マニラのeそよ風

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第51号 2002/09/30 聖イエロニモの祝日

聖イエロニモ、カラバッジオ (1605)
聖イエロニモ、カラバッジオ (1605)

アヴェ・マリア!

■ 質問します

オプス・デイについてはピオ10世会はどのような態度を示していますか? 知人のオプス・デイにかかわっている信者からは、ピオ10世会の関係者とはいっさい接触を持ってはならない、と言われました。同じ保守派でラテン語典礼?がすきな人たちが集まっているのに、なんでこんなことを言うのでしょうか? オプス・デイがしているラテン語ミサとピオ10世会がしているラテン語ミサは、違うものなのでしょうか?(2002年7月4日)


お答えします

 ご質問ありがとうございました。以下は、聖ピオ十世会の公式の立場というよりも、聖ピオ十世会所属の一司祭として、ご質問に答えたいと思います。

 オプス・デイについてはどのような態度を示しているか、とおたずねになりましたが、これは、つまりオプス・デイについてどのように考えているか、というご質問なのであると思います。もしそれがご質問なら、私たちは何を判断の基準とすればよいのでしょうか?

 私は同じく「カトリック信仰」だと思います。使徒継承のカトリック信仰を、私たちの主イエズス・キリストから受け継がれたまま、何も変えることなく、何も「発明」することなく、そのまま仕えられたままを忠実に伝えているかどうか、これが私たちの判断基準ではないでしょうか?

 第1バチカン公会議でも、荘厳に宣言されているように、

「聖霊がペトロの後継者(すなわち教皇)たちに約束したのは,聖霊の啓示によって,新しい教義を教えるためではなく,聖霊の援助によって,使徒たちが伝えた啓示,すなわち信仰の遺産を確実に保存し,忠実に説明するためである」

のですから、私たちには私たちの主イエズス・キリストが教えなかった「新しい教え」をあたかもカトリック信仰であるかのように教える権利はありません。

 教えに「常に忠実である」かどうか、これが判断基準だと思います。私たちはカトリック教会に「信仰」を求めているのですから。「新説」も「理論」も求めているのではありません。

 聖パウロも言っています。

 「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなた達に伝えたのとは異なる福音を告げるものにはのろいあれ。私は前に言ったことを今また繰り返す。あなたたちが受けたのとは異なる福音を告げるものにはのろいあれ。」(ガラツィア1:8-9)

 ですから、この基準に従って、次のようなことを見てみたらどうでしょうか?

 オプス・デイは、カトリック教会の脈々と伝わる聖伝を大切にするか? 初代教会から伝わり、教会の教父たちが説いていたことをオプス・デイは、信じて大切にするか? 聖なるカトリック教会が認可した修道会の会憲・会則が説き、聖なる説教者たちが説いたことを尊重しているか? 聖トマス・アクィナス、聖ボナヴェントゥーラ、聖イグナチオ・ロヨラなどの教えを大切にするか?

 それとも、教会の聖伝を軽視し、教父たちや聖トマス・アクィナス、聖イグナチオには物事がよく分かっていなかった、と言う態度を取り、ルネッサンスに始まるようなリベラルな精神を尊重するのか? そしてそのような考えを「新しい霊性」と呼ぶのか?

 または、カトリック教会の聖伝に従って司祭職を尊び、平信徒とは全く別の高貴な召命と見なすのか? (例えばトマス・ア・ケンピスの『キリストに倣いて』にあるように)

 それとも、司祭職というのは付属的なもので平信徒も司祭も同じ「召命」であると考えているか?

 また、カトリック教会が過去から常に(特に第2バチカン公会議までは)異端であるとか愚かであると考えていたことを、その通り異端であり愚かであると信じているか?

 それとも、カトリック教会が過去から常に(特に第2バチカン公会議までは)異端であるとか愚かであると考えていたことを、いまでは「真理」として信じているのか?

 または、たとえ荘厳な教義決定ではなかったとしても歴代の教皇様たちが何度も何度も説いていた反リベラルの教え(例えば聖ピオ10世のシヨン運動に関する『ノトラ・シャルジ・アポストリック』など)を尊重し受け入れ、説教し、そのために戦うのか? 歴代の教皇様たちが説いた「カトリック的解決策」(例えばピオ11世の『メンス・ノストラ』や『クワドラジェシモ・アンノ』、『クワス・プリマス』など)を信じ、支持するのか?

 それとも、歴代の教皇様たちが何度も何度も説いていた反リベラルの教えを古くさいと言うのか?歴代の教皇様たちが説いた「カトリック的解決策」を「私にとってそんなものはこの世に存在しない」という態度を取るのか?

 あるいは、教皇様たちが(例えばピオ11世が『モルタリウム・アニモス』の中で)説いたように、アシジの諸宗教祈祷集会のようなエキュメニズム運動・宗教多元主義に反対するのか?

