくんば、誰といえど、疑うことなく永遠に滅びるべし。
Fides autem catholica haec est: ut unum Deum in Trinitate, et Trinitatem in unitate veneremur.
Neque confundentes personas, neque substantiam seperantes.
カトリック信仰とは、そのペルソナを混同することなく、またその本体を分かつことなく、唯一の天主を三位において、また三位を一体において礼拝することこれなり。
Alia est enim persona Patris alia Filii, alia Spiritus Sancti: 何となれば、聖父のペルソナは、聖子のペルソナにあらず、聖霊のペルソナにあらず。
Sed Patris, et Fili, et Spiritus Sancti una est divinitas, aequalis gloria, coeterna maiestas. されど聖父と聖子と聖霊との天主性は一にして、その光栄は等しくその御稜威はともに無窮なればなり。
Qualis Pater, talis Filius, talis Spiritus Sanctus. 聖子は聖父の如く、聖霊もまた聖父の如く。
Increatus Pater, increatus Filius, increatus Spiritus Sanctus. 聖父も創られたる者にあらず、聖子も創られたる者にあらず、聖霊も創られたる者にあらずなり。
Immensus Pater, immensus Filius, immensus Spiritus Sanctus. 聖父も宏大にして、聖子も宏大にして、聖霊も宏大なり。
Aeternus Pater, aeternus Filius, aeternus Spiritus Sanctus. 聖父も永遠にして、聖子も永遠にして、聖霊も永遠なり。
Et tamen non tres aeterni, sed unus aeternus. しかれども三つの永遠なるものあるにあらずして、永遠なる者は一つなり。
Sicut non tres increati, nec tres immensi, sed unus increatus, et unus immensus. しかも三つの創られざる者および宏大なる者あるにあらずして、創られざる者は一なり、宏大なるもの一なるが如し。
Similiter omnipotens Pater, omnipotens Filius, omnipotens Spiritus Sanctus. 同じく聖父も全能なり、聖子も全能なり、聖霊も全能なり。
Et tamen non tres omnipotentes, sed unus omnipotens. されど全能なる三者あるにあらずして、一の全能者あるのみ。
Ita Deus Pater, Deus Filius, Deus Spiritus Sanctus. かくの如く聖父は天主、聖子は天主、聖霊は天主なり。
Et tamen non tres dii, sed unus est Deus. されど三つの天主あるにあらずして、天主は一なり。
Ita Dominus Pater, Dominus Filius, Dominus Spiritus Sanctus. また、聖父は主、聖子は主、聖霊は主なり。
Et tamen non tres dii, sed unus est Deus. されど三つの主あるにあらずして、天主は一なり。
Quia, sicut singillatim unamquamque personam Deum ac Dominum confiteri christiana veritate compelimur: ita tres Deos aut Dominos dicere catholica religione prohibemur. 何となれば、キリスト教の真理は、各々のペルソナを個々に天主および主なりと告白することを我らに強いるとともに、三つの天主および主ありと言うことも、カトリック教の禁ずるところなればなり。
Pater a nullo est factus: nec creatus, nec genitus. 聖父は何ものよりも成らず、創られず、且つ生まれず。
Filius a Patre solo est: non factus, nec creatus, sed genitus. 聖子は、成りしにもあらず、創られしにもあらず、唯聖父より生まるるなり。
Spiritus Sanctus a Patre et Filio: non factus, nec creatus, nec genitus, sed procedens. 聖霊は、成りしにもあらず、創られしにもあらず、生まれしにもあらず、聖父と聖子とより発するなり。
Unus ergo Pater, non tres Patres: unus Filius, non tres Filii: unus Spiritus Sanctus, non tres Spiritus Sancti. 故に、聖父は一にして、三つの聖父あるにあらず。聖子も一にして三つの聖子なく、聖霊も一にして三あるにあらず。
Et in hac Trinitate nihil prius aut posterius, nihil maius aut minus: sed totae tres personae coaeternae sibi sunt et coaequales. またこの三位において前後なく、大小なく、三つのペルソナは皆互いに同じく永遠に且つ等しきなり。
Ita ut per omnia, sicut iam supra dictum est, et unitas in Trinitate, et Trinitas in unitate veneranda sit. されば前に言える如く、一切を通じて、三位において一体を、また一体において三位を拝すべきなり。
Qui vult ergo salvus esse, ita de Trinitate sentiat. Sed necessarium est ad aeternam salutem, ut incarnationem quoque Domini nostri Iesu Christi fideliter credat. 救われんと欲する者は、三位についてかく信ずべし。 されど永遠の救いのためには、我らの主イエズス・キリストの御托身を忠実に信ずること必要なり。
Est ergo fides recta ut credamus et confiteamur, quia Dominus noster Iesus Christus, Dei Filius, Deus et homo est. 故に正しき信仰は、我らの主イエズス・キリストが、天主の聖子なり、天主且つ人なりと、我ら信じ宣言するにあり。
Deus est ex substantia Patris ante saecula genitus: et homo est ex substantia matris in saeculo natus. 主は、天主として聖父の実体から代々の前に生まれ給い、人としてこの世において母の実体から生まれ給いし。
Perfectus Deus, perfectus homo: ex anima rationali et humana carne subsistens. 完全なる天主、理性を有する霊魂と人間の肉とを持し自存する完全なる人、
Aequalis Patri secundum divinitatem: minor Patre secundum humanitatem. 天主性によっては、聖父と等しく、人間性によっては聖父には劣る。
Qui licet Deus sit et homo, non duo tamen, sed unus est Christus. 天主かつ人であり給うが、二ではなく一なるキリストなり。
Unus autem non conversione divinitatis in carnem, sed assumptione humanitatis in Deum. 天主性が肉に変わりしが故ではなく、人間性を天主のうちに取り給うたが故に一なり。
Unus omnino, non confusione substantiae, sed unitate personae. 実体の混同なく、ペルソナの一性により、全く一なり。
Nam sicut anima rationalis et caro unus est homo: ita Deus et homo unus est Christus. 理性的霊魂と肉体とが一なる人なる如く、天主且つ人は、一なるキリストなり。
Qui passus est pro salute nostra: descendit ad inferos: tertia die resurrexit a mortuis. 主は、我らの救いのために苦しまれ、古聖所にくだりて、三日目に死者のうちよりよみがえり給えり。
Ascendit ad caelos, sedet ad dexteram Dei Patris omnipotentis: inde venturus est iudicare vivos et mortuos. 天に昇りて全能の天主聖父の右に座し、生ける人と死せる人とを裁かんために来たり給う。
Ad cuius adventum omnes homines resurgere habent cum corporibus suis: et reddituri sunt de factis propriis rationem. 主の再臨に当たりては、すべての人はよみがえり、自分の肉体を持ち、各々が業にしたがいて報いを得ん。
Et qui bona egerunt, ibunt in vitam aeternam: qui vero mala, in ignem aeternum. 善をなしたる者は、永遠の生命に生き、悪をなしたる者は永遠の火に行かん。
Haec est fides catholica, quam nisi quisque fideliter firmiterque crediderit, salvus esse non poterit.

