マニラのeそよ風

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第63号 2002/11/08


アヴェ・マリア!

 このごろ、女性が助祭になることについてニュースがありますが・・・。 それについてひとこと。

 教会の古代から聖伝に従って司祭になるには7つの段階がありました。しかし、第2バチカン公会議の直後、4つの下級品級と副助祭を突然廃止してしまいました。その時に、これらの階級は教会が制定したものであって天主の制定したものではないからという理由が使われました。そして相応しい男性(viri probati)、婚姻した男性に永久助祭職を任せることを開始しました。そしてこれが現在と将来の問題の源となっています。この種の助祭を促進させることは、結婚した人を司祭にするということへの足がかりとなるでしょう。何故なら、現在、司祭の数が限界まで不足しており、待機中の既婚助祭を司祭に叙階するということを提案するのは簡単なことだからです。

 他方で、第2バチカン公会議のこのような決議は、別の方向へ向かう神学的試みを許しています。

 「問題は、かつては助祭というのは司祭職への一段階であったのであるが、第2バチカン公会議が永久助祭の可能性を導入したことに由来する。今日においては、突然、助祭の姿が司祭職に似ていると言うことと平信徒が献身していると言うこととの間を行ったり来たり揺れ動くようになった。」 助祭職とは何かということの「教義上の定義におけるぼやけ」のために、「平凡なことを繰り返すだけに満足しないでもっと明確に見るために物事を掘り下げてみる」ことを意味しています。上に引用したのは、国際神学委員会の委員であるモンシニョール・ミネラト(Mgr Minnerath)が、10月上旬に自分の属する国際神学委員会が開催した集会の目的を説明しての言葉です。

 革新的なことであるので、フェミニストのための促進者たちは女性がこの「奉仕」をすることが出来るように懇願することをすぐに承知しました。

 バチカンは3名の枢機卿たちの署名付きの告知において、この要求を叱責し、女性候補者の助祭職への叙階のために与えられている養成の授業を中止することを求めていました(2001年9月17日の3つの聖省の告知)。

 「どのようなやり方であれ、女性候補者を助祭に叙階しようと準備するいかなる試みを提案することは許されない。」

 この文書は明確で断定的です。しかし教会において全てのことが議論されうることのなり議論されている現在、女性助祭と呼ぶものを望んでいる人々は、びくともしませんでした。元フリブールの司教であったマミー司教は、インタビューに答えてこう言っています。マミー司教は、特別にフェミニストであるというわけではありません。「現在、女性の助祭叙階という問題はまだ開かれている。私自身としては、それをする準備がある。ただし、女性助祭が女性司祭叙階への道であると考えないという限りで。"Actuellement, la question de l’ordination diaconale des femmes reste ouverte. Je serais pour ma part pret a cela, pour autant que le diaconat feminin ne soit pas considere comme un chemin vers l’ordination de femmes pretres."

 元ミラノ大司教のマルティニー枢機卿は、同じことをかつて言っていたことがありますが、マミー司教は、その後を同じ道を辿っています。

 10月の国際神学委員会の集いの後、最初に公に口を開いたのはフェミニストの擁護者たちでした。彼らは最終文書は「女性助祭叙階の方向で将来発展があるという可能性を認めうる」と評価しています。「しかし、それを決めるのは、神学者としての立場の私たちではない」と言い、この決定をするのは「教会の必要に従って、この職務のよりグローバルなビジョンに従って、私たちの科学的な研究に基づいて」教導職にあると言います。

 これが、モンシニョール・マナレトの言ったことです。この内容を広く報道したのは宗教に関する報道機関だけでなく、大きな報道機関もしたので、大衆の中にこのメッセージは染み込んでしまいました。フェミニストたちにとっては幸運でした。しかし、モンシニョール・マナレトの言ったことが誤報であることは、数日後に明らかになりました。国際神学委員会の書記長であり、教皇付き神学者であるコチエ神父がこう発表したからです。

 「女性助祭の叙階について再び議論がありうるとは結論されない」 反対に神学者たちは「むしろこのような可能性がないという線で立場を表明した」のであるが「権威をもって断定するのは教導職の役務である」と。

 勿論、聖座は既に1994年5月22日の使徒書簡 Ordinatio sacerdotalisで、権威を持って発表しているではないでしょうか?

 もしかしたら、こういう人がいるかも知れません。この使徒書簡は女性司祭職に関することであって、司祭職を目指す候補者としての女性助祭は許されないが、永久女性助祭ならば・・・。

 では聖座は、2001年9月17日の3つの聖省の告知を、権威を持って発表しています。それは、どうなるのでしょうか?

 私たちは今革命のまっただ中にいると分かります。この革命は止まるところを知りません。今までの秩序を全く根底から覆してしまった時ようやく止むのでしょう。ここにこそ第2バチカン公会議の深い革命的な意図を読みとることが出来るのです。女性助祭は女性司祭への準備です。ローマ当局の決定を議論し直している今の状況は、ローマの教導職がこの動きを止めることが出来ずにいる、と言うことを意味しています。ローマの権威が自ら活動を停止していると言うことの証拠です。確かに女性助祭を断定的に拒否する枢機卿も何人かいますが、ローマの政策は全体的に見て同じような明確さを持っているわけではありません。例えば、10月29日には聖職者聖省によって国際会議が催されました。その主題は「教会における女性の役割」でした。

 今後の動きを見つめることにします。

 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)