 それとも、現行のエキュメニズムと宗教無差別主義・宗教多元主義に諸手をあげて賛成し、王たるイエズス・キリストの社会統治に協力しないのか?

 などと言うことを検討してみたらよいと思います。

 ご参考までに、30 Daysと言う雑誌(June-July 1995)には、オプス・デイの歴史の要点が次のように載っていました。(以下はトマス小野田圭志の訳です。)


===引用の始まり==

 ホセマリア・エスクリバー・デ・バラゲルは、1902年1月9日スペインのバルバストロで、衣服商と敬虔な主婦との子供として生まれた。彼は1925年3月28日サラゴサで司祭に叙階された。

 1928年10月2日マドリッドにてエスクリバー神父は最初のオプス・デイを創立し、やはりマドリッドで1930年2月14日女子部を開始した。

 1939年オプス・デイ会員のガイドとして6月23日師の999条の格言をまとめた『道』の初版が発行された。1941年5月24日、マドリッドの大司教であるレオポルド・エイホ・イ・ガライ大司教は、スペインの教会の一部から出たオプス・デイの秘密主義への非難を公に弁護した。

 1943年2月14日、オプス・デイの司祭職を望む平信徒会員のために「聖十字架司祭会」が創立された。1944年6月25日オプス・デイ司祭の最初の叙階式が行われた。

 1946年6月23日、エスクリバー師はローマに上り、8月には彼のイニシアティブに対する聖座からの奨励をもらってマドリッドに戻った。教皇ピオ12世の『プロヴィダ・マーテル・エクレジア』(1947年2月2日)が発布され、オプス・デイとして在俗会としての教会法上の身分が与えられた。

 1950年6月16日オプス・デイは聖座から決定的な認可を受けた。この組織は教皇によって直接に認可された最初の在俗会となり、「聖十字架司祭会とオプス・デイ」という名前を取った。1962年エスクリバー師は教皇ヨハネ23世に他の在俗会(これらは修道会及び在俗会のための聖省の管理下のもとにある)とは別の身分をオプス・デイに与えてくれるように求めたが聞き入れられなかった。数年後教皇パウロ6世も、それを与える時はまだ来ていない、と言って同じくこの要求を退けた。

 エスクリバー師は1975年6月26日に亡くなり、1981年5月12日その列福のための調査が開始された。

 カトリック聖職者の多くとスペインの司教たちの大部分(56名中55名)が反対しているにもかかわらず、バチカンは1982年8月23日、教皇ヨハネ・パウロ2世はオプス・デイに「属人区Personal Prelature」の身分を与えることを決定したと発表した。

===引用終わり==


 これまで、オプス・デイに関して、カトリック信仰を基準に物事を考えたらよいのではないか、と提案しました。私たちは、個人的な問題というよりも、カトリック教会の教えに基づいて考えていくことにしましょう。

 ここでは、ドミニック・ル・トゥルノー著 尾崎正明訳『オプス・デイ』(白水社発行 文庫クセジュ1989年)を参考にしてみてみることにします。この本によると、「第2章 オプス・デイの霊性」というタイトルの中にこうあります。


 「1928年10月2日、エスクリバー・デ・バラゲル師は神のみ旨をあます所なく知った。彼は、「オプス・デイ」、つまり、「神のみ業」の基本的な骨組みをはっきり見たのである。彼の心にひらめいた光明はぼんやりとした一般的な霊感ではなく、精確にはっきりと描き出された特定の天啓であった。・・・エスクリバー師は初期の著作の中で、その革新的な面を披露する。人間はどのような人であれ、この俗世間から逃避することなく、聖性と使徒職に召されていて、人間の置かれているこの世の現実、とくに、職業上の仕事や家庭的・社会的任務を超自然的次元にまで高めなければならない。・・・このメッセージが革新的であることを理解するためには、歴史の流れを振り返って見る必要があるであろう。」(p27)

 「キリスト教の歴史のごく初期においては、労働とか仕事はそれ自体善なるものとしては求められず、何よりも諸悪の根元である無為を克服する苦業的手段として追求された。聖アタナシウスとかカッシアーヌスはこのような考えの持ち主であった。共住の修道生活が次第に発達してくる。聖ヨハネ・クリゾストムは労働を重視し、教会の教父たちのうち第2バチカン公会議と同じ言葉で、日常生活の聖化を主張した最後の偉大な教父である。彼以後は、一般信徒は福音を完全に生きるべく招かれてはいないような印象を受ける。時代は5世紀である。

 使徒職についていえば、それはキリスト信者の義務の一つになっていたとは思われない。聖ベネディクトの戒律においては、使徒職を実践するのは個人としての修道者ではなく、共同体としての修道院であった。

