マニラのeそよ風

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第139号 2003/05/08

聖ピオ十世会・フィリピン
聖ピオ十世会・フィリピン

ミサにおいて行われるこの天主的ないけにえにおいて、十字架の祭壇で「御血を流して自分自身を一度捧げた」(ヘブレオ9・14, 27) その同じキリストが含まれ、御血を流さずに屠られているので、聖なる公会議は次のことを教える。すなわち、このいけにえは真に贖罪のためであり、このいけにえを通して贖罪となること、それはもし私たちが真心と正しい信仰、畏敬の念と痛悔をもっているなら、砕かれて悔悛しつつ天主に、「近づいて、適切な時に慈悲を受け、恩恵を見出すようになる」(ヘブレオ4・16)ためである、と。
(トリエント公会議第22総会)

アヴェ・マリア!

兄弟の皆様、
 今回は、DICIの記事からお届けします。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)


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■ 御聖体に関する回勅

 聖木曜日、教皇様は御聖体に関する待望の回勅を公表されました。この主題は本質上ミサ聖祭に緊密に結ばれ、私たちは期待すると同時に恐れてもいました。期待の方が恐れよりもより多く満たされ、この文書は教会の聖伝に、一般的には忘れられていたか否定されていた地位を与えることになりました。しかし恐れをも与え、ローマが聖伝に完全に立ち返るまではまだ相当長い道のりを歩まねばならないことを示していました。

 私たちはミサ聖祭のいけにえの側面が力強く説かれているのを見て、満足しました。

 トリエント公会議は全く時代遅れのもとして考えられていたかのようでしたが、ミサ聖祭がいけにえであるということを支持するために名誉ある地位が与えられました。同じところで、新しいミサの神学的基礎である「過越の秘義」の教えが、聖伝にそった意味で使われてはいましたが、曖昧な表現の種を蒔かれ、ミサ聖祭の神学的説明を釣り合わないものとし、混乱をもたらすものとし続けていました。司祭の地位と役割は、最近の教皇文書の中ではもっとも聖伝に近いやり方で説明されていました。

 しかしながら、ミサ聖祭が罪の償いの側面があるということを省略していることに、大きな欠陥があると思われます。ミサ聖祭のこの特徴がそこに無いということは、全く疑いもなく、故意になされたものなのでしょう。現代では、「全ての人が救われている」【=全ての人は、望もうと望まないと、救われているので、罪の償いをする必要はない、という説】という誤りを受け入れる傾向があり、これに関して間接的に直接的に取り扱った大きな教皇文書はみなこの説を受け入れていることを忘れないようにしないとなりません。

 多くの規律面での注意があり、乱用をなくさせようと長い間戦ってきた者たちを慰めました。

 回勅は、1つ或いは2つの命令が教義聖省と典礼聖省によって準備されるだろうこと、そして聖体拝領、主日の義務、守るべき典礼法規など、典礼の違反をなくすために強化されることを予告しています。

 しかし、エキュメニカルのための条項は、このような注意に打撃を与えています。エキュメニカル運動がある限り、規律上の注意はほとんど何も効果がないと考えられます。何故ならそれらは関係があるからです。

 結論として、この回勅が実現する神学上の進歩を喜び、30年も苦しんだ典礼の狂気的な退廃を一掃させるための規律上の努力を嬉しく思います。第2バチカン公会議以後の典礼及び神学によって忘れられた「罪の償い」という概念は、まだ日の目を見ることが出来ずにいるのを嘆きます。

(From DICI N. 75)


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■ ドイツ:もうすぐ司祭はいなくなる

 ドイツにおける司祭不足はまだ続き、その立て直しは非常に低いレベルに滞っています。 昨年ドイツでは131名が叙階されました。2001年は124名でした。これは司祭の老齢化に対して、全く不足しています。

 ドイツ司教評議会の召命司牧センターの責任者ライナー・ビルケンマイヤー師(Rainer Birkenmaier)は、減少していたグラフの線は今では横ばいであると強調しています。

 1989年にはまだ297名の司祭叙階がありました。その当時ドイツの全ての教区の司祭候補者は、2667名でした。しかし131名の叙階があった昨年は、ドイツの全ての教区の司祭候補者を1035名数えたに過ぎません。


■ オーストラリア:カトリック司祭の大きな減少

 オーストラリアにおけるカトリック司祭はますます少なくなります。

 クリスチャン・リサーチ・アソシエーション(CRA)発行のPointers誌の最新号によると、最近5年では、カトリック司祭は、18.2%の率で減少していきました。


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