マニラのeそよ風

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第52号 2002/10/01

アヴェ・マリア!

 オプス・デイについての続きです。

 これまで、歴代の教皇様たちの教えを見ながら、カトリック信仰を基準にドミニック・ル・トゥルノー著 尾崎正明訳『オプス・デイ』(白水社発行 文庫クセジュ1989年)を参考にオプス・デイの霊性を見てきました。

 すでに、創世記の一節(2:15)をエスクリバー師が「人間は働くために創造された」と革命的な解釈したことを見ました。同じくヨブ記(5:7)の “Homo nascitur ad laborem et ovis ad volandum” をエスクリバー師は「人は働くために、鳥は飛ぶために生まれる」とも解釈しているそうです。勿論、このlaborのカトリック教会の伝統的な解釈は「苦しみ」とか「苦悩」であり、「人は苦悩のために、鳥は飛ぶために生まれた」という意味です。

 La Presse francaise の1992年6月12日号にはボヴォワザン(F. Beauvoisin)がエスクリバー師の言葉を次のように引用しているそうです。

 「(オプス・デイは)多くのキリスト者たちが数世紀の間忘れてきた非常に美しい現実を生き返らせ、どのような仕事でも、人間の秩序において相応しく高貴であれば、天主の業に変えることが出来るしそうしなければならないということを望む」と。

 もしも福者エスクリバー・デ・バラゲルの言うように、労働は聖性追求の「特別の手段」であり、人間は「働くために創造された」のであるから、普通の仕事は「聖性を求める中心軸」であり、職業としての仕事のまわりを、「聖化のための働き全体」が回っているとすると、またこれが「人間の本質の一要求」(p36)であるとすると、仕事をするということがあまりにも神聖化され、そこから仕事によって人間が神聖化され、仕事により人間は新しい尊厳を得て、より天主に似たものとなるかのようです。

 もしも、人間の本性が要求するところの仕事がそのように神聖化され、そのような仕事こそが、人間をして天主に似さしめ、天主に近づけるものであるとすると、仕事をすることによってどのような宗教を信じる人であれ、仕事が人間の秩序にかなっているのなら、仕事を聖化し、自己を聖化し、それを天主の業とすることが出来ることになってしまいます。オプス・デイにおいては、非キリスト者も「オプス・デイとは不可分の固有の会を構成している」のであり、「創立者にとって、世界のさまざまな問題にたいし『カトリック的解決はこれだけだ』というあり方は存在しない。」(p52)のですから。

 本当に人間の本性が要求するところの仕事が聖性の中心軸であり、聖化ということは全て職業としての仕事の周りを回っているのでしょうか。カトリック教会は、超自然の聖寵によって人を聖化し永遠の救霊を果たすという超自然の業が、人間本性の次元におけるいかなる行為も優っており、人間のなす業のうち内的な観想が、外的な仕事よりもより優れていると教えてきました。

 以上のようなことを、私たちは既に見てきました。


盲従と自由との狭間

 ところでオプス・デイの教えを正確に知ることは非常に難しいと言わなければなりません。なぜならオプス・デイには2つの顔があるかのように思えるからです。

 福者エスクリバー・デ・バラゲル師の生前中の出版物はいろいろあるかも知れませんが、それは講話集、黙想の本、あるいは女子修道院長のもっていた裁治権に関する論文で、オプス・デイの言わば「教義」というか「規則」を教える書物として書かれたものは『道』を除いてないかもしれません。

 さてその『道』によると、
61 信徒が道徳の教師になるとしばしば過ちを犯す。信徒は生徒として習えばよい。

 また、『道』によると
941 従うことは安楽な道。長上に盲目的に従うのは聖性の道。使徒職において従うのは唯一の道。神への奉仕においては、従うか、出ていくか、二つに一つしかないからである。
とあります。

 これによって、信徒に対しては盲目的従順を要求しています。しかし、その一方でオプス・デイは自由を強調しています。

 ドミニック・ル・トゥルノー師によると

 「オプス・デイの精神の最大の特徴の一つは自由の尊重である。それはオプス・デイの代弁者たちがたびたび言及していることであり、創立者もそれをとくに強調した。自由を愛すると言うことは、オプス・デイに内在する世俗的精神構造に密接につながりをもっている。だから、職業的、政治的、社会的な全ての問題について、一人ひとりが社会のなかのそれぞれの場において、正しく養成された良心の声に従って行動しさえすればよいのであるが、そのさい、自分の行動や決断から生じた結果はすべて自分の責任として背負わなければならない。また、人間に関わりのあるすべてのものの多様性を尊重するだけでなく、実際的・積極的にそれを愛さねばならない。」(p46-47)