 托鉢修道会が出現すると、町から町へと歩き回って伝道する福音宣教が重視される。それは職業とか仕事の価値を肯定し重視する方向には向かわなかった。それどころか、むしろ、仕事を更に敬遠することになった。・・・

 托鉢修道会の神学者たちは、仕事の根元的意味について思索を深めることはなかった。そして、肉体労働は必ずしもする義務はないと断言した。聖トマス・アクィナスは世俗的な仕事は観想の邪魔になると説き、聖ボナヴェントゥーラや他の多くの人たちもだいたい同じ考えを抱いていた。

 一般社会にもっと深い直接関係を持っていた他の組織(中世の騎士修道会や兄弟会)もまた、仕事を聖化する必要性の自覚を促すような体制は、苦業の面でも、教理の面でも、整っていなかった。その後何世紀かにわたって、人々の関心は労働という問題から離れた。『キリストに倣いて』の著者は、仕事については砂漠の教父以上に否定的な判断を下した。しかし、砂漠の教父たちが無為と労働を対立させた考え方は、労働が苦しい努力とかつらい犠牲という狭い意味で捉えられたことから、歪められることになった。これはシスネロスの著書『精神生活の修練』のなかで述べられている考え方であり、シスネロスから大きな影響を受けた聖イグナチウス・ロヨラの「霊操」に見られる思想でもある。

 ルネッサンスになって、聖トマス・モアとかエラスムスのような人たちによって、ある種の積極的進歩が見られ始めたがそれは結実することにはならなかった。・・・しかしながら、ルネッサンスとバロック時代のカトリック神学は、肉体労働を軽視する貴族階級の考え方と、偏狭な歪んだ道徳至上主義によって汚染された。そしてまた、とくに、神秘主義の行き過ぎを警戒し、メルチヨル・カノとともに、一般信徒はキリスト教的完徳の頂点には到達できないと断言した。・・・」(p29-31)


 つまり、聖ヨハネ・クリゾストムを除くと、キリスト教の歴史のごく初期から、聖アタナシウスとかカッシアーヌスなどを初めとして、一般信徒は福音を完全に生きるべく招かれてはいないと考えられており、聖ベネディクトも聖トマス・アクィナス、聖ボナヴェントゥーラや他の多くの人たちも、使徒職や労働について誤解していた。『キリストに倣いて』の著者も、シスネロスも、聖イグナチウス・ロヨラもそうであった。ルネッサンスになって、聖トマス・モアとかエラスムスのような人たちによってある種の積極的進歩が見られ始めたがそれは結実することにはならなかった。特にルネッサンスとバロック時代のカトリック神学は、汚染されていた。福者エスクリバー師がオプス・デイを創立するまで、平信徒の聖化に関して「要するに、何世紀にもわたる長い断絶があったのである。」(p35)しかし、十数世紀にわたる暗黒と誤解の末、ようやくオプス・デイの創立者が「人間はどのような人であれ、この俗世間から逃避することなく、聖性と使徒職に召されて」いるという革命的なメッセージを発表したのである、と言うのです!

 しかし、聖性と使徒職は少数の特別な人たちのためだけではないと言うことを知るには、本当に福者エスクリバー師と第2バチカン公会議とを待たなければならなかったのでしょうか? いいえ。全ての人は完全なるように招かれているということこそ実にカトリック教会の常なる教えでした。天主の御旨を果たす、日常生活を全て天主への愛を持って行う、これを教会は常に教えていました。

 では、オプス・デイの創立者は、何を教えたのでしょうか? ドミニック・ル・トゥルノーをもう少し読んでみます。


「II 仕事の聖化
1大原理――― 創立者が教えた日常の仕事の聖化とは何か、その考え方の全体を彼は次のように説明する。

 『われわれの超自然的生活は、労働に背を向けることによって確立できると考えている人は、真の召し出しを理解していないものである。われわれにとっては、労働は聖性追求の特別の手段であり、われわれの内的生活―――社会の中における観想生活―――は、われわれ各人の外的な労働の生活のなかに、その源泉と推進力がある。・・・』

 エスクリバー師は、人間は働くために創造されたと書かれている創世記の一節(2:15)を指摘する。もし、働くことが人間の条件であるとすれば、普通の仕事は聖性を求める軸であり、兄弟たる人類を援助するのに適した超自然的で人間的な場である。

 働くために人間を創造したという神の断言は、人祖の原罪以前に位置する。この事実からして、働く機能は人間の本質の一要求だということが分かる。人間労働の苦痛の面のみが、原罪を犯した罰であると考えられる。・・・事実、大工の仕事を聖ヨゼフからならい覚えたキリストは、自らその仕事をすることにより、その仕事も贖われたものとなった。それは人間生活の枠であるだけでなく、聖性を獲得する手段であり道である。仕事は人を聖化させ、仕事自体も聖化されうる。職業としての仕事は『中心軸であって、そのまわりを聖化のための働き全体が回っているのである』。・・・」(p35-36)


