マニラのeそよ風

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第91号 2003/03/14 四季の斎日の金曜日

アヴェ・マリア!

 四旬節の黙想として「キリストに倣いて」をどうぞ。

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)



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四旬節の黙想 「キリストにならいて」


 私たちは、自分を信頼しすぎてはならない。私たちは、能力と分別とを失いがちである。私たちの心の光はとぼしい。しかも、今までのなおざりによって、それさえも失ってしまっている。私たちは、自分の心がいかに盲目であるかにさえ気付かないことがある。私たちは、幾度となく悪を行い、しかも更に悪いことには、それを弁解しようとさえする。欲望に支配されているのを、熱意のためだと思いこむこともある。また、他人の小さい短所をとがめるが、自分の短所は、それよりも大きくても、見のがすことが多い。他人から受ける苦しみには、非常に敏感であるが、自分のために、他人がどんなに苦しんでいるかには気づこうともしない。自分の行いを、正しく反省すれば、他人を、厳しくさばく理由はないと悟るだろう.

 霊的な人は、何よりも、まず自分の霊魂を考える。自分に注意している人は軽々しく他人のことを話さない。他人について話さず、自分を反省しない限り、人はいつまでも霊的な敬虔な人にはなれない。自分のことと、神のことに、深く心を配るなら、外部のできごとには、さほど動かされないものだ。自分自身にいないとき、あなたはどこにいるのか。あなたが、全世界を歩きまわっても、自分をおろそかにするなら、何の益があろう。まことの平和を味わい、心の調和を得ようと思うなら、あなたは、他のことを全部さしおいて、まず自分自身に注意しなければならない。

 あなたが、世俗のことを、自分から切りはなすなら、大きな霊的利益をえる。しかし、世俗のことに気をつかえば、大きな損害をうける。神からのことでない限り、あなたはどんなものも、偉大だ、高尚だ、好もしい、快よい、などと思ってはならない。被造物から受けるなぐさめは、どんなものもむなしいと考えよ。神を愛する霊魂は、神よりも劣るものをことごとく軽視する。神だけが永遠であり、広大無辺であり、すべてを満たすものであり、霊魂の慰めであり、心の真のよろこびである。

(「キリストに倣いて」第2巻 第5章より)


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