 さらに、創立者の言葉を引用して

 「個人の自由を尊重しない使徒職は正しいとは言えないだろう」(p48)

と言います。

 カトリック教会は、全てを私たちの主イエズス・キリストの下に集め、イエズス・キリストへと聖別し、奉献することによって、世界の聖化をすすめてきました。イエズス・キリストがなくては、私たちは何も出来ないからです。本当の意味での自由とは真理のうちにあり、誤りには自由がないこと、つまり私たちの主イエズス・キリストの真の宗教への帰依に自由があり、全てをキリストにおいて打ち立て・再興する(聖パウロ)というイエズス・キリストへの聖別的精神構造がイエズス・キリストの教会には密接に内在しているのです。

 しかし「自由を愛すると言うことは、オプス・デイに内在する世俗的精神構造に密接につながりをもっている。」これはどのような意味なのでしょうか?

 また

 「創立者にとって、世界のさまざまな問題にたいし『カトリック的解決はこれだけだ』というあり方は存在しない。」(p52)

と言うことを考えると、この「自由」の問題は、第2バチカン公会議後の「アッジョルナメント(現代化)」そのものだと言うことが出来るのではないでしょうか?

 つまり、もしも、福者エスクリバー・デ・バラゲルが言っていたように「多元主義を個人の自由の合法的結果として恐れずに愛さなければならない」(Entretiens avec Mgr Escriva de Balaguer, p 129)とするなら、「自由」が「真理」の前を一人歩きしてしまうのではないでしょうか。つまり、真理において一つになる、というのではなく、自由という最も重要なものの前には真理は口を閉ざし、多様性を認めるべきである、ということだからです。ここにおいてもオプス・デイの創立者が第2バチカン公会議の先駆者であったということを確認せざるを得ません。

 この「多元主義」については、オプス・デイの他の会員たちも証言しています。

 「創立者が聖座から非カトリック者と非キリスト者を事業の「協力者」としてオプス・デイの中に入会させる許しを得たその時、オプス・デイの霊的家族は完成した。」(Peter Bergar, Opus Dei, Rialp, p. 244)

 「閉ざされた閂を取り門戸を完全に開き、プロテスタント、離教徒、ユダヤ人、イスラム教徒、未信者の恩人たちの霊魂を会の一部にした、というのは、教会の司牧上の歴史において前代未聞のことであった。」(Vazquez de Prada, El fundator del Opus Dei, p. 258)

 またそのような多元主義を認め愛した上で、「一人ひとりが社会のなかのそれぞれの場において、正しく養成された良心の声に従って行動しさえすればよい」けれども、その良心をどうやったら「正しく養成」することが出来るのでしょうか?

 オプス・デイの弁護士であるフランソワ・サルトルは、創立者の列福のすぐ後に Courrier de l’Ouest というフランス紙にこう言っています。

 「スペインでは、オプス・デイは堕胎反対運動には公式の立場を取ることを常に拒否してきました。それはオプス・デイの役割ではありません。」

 残念ながら、これは今までカトリック教会の取っていた立場とは異なっています。


多元主義

 スペインにおける「多元主義」の容認は、堕胎に関することだけではありませんでした。ここで少しスペインの歴史を振り返ってみます。

 フランコ将軍は、共産党の起こした市民戦争に勝ち、1945年7月13日には「スペイン人憲章」(Fuero de los Espagnoles)を発表し、1953年8月27日、スペインと聖座との間に政教条約を結びました。ピオ12世教皇様はこの条約が今まで結ばれた政教条約の中で最良のものであると称賛しました。スペインはこの政教条約の下において、平和を楽しみました。

 この条約の第1条には「使徒継承のローマのカトリック宗教はスペイン国の唯一の宗教たり続ける」とあり、これは1500年にわたって、カトリック教会の聖伝の教えに基づいてヨーロッパでなされてきたことでした。
 信教の自由については、ピオ9世教皇は、回勅Quanta Curaの中で、次の命題を誤りとして排斥しています。(つまり、以下の命題は、誤謬であり受け入れることが出来ない、と言うことです。)

 「全ての人は、良心と信教の自由に対する固有の権利がある」

 「社会の最高の条件は、公共の安寧が求めない限り、政府はカトリックの宗教を冒涜するものを妨げる義務を認めないことである。」

 「良心と信教の自由は、全ての正しく制定された社会において認められ、法制度化されるべきである。」

(繰り返しますが、上の3つの命題は誤っているので、カトリック者は受け入れることが出来ないものです。)