 ところで、カトリック教会の公教要理によると、こうあります。

 「天主が人を造り給うたのは何のためであるか。
 天主が人を造り給うたのは、天主を認め、愛し、これに仕え、終に天国の幸福を受けさせるためであります。」

 聖イグナチオも『霊操』の中で、同じことを言います。(23番)

 カトリック教会は、人間の聖化の中心軸は成聖の聖寵つまり天主の愛であると教えています。聖パウロは、成聖の聖寵を指して「愛」と呼び、愛がなければ無に等しく、益するところはないと言います。

 「あなた達が言葉と行いをもってすることは全て、キリストによって、父なる天主に感謝しつつ、主イエズスの聖名によって行え。・・・ことをする時いつも、人のためではなく、主のためにするように真心から行え。」(コロサイ3:17・23) 

 公教会祈祷文は、朝の祈りの中で

 「御恵みを感謝しわが身を献げん 主の今までわれに賜いしもろもろの御恵みを感謝し奉る。わが生きながらえて今日にいたれるは、ひとえに主の賜物なれば、この日もまた主に仕え、わがすべての思い、言葉、行い、苦楽を主に献げ奉る。願わくは、何事も主を愛する精神をもってなさしめ、一に主の御栄えとならしむるよう、聖寵を垂れ給え。」

と祈らせています。つまり労働だけではなく、全ての思い、言葉、行い、苦楽を、主に対する愛をもって捧げさせているのです。

 また、夕の祈りの中では、

 「御保護に身を委ねん 主よ、われさらによく主に仕えんために、今しばらく寝(やす)みてわが力を補わんと欲す。願わくは、わが寝(やす)むを祝し給え。またわが依り頼み奉る聖母、守護の天使、保護の聖人、わがために祈り、今夜、終生、ことに臨終の時にわれを護り給え。アーメン。」

と祈らせ、睡眠さえも聖化させさせているのです。

 ですから、私たちにとっては、日常生活は全て、仕事も休憩も、健康も病も、聖化の手段なのです。カトリック教会は、「病の床に苦しみ、仕事は勿論、自分のことすら満足に出来ない人々」や私たちのようないとも小さい霊魂たちも自己を聖化することができると教えているのです。主のために痛み苦しみを捧げる時、なんという慰めでしょうか。

 従って、私たちはかえって、こう言いたくなるのではないでしょうか。人間は主を知り、愛し、これに仕えるために創造されたのですから、天主への愛こそ聖性を求める軸である、と。私たちが何をしようとも、「天主への愛」のまわりを聖化のための働き全体が回っているのだと。そして、これは第2バチカン公会議以前にも、オプス・デイ創立者以前にもカトリック教会が教えていた教えであり、もし福者エスクリバー・デ・バラゲル師がそのことを言わんとしていたのなら、その点では革命的だとは思われません。

 ところで、もしも福者エスクリバー・デ・バラゲルの言うように、労働は聖性追求の「特別の手段」であり、人間は「働くために創造された」のであるから普通の仕事は「聖性を求める中心軸」であり、職業としての仕事のまわりを、「聖化のための働き全体」が回っているとすると、またこれが「人間の本質の一要求」(p36)であるとすると、職業のない人、持てない人には聖化の道が閉ざされてしまうと言う印象を受けます。

 しかしカトリック教会は、労働も聖化の手段ですが、労働以外の別の手段をもって私たちを聖化できると教えてきました。

 福者エスクリバー・デ・バラゲル師は、創世記2:15の次の言葉 Tulit ergo Dominus Deus hominem, et posuit eum in paradiso voluptatis, ut operaretur et custodiret illum; の ut operaretur を「働くために」と解釈し「人間は働くために創造された」としています。カトリック教会は以前までここを「主なる天主は、人間をとらえてエデンの園に置き、そこを耕させ、守らせた。」と解釈してきました。オプス・デイの創立者の聖書解釈が革命的であったとドミニック・ル・トゥルノー師は言いたいのでしょうか?

 そして、「仕事というものは、完璧の域まで立派に仕上げられるのでなければ、それを聖化するのは難しい。この完全さがなければ、必要な職業的威信を獲得するのはほとんど不可能である。この職業的威信こそ、エスクリバー師が『人々に仕事を聖化し、キリスト教信仰の諸要求に生活を合わせることを教える教壇である』と譬えたものである。」(p45-46)ということが、福者エスクリバー師の考えであるとなると、オプス・デイの精神というのは、自分に職業としての仕事があり、しかもそれを完璧に失敗もなく果たすことの出来る正にエリートたちだけのものであるという印象を受けます。


オプス・デイの革命的な霊性

 オプス・デイの霊性は「革命的」だと自分で言っているのですから、きっと革命的なことは間違いがないのだと思われます。その革命的な点はもっと別の所にあると思われます。それは第2バチカン公会議の革命的な点ではないでしょうか?