これ、カトリック信仰なり。誰といえどもこれを忠実に且つ堅く信ぜずば、救われることなるべし。
Gloria Patri et Filio et Spiritui Sancto, sicut erat in principio et nunc et semper et in saecula saeculorum. Amen. 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。始めに在りし如く、今も、いつも、代々に至るまで。アメン。


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■ なぞなぞ

 日本語サイト リンク 前号の答えは:「世間体」でした。

 今回は次の公教要理のなぞなぞを出します。

 私は、必ずしも隣にいるわけではないが隣である。私は、必ずしも「愛想が良くて好かれるタイプ」というわけではないが、人は必ず私を愛さなければならない。私は一体誰?

 この答えは、日本語サイト リンク 次号に掲載します。お楽しみに!


■ ウェブサイトの紹介

 イタリアのヴェローナの聖トスカーナ教会では、フラヴィオ・ロベルト・カラーロ司教様の御好意で、聖ピオ十世会の司祭(ルイジ・モンカレロ神父)が聖伝のミサを捧げることになっているそうです。2002年のクリスマスから、毎月一回聖ピオ十世会の司祭がここで、聖伝のミサを捧げているそうです。ウェブサイトの写真は、今年の2月15日のものだそうです。

 詳しくは、
外国語サイト リンク UNA VOCE VENETIA / Messe latine antiche nelle Venezie
をご覧ください。

 聖ピオ十世会は、ベルジュラック Bergerac(フランス)で、17世紀の建物を入手しました。この建物は、フランス革命までフランシコ会修道院として使われており、修道院のチャペルはペリグーのル・ブー司教 Mgr Le Boux によって1682年に聖別されました。残念なことに1885年から2003年まで、この聖堂は世俗のため(一時は馬小屋に!)に使われてしまっていました。しかし、天主の御摂理は聖ピオ十世会に素晴らしい贈り物をし、元々の聖堂を復元して使うことになりました!

 詳しいことはホームページ
外国語サイト リンク La Porte Latine
をご覧ください。

外国語サイト リンク http://www.laportelatine.org/chapelle/jehanne/page.php
外国語サイト リンク http://www.laportelatine.org/chapelle/st_jean/page.php
外国語サイト リンク http://www.laportelatine.org/chapelle/st_jean/plans/page.php
外国語サイト リンク http://www.laportelatine.org/chapelle/st_jean/historique/page.php
外国語サイト リンク http://www.laportelatine.org/chapelle/st_jean/anciens/page.php
外国語サイト リンク http://www.laportelatine.org/chapelle/st_jean/debuts/page.php

 ここの修道院長様はドゥ・シャンポー神父様で、私は神学校時代一緒に勉強しました。神父様は、もともと医者で司祭になった方なのです。今年の二月にフランスで会ったおりに、是非日本にいらして下さるように、招待しました。今年の九月頃にはいらして以前キャンセルした生命倫理についての講演会をして下さるかもしれません。

 ブラジルにある聖伝を守っているベネディクト会のホームページです。
外国語サイト リンク http://www.beneditinos.org/

 パリ(フランス)にある、聖ピオ十世会の大学のホームページです。
外国語サイト リンク Institut Universitaire Saint Pie X