 1945年7月13日の「スペイン人憲章」(Fuero de los Espagnoles)では、聖伝のカトリック教会の教えに従い、既にこう宣言されてきました。

 「カトリック宗教の信仰宣言と実践はスペイン国のそれであり、公式の保護を受ける。」

 「自分の宗教を信じることとその礼拝を個人的に実践することについて誰も心配するに及ばない。しかしカトリック宗教以外の儀式とその他の外的な顕示は認められない。」(Documentation Catholique No. 948. p 691)

 つまり、フランコ将軍は、誰にでも何を信じるかを自由にさせていましたが、それが個人的なものにとどまるように要求していたのです。

 しかし1965年12月7日、第2バチカン公会議の「信教の自由に関する宣言」の発布により、スペイン人憲章の第6条は次のように変更されてしまいました。

 「全ての宗教の信仰宣言と実践は、公のものであろうと個人的なものであろうと、この法の第2条によって制限を除いて、いかなる制限もなく、国によって保護される。」(Documentation Catholique No. 1508. pp 45-46)

 さて、オプス・デイに話を戻します。

 1957年フランコ将軍が第6次内閣を作る時、4名のテクノクラートを入閣させましたが、そのうち3名はオプス・デイのメンバーでした。特に全閣僚のコントロールに当たっていた総書記長ロペス・ロドはオプス・デイのヌメラリーでした。それ以降、政府においてオプス・デイの影響力は強まり、ファランフェ党の影響力は弱まっていきました。例えば、1969年ロペス・ロドとカレロ・ブランコ海軍大将のすすめで、フランコ将軍が第9次内閣を作る時、8名のオプス・デイのメンバーが入閣しています。

 第2バチカン公会議の後、聖座はフランコ将軍に圧力をかけ政教条約を変更するように要求しました。この要求にフランコ将軍は非常に動揺したようです。オプス・デイが当時持っていた影響力を考えると、フランコ将軍はオプス・デイにこのことを相談したかも知れません。たとえ相談したとしても、「自由を愛する」オプス・デイはフランコ将軍にカトリックの聖伝の立場を取るようにとは言わなかったでしょう。

 オプス・デイのメンバーであるジャック・ギユメブリュロンとの次のようなインタビューが1966年5月16日のフィガロ紙に掲載されたそうです。

 「信教の自由について言えば、オプス・デイはその創立当時から、どのような差別もしていません。オプス・デイは全ての人と働き平和に生きています。・・・これは言葉だけのことではありません。私たちの事業は、聖座の許可を得て、非カトリック者を、キリスト者か否かを問わず全てを協力者として入会させるカトリック最初の組織なのです。」

 「・・・公会議がこのこと(信教の自由)について発布した教えは、私をして喜ばせることしかできませんでした。」

 残念ながら、オプス・デイの会員は、カトリック教会の取っていた信教の自由に対する教えを誤解していたか知らなかったようです。


秘密主義

 オプス・デイについて正確に知ることは非常に難しいと言いましたが、オプス・デイの会憲がオプス・デイの会員たちに秘密厳守を要求しているからでもあります。この会憲は1982年に属人区になる時に少しの変更が最終的になされました。原文はラテン語で次のような条項があります。(これはフランス語訳から筆者が訳しました。)

189条 オプス・デイの固有の目的をより効果的に実現するために、会は会として隠れて生活する(occultum vivere)ことを望む。・・・

190条 ・・・会員であるということでさえ、いかなる外的表示も許されない。外部のものから会員の数を隠すこと。さらに会員は外部のものにそのことを話さないこと。

191条 ヌメラリーとスーパーヌメラリーの会員は、他の会員たりの名前について賢明な沈黙を常に守らなければならない。また彼らは自分がオプス・デイに属していることを誰にも、たとえ会の延長のものであれ、明かしてはならない。

192条 この会憲、既に発布された指導、将来発布されるべき会則、さらにまた会の統治に関するその他のものは、公開されてはならない。さらに「司祭」の許可なしにラテン語で書かれているものを俗語に翻訳してはならない。

 また、1941年3月19日マドリッドの大司教であるレオポルド・エイホ・イ・ガライ大司教は、「守るべき秘密を考えて、・・・この規則、会則、命令、習慣、精神、儀式書は、マドリッドの秘密書庫に保存される」と言っています。(G. Roccaの引用in Opus Dei, edizion Paolina, Roma, 1985)

 賢明であることは素晴らしいことですが、平信徒が、天主の業である使徒職をするのにそこまで隠れなければならないのでしょうか? なぜそこまで光と真理とを恐れるのでしょうか?

(この項は続きます)


 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)