 「オプス・デイの霊性のうち前述した側面と、第2バチカン公会議の公文書のいくつかとの間に大きな類似点があることに気がついたことであろう。」(p64)

 「だからこそ、彼(エスクリバー・デ・バラゲル師)は公会議の先駆者として広く認められている」(ポレッティ枢機卿、ドミニック・ル・トゥルノーの『オプス・デイ』(p65)からの孫引き)  「師は『1928年オプス・デイを創立したときすでに、第2バチカン公会議とともに教会の共通の遺産となったものについて、多くのことを予感、予想していた。』(ケーニッヒ枢機卿)」(p66)

 カトリック教会は、この世を聖化する使命を私たちの主イエズス・キリストから受けました。それは、私たちの主イエズス・キリストによって聖化するのです。全ては私たちの主の旗の下に呼び戻されなければなりません。私たちの霊魂を洗礼によってキリスト者とするのみならず、すべての被造物をキリストのものとしなければなりません。家庭も、学校も、法律も、国家も全てです。全てをキリストのものとして聖別し捧げ奉献することをカトリック教会は教えています。キリストの普遍的天主としての権威を認め、それに従って生きなければなりません。真理を真理として誤謬を誤謬として認めなければなりません。

 例えば教皇ピオ11世は回勅『クヮス・プリマス』の中でこう言います。

 「人類の大部分が、個人生活からも家庭や国家からも、イエズス・キリストとその貴い掟を閉め出してしまったために、これ程多くの不幸が世界に広がったのです。そして、個人と国家が救い主の支配に背き、これを拒み続ける限り、諸国民の間に永続的な平和が打ち立てられる見通しは全くありません。

 私達が追求しなければならないのは、『キリストの国におけるキリストの平和』なのです。私もこの点に関して、及ぶ限り力を尽くすことを約束しました。世界にキリストの平和を回復し、確立する最上の手段は、主に支配を委ねるよう努力することであると私は思っています。・・・

 もし一層深く考えるなら、王の称号と権能は、比喩だけではなく、本来の意味で、人としてのキリストに属することを認めなければなりません。というのは、御父から「権力と栄光と御国」(ダニエル7:13ー14)を与えられているということは、人たるキリストについてだけしか言い得ないからです。つまり、[ 天主の御言葉 ]として見れば、御父と一体であり、既に万物を御父と共有し、全被造物の上に最高絶対の主権を有しておられるからです。・・・

 キリストの王職がこの世の事柄について人たるキリストが何の権威もないと考えるのは大きな誤りです。

 というのは、キリストは御父から被造物に対する絶対の権利を与えられ、全ての者を意のままにすることがお出来になるからです。それにもかかわらずこの世で生活された間は、主はこの支配権を行使されませんでした。そしてこの世の事物を所有したり管理したりすることをあえて望まず、それを所有者に当時も今も委ねておられるのです。「天昇の王国を与えるものは、地上の王国を奪おうとされない」(御公現の賛歌より)。

 こうして贖い主の主権は全ての人々に及ぶのです。レオ13世のお言葉によれば「キリストの支配権はカトリック信者ばかりでなく、異端によって脇道に逸れたもの、或いは離教によって愛の絆を切って離れた派のものであっても、正しい洗礼によって清められ、法の上から見てやはり教会に属している人々にまで及びます。しかしそれのみならず、その支配権はキリスト信者以外の全ての人々をも包括するものでありますから、全人類がイエズス・キリストの権力のものに」あるのです(回勅「アンヌム・サクルム」1899年5月25日)。

 この点では個人も家庭もまた国家も何の相違もありません。なぜなら人間は社会を構成しても、個人の場合と同じようにキリストの主権のもとに服しているからです。

 従ってキリストは個人の救霊の泉であると同時に社会の救いの源でもあります。

 「救いは主以外のものによっては得られません。全世界に私達が救われる名はこれ以外には人間に与えられませんでした」(使徒行録4:12)。

 キリストはまた国民一人一人や国家全体の繁栄と真の幸福をもたらす御者です。

 「国家と国民は別々に幸福になるのではありません。何故かと言えば国家とは多数の人々が一緒に生きていく集まりだからです」(聖アウグスチヌスのマケドニアへの書簡)。

 従って、国の為政者は自分の権威を保ち、国の繁栄を望むなら、自分がキリストの支配に対して公に尊敬と従順を表すのみでなく、国民にもそれをおろそかにさせてはなりません。

 教皇位について私は法的権威の失墜と権威に対する尊敬が一般的に欠けてきたことについて話しましたが、それは今でも変わらぬ事実です。

 「天主とイエズス・キリストが法と国家から除外され、権威が天主からではなく、人間に由来するように考えられてきたため、ついに権威の基礎そのものが取り去られることになりました。これは支配権と服従の義務の本質を無視したからです。その結果当然人間社会全体がぐらつくことになりました。なぜなら、その社会はもはや堅固な基礎も保護も持っていないからです」(回勅ウビ・アルカノ)。・・・

 現代の病、それは、いわゆる世俗主義、その誤りと悪質な策動です。尊敬する皆様、皆様もご存じの通り、この悪は一日でできあがったものではありません。それはもう長い間いろいろな国のうちに隠れていたのです。

 そしていつの間にかキリストの全人類に対する支配が拒まれ、教会がキリストご自身から受けた権利さえも否定されてしまったではありませんか。そのため教会がその権利を持って人類を教え、法を制定し、永遠の救いに導くために人々を治めることが認められなくなったのです。
 そしてついに、キリストは誤った宗教と同列に扱われ、それと同等の地位にまで落とされるようになりました。

 その上、教会は国家の権力のもとにおかれ、元首や為政者が多かれ少なかれ意のままに扱っています。ある人たちは、更に進んで天主が啓示された宗教を捨てて自然宗教、つまり自然的な心情をその代わりにしなければならないとさえ考えてきました。

 また国家のうちにも、天主なしにやっていけると考えているものがあるのです。その国では邪悪と天主とを疎んずる思想を自分たちの宗教観と思っているのです。

 このような個人および国家のキリストに対する反逆はたびたび嘆かわしい結果を生んできました。既に回勅「ウビ・アルカノ」で遺憾の意を表しましたが、今再びそれについて新たに考えたいと思います。

 つまり、このような人々と国々の反逆の結果、広範囲にわたる国家観の激しい敵意や憎しみの不和の種を生じ、あらゆる和合と平和を阻害してきました。また共通善とか愛国心とかの美名に隠れた飽くことを知らない欲望やそれによる個人間の争い、或いは過度の盲目的自己愛などを生じ、人々は自分の安楽と利益のみを求め、全ての物事をそれで測るようになってしまいました。そしてまた、義務を忘れたり、軽んずることから家庭の不和を生じ、家庭の一致も安定も弛みました。こうして一言でいえば人間社会は揺らぎ、正に滅びに向かっているのです。・・・

 個人と同様に、政府も為政者もキリストに対して公の誉れと服従を示さねばならないことを全ての国々に思い出させるでしょう。そして人々は最後の審判のことを思い、公の生活から締め出され軽蔑され無視されたキリストが、どれほど厳しくその不正を責めるかということも考えるに相違ありません。

 キリストの王としての権威は全ての国家が天主の掟をキリスト教の原則に従い、それによって法を作成し、裁判を行い、青少年には健全な知識と道徳を教えるのを要求する以上それは当然なのです。・・・」

 これが、カトリック教会がいつも教えてきた「カトリック的解決策」です。この世を聖化し、全てをキリストの下に戻すためには、キリストの創立したカトリック教会のやり方以外にはあり得ないからです。

 聖ピオ10世はシオン運動に関する手紙の中でこう言っています。

 「さらに奇妙であり、同時に懸念と悲しみとを呼び起こさずにはおかないのはカトリックと自称し、上で述べたような条件の下で社会の再編を図る者たちの大胆不敵かつ軽薄さです。彼らはカトリック教会の枠を越え出たところで、あらゆる所からの労働者と共に、たとえ彼らがどんな宗教を奉じていてもあるいは一切奉じていなくても、たとえ信仰を持っていようともいなくとも、彼らが互いを隔て分けてしまうもの ――― 即ち宗教的および哲学的信念 ――― を放棄し、[反対に]互いの一致をもたらすもの ――― 即ち「その源を問わず、広い心に根ざした理想主義と道徳的力」――― を共有するかぎりにおいて、彼らと共に「愛と正義の支配」を地上に打ち立てることを夢見ています。しかるに私たちがキリスト教国家を築くために必要とされた力、知識、超自然的徳を考えてみるとき、また何百万という殉教者の苦難、教会の教父ならびに博士たちの光、愛徳の英雄たちの献身、天から生まれた強固な位階秩序、天主の聖寵の大河、天主の知恵であり人となった御言葉、イエズス・キリストの命と精神によって建てられ、固められ、染み渡った全てを思うとき、そうです、これら全てを思うとき、新しい使徒たちが、あいまいな理想論と市民道徳を共通項に持って更によい業ができると夢中になっているのも見てぞっと震えてきます。彼らは一体、何を生み出そうとしているのでしょうか。かかる共同作業の結果として、何が生じてくるのでしょうか。それは単に言葉の上だけの幻想的な構築物に過ぎません。そしてその中には、誤って理解された「人間の尊厳」に基いた自由・正義・博愛・愛・平等および人間の発揚という言葉が混ざりながら映し出され、混沌のうちにも人の心を誘っています。これは騒乱をまき起こす種となり、意図されている目的のためには効果がありません。これはまたあまり理想郷を追い求めず人民を攪乱する者たちをして利得を得させるでしょう。確かに、シヨンは空想上の産物を追い求めようと目を凝らし、社会主義を擁護しているのだと言えます。

 私はさらに悪い事態が生じはしないかと恐れます。仕事におけるこの[あらゆる信条・主張の]混合から最終的に生ずるもの、また、この世界市民的な社会活動から利益を被るのは、カトリック的でもプロテスタント的でもユダヤ教的でもない民主制です。それはカトリック教会よりも普遍的な宗教(なぜならシヨン主義とはシヨンの指導者らが述べるところによれば一つの宗教なのですから)であり、ついに兄弟、同志となった全ての人々を「天主の御国」において一つにまとめる別の宗教です。彼らは言います。「我々は教会のためにではなく、人類のために働く」と。・・・

 また、これらの司祭に次のことを確信させてください。すなわち、社会問題ならびに社会科学は、つい最近になって生まれたものではないこと、教会と国家は全ての時代にわたって健全な協調のうちにこの目的を達すべく種々の実り豊かな組織を育成してきたこと、教会は妥協に満ちた協定で一度として人々の幸福に対する裏切りを為したことがなく、したがって、過去をうち捨てる必要がないこと、また必要なただ一つのことは、真の意味で社会の復興のために働く人たちの助けを借りて、フランス革命がうちくだいた諸々の機構を再び採用し、それらを生み出したのと同じキリスト教的精神において、現代社会の物質的発展に由来する新たな環境にそれらを適合させることです。事実、人民の真の友は革命家でも革新派でもなく、伝統主義者なのです。」

 教皇グレゴリオ16世は、宗教無差別主義について、回勅『ミラリ・ヴォス』の中でこう言います。

 「宗教無差別主義のこの毒を含んだ泉からは『すべての人に対して良心の自由が確立され、保証されるべきだ』という誤りかつ愚かなというよりむしろ突拍子もない原則が流れ出ます。これはきわめて伝染しやすい誤謬ですが、教会と国家を亡ぼすべく広がる無条件かつ無制限の言論の自由はこれを助長します。そしてこのような言論の自由が教会にとって有利なものであるかのように厚顔にも吹聴する者たちがいるのです。聖アウグスチヌスはこう言っています。『誤りの自由ほど人々の霊魂に確実な死をもたらすものがあるだろうか!』と。このように、人々を真理の道にとどめておくべき歯止めを彼らから取り除き、[原罪の結果]自然的に有している悪への傾きに、さらに拍車をかけて突き進むままに任せるならば、そこには、聖ヨハネが、太陽を暗ませる煙と地を荒らすイナゴの群れとがそこから立ち上るのを見た、かの深淵の穴 が口を開いていると真実言うことができます。事実、ここから精神の不確かさとますますひどくなる青少年の堕落とが生まれ、又同じく、ここから人々の中に[教会の]聖なる権利およびこの上なく聖なる法規および事物への軽視が生じ、更にここから、一言で言うと国家を荒廃させる厭うべき災厄が出てくるのです。

 なぜなら、経験に則して、また歴史上最も古い時代からの教訓に従えば富・権勢・栄華において抜きん出た幾多の都市国家がこのただ一つの悪によって滅んだからです。そしてこの悪とは制限なしの言論の自由・公の場での言論の放任・変化への熱狂的な望み他なりません。」

 宗教無差別主義については、ピオ11世も次のように言っています。

 「ある人達は「宗教的感覚を完全に失ってしまった人は極めてまれである」と確信しています。そして、この確信を基礎に、諸民族を、その宗教の違いにもかかわらず、宗教生活の共通の基礎として認められる幾つかの教義を兄弟的に認めあうまでもって行くことが、容易にできるという希望を養っているようです。ですから、彼らはかなり多くの聴衆者が出入りする会合、集会、講演会などを開いています。彼らは全ての人々を区別無く、ありとあらゆる種類の不信者、信者、更に不幸なことにキリストから離れ苦々しくそして頑固にキリストの神性とその使命を否定するものまでもその公演に招待しています。

 このような骨折りにたいして、カトリック信者はいかなる賛同をも与えてはなりません。何故かというと、彼らの活動が“全ての宗教は、たとえ形は違っていても、全て等しく、私たちを天主に導き、私たちをして天主の力の前に尊敬を持って屈めさせる自然の生まれつきの感情を表している”という意味で“どの様な宗教でも、多かれ少なかれ、良いものであり称賛すべきである”という、間違った考えに基づいているからです。」

 ピオ12世教皇様も『フマニ・ジェネリス』のなかでこう言います。

 「また、もう一つ別の危険が見受けられます。それは良い意向の外見の下に隠されているだけに、それだけ一層深刻な危険となっています。この世界中に広まる不一致と誤解とを嘆きつつ、霊魂らのための賢慮を欠いた熱心によって道を逸れてしまった人々が数多くあります。彼らは善意の人々を互いに分け隔てている障壁をうち倒そうという衝動、いえ燃えるような望みを持っています。こういった人たちは、一種の「平和主義」を標榜しています。この主義に則って、彼らは人々を分裂させてしまう問題をわきに置き、ただ無神論の攻勢を迎え撃つために力を合わせるだけでなく、教義の領域で互いに対立している事柄を妥協させることを目指すのです。そして教会の伝統的な護教の体系が霊魂たちをキリストのために勝ち取るための助けになるよりもむしろ邪魔になるのではないかと疑う人が今でもいます。これらの現代人たちと共に彼らは更に遠くに行くのです。・・・一部の人は不賢明な「平和主義」への熱意のために、キリストによって与えられた諸々の法と原則、ならびに同じそのキリストによって打ち立てられた諸制度に基く事柄が、あるいは信仰の十全さを守り、支える事柄が兄弟的一致の妨げになると見なすのです。しかし実際は、これらのものを取り去ってしまうことは万人を一致させはしても、その一致は皆を破滅へと導くものに他なりません。」

 歴代の教皇様たちの教えによれば、現代世界の諸問題の解決策はカトリック的です。私たちとこの世界の聖化の問題はカトリック的だからです。

 ところで、ドミニック・ル・トゥルノー師はこう書いています

 「創立者にとって、世界のさまざまな問題にたいし『カトリック的解決はこれだけだ』というあり方は存在しない。」(p52)

 これはどういうことかというと、歴代の教皇様たちの訴えて続けてきたカトリック的な解決策ではなく、教皇様たちの排斥してきたエキュメニカルな解決策を目指すと言うことではないでしょうか? もしこれが本当であるとすると、これこそ、オプス・デイの革命的な霊性だと言わなければなりません。

 「オプス・デイの精神の最大の特徴の一つは自由の尊重である。それはオプス・デイの代弁者たちがたびたび言及していることであり、創立者もそれをとくに強調した。自由を愛すると言うことは、オプス・デイに内在する世俗的精神構造に密接につながりをもっている。だから、職業的、政治的、社会的な全ての問題について、一人ひとりが社会のなかのそれぞれの場において、正しく養成された良心の声に従って行動しさえすればよいのであるが、そのさい、自分の行動や決断から生じた結果はすべて自分の責任として背負わなければならない。また、人間に関わりのあるすべてのものの多様性を尊重するだけでなく、実際的・積極的にそれを愛さねばならない。」(p46-47)

メンバーの多様性
(a) 「ヌメラリー」というのは、使徒職に専念するため独身を守るよう神の召し出しを受けた聖職者と信徒(男も女も)であって、・・・
(b) 「アソシエイト」というのは、オプス・デイの精神にのっとり独身を守って、一生を神のために捧げる一般信徒である・・・
(c) 「スーパーヌメラリー」というのは、「ヌメラリー」や「アソシエイト」と同じ召し出しを受け、自分の身分を変えないで神にすべてを捧げる一般信徒で、独身のものもあれば結婚しているものもいる。
(d) その他、オプス・デイのメンバーではないけれど、祈りと寄付と仕事によって使徒職活動の助けをしている「協力者」が存在する。彼らもオプス・デイの霊的富に与っている。彼らはオプス・デイとは不可分の固有の会を構成している。協力者はカトリック信者でなくても、また、さらに、キリスト信者でなくてもよい。」(p102-103)

 「これらの活動(「共同の使徒職活動」のこと)は、社会的地位、人種、宗教、イデオロギーに関係なく、すべての男性・女性に開放される」(p120)

 宗教、イデオロギーに関係なく解放されている「使徒職」というのは、ここでは一体どういう意味で使われているのでしょうか? 非キリスト者も「オプス・デイとは不可分の固有の会を構成している」というのはどういう意味なのでしょうか? オプス・デイの創立者は、すでにアシジの諸宗教祈祷集会のようなものを考えていたのでしょうか?

 ポレッティ枢機卿の言ったように、だからこそ、オプス・デイの創立者は「公会議の先駆者として広く認められている」のでしょう。だからこそ、1992年、創立者の死後17年の後に、異例な早さで列福されたのも、そして27年後の今年の10月に、既に列聖されようとしているのも、第2バチカン公会議を正当化し、第2バチカン公会議後の教会の「模範」を提示するためなのかも知れません。
(この項は続きます)


 天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志 (聖ピオ十世会司祭)